A is for Asexual 川野芽生

A is for Asexual | 川野芽生

Kawano Megumi

#05

付き合うって何なんだ(前編)

 前回の最後に「『恋愛』ってかなり成立要件が厳しい」と書いた。

 「付き合う」とか「恋人」とか「恋愛」という概念自体がよく分からない。「付き合ってほしい」と言われると、「まず、『付き合う』って何?」と私は思う。その内容をはっきりさせないことには、諾も否もあったものじゃない。

 私は、色々考えた末にアロマンティックを名乗っているけれど、そもそも「ロマンティック」って何?と思う。

 他者と親密な関係を築くこと自体はやぶさかではない。相手が私と親密な関係を結ぶことを望んでいるのなら——私は「友達」という言葉で包括される関係ではいけないのだろうかと思いはするものの——相手が「付き合う」という言葉で呼んでいるものの中で、自分が合意できる部分、妥協できる部分があるかもしれない。一般的に「恋愛関係」と呼称されるものとは違ったものになるだろうけれど、互いの望む関係性のすり合わせをすることは可能かもしれない。と、思っていたこともある。

(そういう意味では、「クワロマンティック*」という言葉の方が相応しいかもしれない)

 というわけで、「付き合ってほしい」と言ってきた人や、「何で恋人を作らないの?」と訊いてきた人などに、「『付き合う』とは、『恋人である』とはどういう状態を指しているのか」「あなたの言う『好き』とはどういう意味か」とヒアリングしていたことがある。

 その結果、私の聞き込みの範囲内で分かったことは、「人によって、『付き合う』の意味は違う」「しかし、自分にとっての『付き合う』の定義をはっきりさせている人は少ない」「多くの人は自分にとっての『付き合う』の内容は言葉にしなくても共有されると思っている」ということだった(年齢が上がったり時代が変わったりして、今はもう少し違うのかもしれないけれど)。

 

 その中で、一番理解するのが難しく、そして衝撃だったこと、それは、「恋愛関係にあれば、性的な関係を持つのが当然である」という認識をかなりの人が持っていたことだ。

 これは、「それは当然でしょ」と思う人と、「えっ、何それ!」という人で結構分かれるんじゃないかと思う。

 そんなの、言ってもらわないと分からないよ!と、私としては思う。「好きです、付き合ってください」にそんな条項が含まれてるなんて聞いてない。交際開始前に明確に言語化して確認を取れ。

 

 ここ十年ほどで「性的同意」という概念がかなり浸透したし、交際関係や婚姻関係にある相手であっても同意のない性的行為は性暴力であるという認識が広まったので、このへんの私の経験と聞き込みの結果はもう昔話になっているかもしれないし、そうだといいなと思う。

 けれど、少なくとも当時がんばって理解したのは、「交際に同意した時点で、遅かれ早かれ性的な関係を持つことに同意したことになる」「交際関係にあるにもかかわらず性的な関係を持つことを拒絶するのは相手が可哀想」「性的な関係を持たないなら、交際する意味がない」という認識を、ほとんどの人が妥当だと思っているということだった。

 それなら、最初にそう言ってくれ。それを説明せずに「付き合ってほしい」と言われても、困る。

 というのも、「付き合ってほしい」と言ってきた人たちも、「あなたの言う『付き合う』とはどういうことなのか、友達でいるのとはどう違うのか」というヒアリングを始めてから数時間〜半年ほど経過するまで、その点について口にしなかったのだ。

 

 ある人には、最初に(数時間のヒアリングの上で)交際を断った時点では「ちゃんと付き合うという形を取らないと、自分はあなたに対して『遊んで』いることになる」「ただ、あなたの隣に並んでいられる関係になりたかった」と言われ、「いや〜別に、隣に並べばいいんじゃないですか?」と思ったのだけれど、半年ほど後に再び告白された時に、「あなたと特別な関係になりたかった」「あなたがまだ早いと思うなら、自分は待つ」と言われた。その時はもうそれ以上聞きたいとは思えなかったし相手を振り切るのに必死だったのだけど、「今、『特別な』ってところに傍点がついてた気がするな……」「『待つ』って何なんだろうな……」「『特別な関係』というのは、単に(文字通り)『特別』な(文字通り)『関係』ということではなくて、多分性的な関係を含む恋愛関係のことなんだろうな……」「単に『交際関係になる』『互いに相手のことを特別に思う』という意味なら、いくら向こうが年上とはいえ、『まだ早いと思うかもしれない』とはこの歳で言わない気がするな……」「『待つ』ってことは、『遅かれ早かれ性的な関係を結ぶことになる』という前提だよな……?『待った結果、そのような関係には至らなかった』という想定はしていないってことだよな……?」「『隣に並んでいたかった』とはだいぶ異なるのではないか……?」「あ〜、『遊んで』いることになる、というのは、性的な関係を持つことを前提にした言葉だったのか……?」と、半ばは走って逃げながら困惑した。

