LUMINOUS Erika Kobayashi

マンガ「光の子ども」について

“放射能”それはいつ、どこから、どうやって、ここに来たのか?
いまから115年前、科学者マリ・キュリーによって名づけられた“放射能”。
マリが「わが子」と呼んだ、幻想的な青白い光を放つ新元素ラジウムは、人類の希望だったのか?
マンハッタン・プロジェクト、広島・長崎、原子力発電、スリーマイル、チェルノブイリ、そして……。
2011年の日本に生まれた主人公“光”と、猫の“エルヴィン”を通じて、“放射能”の歴史がひもとかれていく。
史実とフィクションを交えた物語。センシティブかつ強烈な意欲作。

小林エリカ

1978年生まれ。作家・マンガ家。著書、小説『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)にて芥川賞・三島賞候補に。アンネ・フランクと実父の日記をめぐる『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)、短編集『彼女は鏡の中を覗き込む』(集英社)、作品集『忘れられないの』(青土社)他。展示に、個展『野鳥の森 1F』(Yutaka Kikutake Gallery、東京)、グループ展『The Radiants』(Bortolami Gallery、ニューヨーク)他。〈kvina〉としてポストカードブック『Mi amas TOHOKU 東北が好き』(リトルモア)など。

小林エリカ『光の子ども』刊行記念インタビュー

――目に見えないものたちの歴史――

「もし“放射能”が目に見えるようだったら、数年でこんなにも簡単にいろんなことを忘れてしまったりするのだろうか?」
“放射能”115年の歴史をひもとくコミック『光の子ども1』を刊行したばかりの小林エリカさん、『光の子ども』にかけた思いを語ります。

―― きょうは小林エリカさんの最新刊『光の子ども』についておうかがいします。

小林○よろしくおねがいします。

―― 前作『親愛なるキティーたちへ』は、小林さんが、アンネ・フランクの日記と小林さんのお父様の日記を読み比べながらアンネゆかりの土地をたずね歩くというノンフィクションでしたが、今回の『光の子ども』は“放射能”がテーマのマンガ。キュリー夫人として知られる“マリ・キュリー”の人生を主軸として、史実とフィクションが入り交じる不思議な手触りの作品になっていますね。

小林○“放射能”のことは以前から気になっていて、10代の終わり頃には、「爆弾娘の憂鬱」など“核爆弾”が主人公のアニメーション作品を作り、それがデビューでした。最近では、Dieter Moebius さんの楽曲提供で、シンガーの phew さんと「Radium Girls 2011」という音楽のアルバムを作りました。ラジウム・ガールズというのは、1917年頃アメリカのニュージャージー州の工場で、時計の文字盤にラジウムの蛍光ペイントをして被曝した女性労働者たちのことです。

―― 東日本大震災がきっかけではなく、ずっと前から興味を持っていたんですね。

小林○もちろん震災とその後の状況も重要な一因ではあります。けれどそうですね、“放射能”の歴史をなんらかの形にできたらとずっと思いながら、調べていました。ときには“放射能”にゆかりのある場所もめぐりました。2008年にはアメリカのロスアラモス研究所という、原子爆弾開発のための施設にもドライブで訪れたり……誰からも行きなさいって言われてないのにね(笑)

―― そして調査段階から実際に作品を作り出すわけですけど、そのきっかけは?

小林○前作の『親愛なるキティーたちへ』を書き終わったときに、はっきりと「次は“放射能”のことをやりたい」と思いました。というのも『キティー』執筆中に、自分の父親が誕生日に何をやっていたのかな?と思い、敗戦後はじめての17歳の誕生日の日記を読んでみたら「キュリー夫人傳を讀了。科学を愛する崇高なる精神に打たる。」と書いてあったんですよ。それを読んでいるうちに、東京電力福島第一原子力発電所のことがあって、そのことをめぐる状況や反応があまりに刹那的だし納得がいかない、ということもあり「これはもう書くしかない」と。

―― 小林さんご自身は「キュリー夫人伝」のような伝記を読むのは昔から好きでしたか?

小林○伝記というより、世界史の年表が好きでした。西洋も東洋も他のいろんな地域も混ぜこぜになって、同じ年に起きた出来事がまとまっているような。

―― 『キティー』でアンネ・フランクの日記と、お父様の日記を読み比べたのと同じですね!

