昼休憩のあいだ、居場所がない。しっかり1時間休憩をもらえるだけで十分ありがたいのだけれど、職場内に自分のデスクや休憩室がないため基本的にパートは外に出ることになっている。
あたたかい季節には公園のベンチでピクニック気分でお弁当を食べたり、遊歩道を散歩したりと最高だ。しかし、寒い日はじっとしていると凍えてしまう。冷たい雨が降ってきたので線路下の地下通路で雨宿りしながらおにぎりを食べたこともあったが、そこを通る人からしたら、薄暗い地下通路の隅でおにぎり片手に立っている女の存在はさぞ怖かっただろう。
そんなときに見つけたオアシスが、スーパーマーケットの2階にある衣類フロアだった。衣類といってもユニクロなどのファストファッションブランドが入っているフロアではない。母親が入院したときに着ていたような小花柄のパジャマや、おじいちゃんの着けていた腹巻き、おばあちゃんの着ていた薄紫色のペイズリー柄のブラウス、猫柄の布団カバーなど、そこに人間の生活があるという実存感溢れるタイプの衣類フロアである。
凍える街で居場所を失いかけていた自分の目には、パジャマや腹巻きはマッチ売りの少女の見たストーブや七面鳥の丸焼きの幻影ように、あたたかな光に満ちたものに映った。1階の食品フロアは賑わっているけれど、平日の昼間ということもあり2階にはほとんど人がいない。
中でも寒い日に足が向くのが、厚手の靴下やババシャツなどのあったか商品が集まったコーナーだ。男性用コーナーに行くと、「瞬暖」や「爆熱」「無敵着」といった頼もしいキャッチコピーが並んでいる。寒さなんて、とりあえずぶっ潰せばいいんだろという気概があって、見ているだけで力が湧いてくる。
女性用コーナーでは、比喩を使ったキャッチコピーがトレンドなのだろうか。ルームシューズは「ラグのようなフカフカな心地よさ」、靴下は「まるで毛布!のような暖かさ」など、ルームシューズをラグに、靴下を毛布に喩えている。これは短歌をやっている人間の悪い癖かもしれないが、喩えるものがちょっと近すぎやしないかと思う。どうせなら「イエティに抱きしめられたような心地」「まるでおでんのもち巾着を履いたような暖かさ」くらい離れたものに喩えたくなる。
ちょっと意外な感じがしたのが「とろける肌ざわり」「とろみコットン」といった、「とろみ」を主張した商品だ。それなら「蟹あんかけを纏ったような」はどうだろう。ふわふわでとろとろで幸せな気分になれそうだ。また、こんな靴下もあった。「天使たちのハグ」。履くと「ほっこり天上の恵み」がもたらされるという。さすがに汚れなき天使に足へのハグを求めるのは申し訳ないので「大型犬たちの腹の下」くらいで勘弁してほしい。
短歌人間としてこれは素晴らしいと思ったのは、ルームシューズにつけられた「裏ボアで足元ぽかぽか履くホカロン」。川柳っぽいリズムが心地よい。「ぼ」「あ」「ぽ」「か」「は」「ほ」とあたたかいイメージの音の畳み掛けによって、本当に「ぽかぽか」と発熱してくるようだ。隣には「履くホカロン履いた瞬間暖かい」というのもあった。こちらも語感が気持ち良い。
ところで使い捨てカイロのパッケージで見かけるイメージキャラクター「ホカロンおじさん」のことが気になっている。恵比寿様のような福々しい顔のおじさんが『アラジン』の魔法の絨毯の上に座っているのだけれど、よく見ると湯気が出ているので載っているのは絨毯ではなくホカロンである。だいたいカイロのイメージキャラクターといったらマフラーを巻いた動物が定番なのに、なんでベスト姿のおじさんなのか不思議だった。でも考えてみたら昔の人にとっては火も電池も使わないのに発熱するカイロなんて、まさに魔法みたいだと衝撃を受けたことだろう。
ホカロンおじさんのイラストの下には小さな文字で「みんなにあったかい」と書いてある。働いている人にも遊んでいる人にもひとりで寂しい思いをしている人にも、誰にでも分け隔てなく「ぽかぽか」を届けてくれるヒーロー、それがホカロンおじさんなのかもしれない。
さいごまで守ってくれたホカロンの
死後硬直をやさしくほぐす