 「ただ隣に並んでいたい」と言われた時点で「そうですか!じゃあ、隣に並んでいいですよ」と承諾した場合、何を「待たれ」ているか知らないままで「待たれ」ていた可能性があるっていうこと? それで「こんなに待ったのに」と言われても、いや聞いてないよってなるよね。

 いや私の深読みでやっぱり単に(文字通り)「特別」な(文字通り)「関係」って意味だったんだろうか……? 今も思い返すと困惑してしまう。

 

 それでも、「特別な関係」という言葉である程度察することができた(かもしれない)のは、その半年の間に別の人(Bとします)に言い寄られたからで、その相手とは「何で友達じゃ駄目なの?」「君を守りたいから」「いや、守るって、何から?」といったやり取りを延々と重ねた末に、数時間後に「僕は君と手を繋いだり、キスしたり、うにゃうにゃうにゃ……(言葉を濁しつつ)をしたりしたいから」と言われて、いや聞いてないな!となったからだった。

 Bはそれまでも一方的に身を寄せてきたり体を触ってきたり手を握ろうとしてきたりしたので、意味がわからなくてそのたびに振り払っていた。私はそもそも「人の体に触りたい」という欲望があることを全く理解していなかったので、「何なんだこの人?」と思っていたけれど、「性的なアプローチに対してNOを言っている、と相手が認識できるような態度」を取ることができなくて、そのせいでエスカレートさせてしまったのかな、とその後何年かは自分を責めていた。いや、振り払ってたけど!と今なら思うし、不快に思ってるとか困惑してるとかはさすがに見て分かっただろ……と思うし、それくらいのことも見て分からないならそんなに踏み込んだ非言語コミュニケーションに挑戦するなよ ……と思うし、乗り気でない相手にすることじゃないだろ……と思うし、恋愛を巡る話題が出るたびにこちらは「そういうのは全然興味がないし理解もできない」と明言してたんだからその言葉を言葉通り理解するのがそんなに難しかったか?と思う、今なら。今ならそう思えるんだけど。

 「手を繋いだりキスしたり(中略)したりする関係になりたい」とこちらが思っているかどうか、一度でも考えなかったんだろうか……。

 その時、本当に彼我の認識の差に私は衝撃を受けたのだった。その前に私は「何で体に触ってきたりするの?やめてほしい」と伝えていて、その「何で」は修辞疑問文ではなくて文字通りの疑問だったのだけど、互いにまったく理解できてなかった模様だ。まあ、相手からしたら、それくらい恋愛にも性にも関心のない同年代の人間がいるというのは理解の範疇の外だったのだろうし、私は宇宙人みたいなものなんだろうなともその後思ったのだけど、理解できなくても宇宙人でも、少しでもこちらを尊重する気があったらそんなことはしなかっただろうと今となっては思うな。

 という怒りが湧いてきてしまうのだけど、「性的な関係を結びたい」と思うなら、「好き」とか「付き合う」とかふんわりした言葉で誤魔化さないで、確認を取った方がいいと思う、という話。でもそんな確認が必要だとは夢にも思わない人だから、一方的に体に触ってきたりしたのだと思う。とにかく、時間が経って少しずつ理解できるようになってぞっとしたのは、一緒に遊びに行ったりしただけで「デート」と認識されていて、「デートしている」ということは「≒恋愛関係にある」ということだと思われていて、「恋愛関係にある」ということは「≒性的関係に同意している」ということだと思われていて、そういう認識の中で体を触られたり密着されたりしていた、ということで、それは「デートレイプ」という概念にかなり近いところにある状況だった、ということだった。

 「友達だと思ってた人に告白されて困っている」という相談をした時には「またか〜」みたいな顔をしていた知人(その頃私の周りには、そういう悩みに真面目に取り合ってくれる人がいなかった)が、話を聞くうちに真顔になって、「危ないからもう二度とそいつと二人きりになるな」と口にし、しかしその時の私には「危ない」ということの意味が本気でわからなかったのだけど、今となっては、想像したくもないな、と思う。「本当に恋愛に興味がないかどうかは付き合ってみないとわからないはず」「ためしに付き合ってみてほしい」「君が僕を好きでなくても構わない」といった相手の言葉を私が真に受けて「じゃ、付き合ってみるか〜」となっていた場合に、どういうことになっていたか、なんて。

 