小林○ほんとにそうですね。すり込まれているのかな(笑)

―― しかし『光の子ども』はマンガという表現方法を採用していますが、これにはどのような理由があるのでしょうか。

小林○目に見えない“放射能”をどうしたら目に見える形で表現できるかということを考えました。もしほんとうに放射性物質がすべて目に見えるようだったら、数年でこんなにも簡単にいろんなことを忘れてしまったりするのだろうか、といつも考えています。目に見えないものだからこそ、現実があまりに大変なことになっているからこそ、マンガで、しかもフィクションで絶対にやりたいと。
 わたしは以前『終わりとはじまり』というマンガをケント紙にGペンで描きましたが、今回はもっと自由な枠組みでできないかなと、和紙にGペンとインクとトーンと墨で描いています。

―― とても自由な発想ですね。

小林○日本のマンガも大好きなのですが、海外のコミックを読んでその自由さに影響を受けています。友人でもある香港のコミックアーティスト智海 (Chihoi Lee) が全部鉛筆でマンガを描いていたことが衝撃でした。マルジャン・サトラピのほとんどコマ割のない形式や、戦場のドキュメンタリーをマンガにしたジョー・サッコなどにも吃驚しました。『光の子ども』の中でも紹介している、ローレン・レドニス (Lauren Redniss) さんの “Radioactive” というキュリー夫人の伝記をベースにした作品も素晴らしかった。写真のコラージュと絵と綿密なテキストで作られた絵本です。
 史実を入れすぎたら退屈なんじゃないかとか、ちゃんとしたコマ割りじゃないとマンガっぽくないんじゃないかとか、不安もありましたが、それらを見たときに「こんなに自由にやっていいんだ!」と思いました。だからもう今回は、マンガに見えないよって言われようとも、マンガとしてできるかぎり描きたいように描く! と。

―― 実際どんな感じで作業を進めていたのでしょうか?

小林○“放射能”のことをどうやったら理解できるかなと考えたときに、“放射能”と名づけられたところからどうやって今に至るかが知りたいな、と思いました。115年間の“放射能”の歴史をさかのぼり、過去の人たちが、どういう理由、どういう気持ちで“放射能”にまつわることを探ろうとしていたのか、どういう経路で今の自分たちが生きているところに辿り着くのか、そういうことを調べていく過程でした。
 とくに、“放射能”の歴史の短さと、“半減期”の長さについて、考えさせられました。放射性元素が取り出されてから、歴史ってたかだか100年ちょっと、キュリー夫人が純粋ラジウム塩を取り出したのが1902年なんですが、ラジウム226の半減期は1601年ほどだそうで。つまり西暦3503年になってもまだ半分までにしかならない。

―― 『光の子ども』の主人公「光」は2011年に生まれたという設定ですが、いきなり1900年のパリにタイムスリップします。

小林○いつか未来だと思っていたことがすぐ過去になるし、過去のことはかつての未来だから。放射性物質のことを考えていくと、ほんとうに100年なんてすぐのことなんだなと思うんです。半減期が短いものもありますが、ウラン238なんて44億6800万年というし、長いものはほんとうに長い。それをふまえて、いま自分が生きているところから考えたいと思っています。

―― 主人公「光」はどのようにして生まれたのですか?

小林○「光」という名前は自分にとっての希望でもあります。それと同時に、ラジウムが持つ光のような、幻惑的な“光”の歴史へと導いてくれる存在としてキャラクターができました。
 キュリー夫妻がはじめてその手に取り出した純粋ラジウム塩は青白く輝いていたといいます。マリ・キュリーはそれを「妖精の光」と呼んでいた。それは恐ろしく身体を蝕むものでもある。けれど、きっとほんとうに美しくてえもいわれぬような魅惑的な光だったと思うんです。技術や科学の善悪を越えたところにある“光”の幻惑的な部分を捉えたい。ちょうど美しい宝石に向かってどうしても手を伸ばしてしまうみたいな気持ちを、描きたいと思いました。
 東京電力福島第一原子力発電所のことがあって、いろんなニュースがあって、今も続いているというのに、日常生活の中では、目に見えないからって、すぐに忘れてしまうし、いまいちピンと来ない。でも、もしそれが光って見えたり、どす黒く見えたりしたら、もっと違う展開があったんじゃないかと感じました。もちろんガイガーカウンターをかざせば数値としては見えるんですけど……

―― それって放射線というより単なる数字ですもんね。

小林○そうなんです! そして、歴史や時間も同じ。単なる数字だけれど、ほんとうはそこに生きている人がいるし、ご飯を食べたり恋したりしなかったり眠ったりする時間がある。もしそれらが目に見えていたら何かが変わるのか変わらないのか、それはどっちなんだろうということを、光くんについていきながら探しています。

―― 「光」には「真理」という妹がいますね。

小林○キュリー夫人と同じ「マリ」という名前の女の子。ちょうど映し鏡のような存在にある女の子を描きたかった。制作中は、自分と光くんと真理ちゃんとで、過去を一緒に探っている感じでした。
 たとえば、もしキュリー夫人が“放射能”を“ラジウム”を発見しなかったら……けれど結局は別の人が発見したかも知れないねとか。もし戦争が起こらなかったら、マンハッタン計画はなかったかも知れないねとか。どこまでさかのぼれば今が変わったのかを考えたい。でも、歴史は変えられないわけですから、じゃあ今を変えていったら、どういう未来が待っているのか、100年前のことを考えれば、100年後のことも考えられるのかな、なんて思いながら手探りで描いています。

―― “放射能”の問題はある意味すごくデリケートですし、史実に基づいて書かねばならないことも多いと思いますが、小林さんが取材に行って感じたことをそのまま書くのではなく、フィクションになっていますね。

小林○前作の『キティー』のように、自分自身を軸に置いてノンフィクション的に書いていくようなやり方での作品づくりを考えたこともありました。マンガとして描き出すまでに時間がかかったのは、そういうことを考えていたからということもあります。

―― どういう形でアウトプットするのがベストなのか? ということを考えていたんですね。

小林○その通りです。放射性物質とか、それこそベクレルさんの名前がものすごく身近な現実があって、もうみんなその現実は痛いほどわかっているから、じゃあ、そんな時にどんなフィクションができるのかなというのをすごく考えました。でも、史実は史実として書いています。ガチの史実というか(笑)

―― 不思議な猫が出てきたり、時間移動をしたり、というフィクションの部分がありながら、史実に基づいた、正確な情報も盛り込まれる。このふたつの要素が混ざっているところが面白いと思うのですが、著者としてはこの作品をどのように読んで欲しいと思っていますか?

小林○本当にいろんな人に読んでもらいたいという気持ちでいっぱいです。たとえば、それこそ原発に反対の人にも賛成の人にも読んでもらいたい。いろんな人に読んでもらって、これからの100年を考えるきっかけにしてもらえたらいいなと思います。

―― 『光の子ども』に限らず、小林さんの作品は取り扱う題材がある意味すごくハードですよね。アウシュビッツや戦争のことなど次々と取り上げています。

小林○やっぱりそれは自分自身がわかっていないことがすごく多いからなのかなと思います。今世界で起きていることが実は自分と関係があるという当たり前のことを忘れて日々を過ごしちゃうことって多い。それをいつも思い出すのは難しくても、何かのきっかけで自分と遠いあるいは近い時間や遠い場所や人がふっと繋がって思えることってあると思うんです。そういうきっかけを日常生活の中に見つけることが好きなんです。あと、正しいとか正しくないってことを言うための、作品を作りたくないなと。

―― 正しさや善悪を伝えるための作品づくりではないと。

小林○キュリー夫人がやっていた研究も、はじめの頃のマンハッタン計画もそうですが、その成し遂げたことが良い悪いという尺度を越えているんです。
『キティー』のときには、純粋に人間が良い悪いでは量れない存在だということを痛感しました。どれだけ悪い人たちのやっていた戦争かと思っていたら、まだ子どもだった父がやっていたのは普通に勉強して、夢があって、生き延びたいと思っていて……でもかたや軍需工場で飛行機を作っている。日記を読んでびっくりするというか。日記に出てくる大人たち軍人でさえも一生懸命だしユーモラスだし……寧ろ身近にいたら良い人って思うような人たちこそが平気で戦争をしている。そういう部分を描きたいと思いました。