 こういうふうに書くとBはめちゃくちゃとんでもない人に見えるだろうけれど、彼はむしろ信望があつく、「紳士的」「真面目」「いい人」といった評価を受けていたと思う。そしてまあ真面目であるがゆえに「ちょっとくらい強引な方が恋愛は上手くいく」とか、「嫌よ嫌よも好きのうち」といった話を真に受けて、真面目に実践したんだと思う。だから彼だけの問題じゃないのだ。

 

 さて、言えよ、とか、確認を取れよ、と書いてきたけれど、彼らがわざと本心を隠していたとか騙していたとは思っていなくて、ある程度は「当たり前すぎて言う必要があるとは思っていなかった」のだろうし、ある程度は含羞によるものだと思う。そういう話をするのはまあ、多くの場合、含羞を伴う。ということを理解できないわけではない。私自身、アセクシュアルで性嫌悪があって、性の話するのだいぶ嫌だもの。嫌なんだけど、望まない性的な関係に巻き込まれることを避ける(というか、もっとはっきり言うと性暴力になるべく遭わないようにする)ために、話さざるを得ないから話しているわけで、「恋愛に興味がないです、性的なことに興味がないです」と自己開示しているわけで、それなら恋愛や性愛を積極的にやる意思のある人はなおさらちゃんと開示するべきじゃないかなあと思う。

 

 ここで疑問を持つ人もいるかもしれない。「私はあなたに性的な欲望を伴うタイプの恋愛感情を抱いており、ゆくゆくは性的な関係を結ぶことを前提として、交際したいと思っている」なんて伝えたらセクハラになるのでは?と。

 なると思う。

 少なくとも私は「怖……」と思う。

 じゃあどうすればいいんだよ、と思われるだろうな。

 でも、それを言わなくても当然通じるということになっているのであれば、つまり「好きです、付き合ってください」と言われて「ゆくゆくは性的な関係を結ぶことを前提として……」という含意を読み取らなくてはならないのだとしたら、「好きです、付き合ってください」も当然セクハラだと思う。そりゃそうでしょ。

 私は「好きです、付き合ってください」と言われても「怖……」と思う。

(そもそも「恋愛関係にあったら性的関係になって当たり前」みたいな考え方をやめてほしい)

 そんなことを言われたら誰も恋愛なんてできない、と言われるだろうなと思う。でも私はそれで全然困らないんだよね。恋愛や性愛をしたい人が多数派だからといって、恋愛や性愛を成立させるためのステップなら免罪しなきゃいけないなんてことはない。

 とだけ言うと無責任に聞こえるかもしれないけど、「絶対に加害にならないやり方」なんてどこにもなくて、ただ、より大きな加害を避けるために、より害の小さそうなアプローチを取る(たとえば、同意を取らずに性的行為に及ぶよりは、相手の気分を害する可能性があっても同意の有無を確認する)しかないんだと思う。

 それは恋愛や性愛に限らず、他者との関係すべてについて言えることだと思う。

 

 さて、「『付き合う』って何なんだ」ということで、「付き合う」に含まれていると考えられがちな要素その一の話をしていたらだいぶ長くなってしまったけれど、別にこの要素がすべての人にとって「付き合う」の必要条件ないし十分条件になっていると言うつもりはない。

 たとえばアセクシュアルでありアロロマンティックである人にとっては、ロマンティック・ラブはセクシュアルな要素抜きで完璧に成立している。アロセクシュアルでアロロマンティックである人の多くにとっては、ロマンティック・ラブとセクシュアルな要素は不可分であるとしても。

 というか、「付き合う」とか「恋愛」といったものの本質をなすただひとつの要素、みたいなものがあるとは私は思っていなくて、複数の要素がありつつそのどれも必要条件でも十分条件でもない、という感じで捉えているのですよね。

 私は「あなたにとっての『付き合う』って何ですか?」って訊いていって、「性的な関係」が外せないものとして出てきた時点で「それは無理だし、その点で折り合うことはできないな」と分かったので、恋愛関係というものを結ぶことを一切しなかったのだけど、じゃあ、アセクシュアルでありアロロマンティックの人に出会っていたらどうだったんだろう? 聞き込みをする中で、「性的な関係」という要素が挙げられるまでに色々な要素が出てきたのだけど、それに対しては私はどう思ったのか、恋愛関係を結ぶ可能性はあったんだろうか、という話は後編に譲りたい。

*クワロマンティック……「クワ」はフランス語の«Quoi?»(「何?」という意味)から来ている。「恋愛って何?」と感じる人のこと。恋愛的魅力と他の魅力の区別がつかない、区別する必要を感じない、恋愛的指向という概念が自分に当てはまらないと感じる、といった人などが含まれる。