―― 教科書には載っていないリアルな部分を掬い上げたいという感じでしょうか。

小林○自分自身にも妙に真面目なところがあって、戦争といえば「防空頭巾を被って芋食べてとにかく兵隊さんのために」みたいなイメージがすり込まれていて、そこ以外の想像力が抜け落ちてしまうことがあるんです。防空頭巾を被ってもんぺを履いているような、自分とは別の格好をした人たち、勉強だってしていないような人たちがやっていたものだって思い込んじゃう。それが日記を読めば、まだ子どもの父は戦時中にドイツ語も勉強している、戦争前は奇麗な格好だってしていたし、美味しいものだって食べていた。よく考えてみればそれは当たり前のことなんだけれども。イメージの刷り込みについては、“放射能”の歴史を辿っていてもすごく感じますね。……うーん、わたし、すぐにそんなこと想像できないし自分がけっこうダメなんだと思う!

―― えっ、ダメですか??

小林○正義の心とか善良な心を持ちたいんです。気高く生きたい。けれど、いまのところダメだなあ。

小林○歴史を今から振り返ってみると、ああ、あの時にああしていればまだ戦争を止められただろうにとか、”放射能“や核に関してもあの時にああしていればこんなことにはならなかっただろうにとか、幾つかの転機がある。たとえば自分がそんな状況に置かれたら、ほんとうに正しい方を選べるかというのはいつも不安です。「ここで行動を起こせるか? 正しく振る舞えるか?」みたいなことを考えるわけだけれど、100%「もちろんだよ!」とは言えない弱いところがあるのを自分自身でよくわかっています。特攻にまでなれるような勇気はなくても意外と食べ物や洋服につられて志願しちゃったりしそうだし、変な正義感から逃げたりもできなかったりしそうだし……。
 でも、そんなダメな自分でも、あらかじめ備えておけば、もしかして今はその転機なんじゃないか、という風に気づいたり、想像することくらいはできるでしょう。少なくとも過去にどういうことがあって、どういう風に失敗してきたか、どういう選択肢をとってきたかということは知ることはできますよね。自分が何らかの選択をしなくてはいけない場面にぶちあたったとき、過去の人から見た未来、未来から見た過去から、ものを考えることはできると思っています。

―― 自分をダメだと思っているというのが驚きでした。

小林○ちょっと弱虫だしね。ダメだと思っているから一生懸命書いてるのかな。自分に言い聞かせなくちゃみたいな。食べ物にはつられるなよ自分、と(笑)

―― 弱虫だけど、自分で考えて、自分にしかできない方法で作品を作っていくのが小林さんらしさだという気がします。弱くてダメだったら、強い人、強い言葉に惹かれて、それに染まってしまう人もいると思うんですが、小林さんはそうじゃないですよね?

小林○確かに! 結局、わたしはそこまで他人の言葉を頭から信頼できないというか、「自分だったら?」というところからしかわたしは何かを言ったり書いたりできないんだと思います。「じゃあ自分ならどうだろう?」ということは、いつも作品を作るときに入れています。ダメな部分もダサい部分もあけっぴろげにね。

―― みんなにも同じように考えて欲しいと思いますか?

小林○……いや、どうだろう。そこまで他人に奉仕したり他人を煽動したりしたいと思う人だったら、もっと違う作品になっているのかなとも思います(笑)。わたし自身はやっぱり、自分がどう思うか? という自分なりの答えを出すということだけしかできない。
 もしわたしの本を読んで下さる方がいるとしたら、それを読んで、その方がどう考えるかってところは、その方自身のものだし、その方自身がほんとうに納得する形になった時はじめて、何かを変えることができると思う。

―― ところで、『光の子ども』では、ひとりの女性としてのマリ・キュリーも描かれていますね。

小林○キュリー夫人の料理ノートにすごく関心をもちました。ラジウムをかき混ぜながら子どもを育てていたから、育児日記と料理ノートの記述とラジウム発見の記述が並列にある。それを読んだときに感動しました。「わたしが書きたいのはこれだな」と思いました。すぐりのゼリーの作り方が載っていて、長女イレーヌの乳歯が生えましたって書いてあるところに、ラジウムの記述がある話を、エーヴという二番目のお嬢さんが書いています。
 ああ、すぐりのゼリーをこの人は作っていて、それと同時にラジウムも研究してる。それはすごい説得力だなと思いました。わたしはキュリー夫人を偉人だと思いますが、ひとりの生活者だとも思っているんです。貧しさの中で学問して、子育てして、研究もして、すごい、でも、万能じゃないとも思う。100%正しい神様みたいな人じゃないというか、偉人だねって言ってしまうとそれ以上何も出て来ない。

―― 研究者である前に、ひとりの生活者としてゼリーを作ったりもしていたんですよね。よく考えれば当たり前ですけど、結構忘れがちかも知れません。

小林○『光の子ども』を描こうと決めたときに、食べ物のことをちゃんと描こう思っていたんです。それで、キュリー夫人が実際に使った料理本が何だったかということを調べ始めて、ついに見つけて……

小林○それが、18世紀からベストセラーだったという料理本なんです。当時「結婚したらコレ!」的なものだったらしい。メイドをたくさん雇って大パーティを開く、というよりは、誰でも作れるような、小市民的な人たちのための料理本です。「レンズ豆のピュレ添えアナウサギ」「羊の舌三個の紙包み焼き」「サクランボの砂糖煮」……とか、ものすごーく美味しそうなんですよ、あとは案外エイを食べてたりとか(笑)。それを見たときに、わたしが描きたいのは、こういうことなんだなってすごく思いました。
 もともと食いしん坊なので、昔の人びとが何を食べていたかみたいな話が好きで。当時の人はコレ食べてたんだ! とか、実際食べたら美味しいのかどうかわからないですけど(笑)。歴史にとって「何を食べていたか」ってそれほど重要じゃないかもしれないけど、でも、わたしはそれが好きだし、それを知ることで親近感がわいたり想像力が膨らむというのはあります。

―― 歴史を政治や経済のレベルだけではなく、生活とか文化のレベルで見ていく感じですね。

小林○政治のレベルで考えると、どうしても他人事の感じがあるんだけど。過去は意外と近い。100歳の人がいればその人の人生が1世紀だからね。その気持ちを大事にしたいなといつも思っています。

―― そのような親近感とは逆に「これは違うな」と思ったこともありますか?

小林○ぜんぜん違うなと思ったのは、今だからキュリー夫人が取り出したものが放射性物質だとわかるけれど、当時は何だかわからないものに取り組んでいたんだなということです。そのわからなさは「幽霊」とかと一緒のレベルなんですよね。今だから「いやいや霊媒と“放射能”は違うでしょ」と思いますけど、もし謎の崩壊を遂げる物質があって、この現象をどうやって説明するかというときに「幽霊?!」ってなっちゃうのって、納得がいきます。だからこそ、100年後の人たちは、今のわたしたちがわたわたしているこの現実を、どんな風に見るのかな? と。未来の人から見れば、いやあ、まさか汚染水を海に黙って流すとかないでしょ、みたいなことも多いと思うんですよね。

―― 『光の子ども』の次は、どのような作品を作りたいですか?

小林○この続きが書きたいと思っています。キュリー夫人の次女エーヴとマンハッタン計画を担うことになるロバート・オッペンハイマーが生まれたところまでを描いたので、今度は原爆を作ることになるマンハッタン計画に至るまでを描きたいと思っています。マリ・キュリーはじめその娘のイレーヌやエーヴ、「原爆の母」と名指されたリーゼ・マイトナー、それから一方でラジウムのペイントの工場で働き被曝したラジウム・ガールズたち、“放射能”にまつわる女たちのことも記したいです。

聞き手・構成/トミヤマユキコ

1979年生まれ。ライター、大学講師。ライターとして「週刊朝日」「文學界」「ESSE」「図書新聞」などで書評やコラムを執筆。また、都内複数の大学で、少女小説、少女漫画についての研究・講義を行っている。執筆と研究のかたわら、パンケーキの食べ歩き、ミックス粉の食べ比べ、関連書のコレクションを2010年頃から続け、リトルモアより刊行された『パンケーキ・ノート』が大きな話題となった。