いつからか「ギスギスする」を略した「ギスる」という言葉を耳にするようになった。「ギスギス」という響きは、なにか角張った固いものが擦れ合うかぶつかり合うかして、不穏な音を立てているようなイメージを想起させる。
この頃の私はまさにギスりすぎ状態だ。生活の中で一番ギスる場面といえば、夕食の準備のときである。もちろん忙しい日はスーパーのお惣菜に頼るのだけれど、電子レンジの加熱で溶けそうな容器だった場合、お皿に移さなければならない。やれやれ、もっとたくましい容器であってくれよと文句を言いつつ皿にラップをかける。ふと見るとチン待ちの冷凍ご飯や昨日の残りの煮物がずらずら渋滞している。その間にも味噌汁の鍋を温めたり、箸やお茶を出したり、うわー、テーブルの上がノートパソコンや土人形制作の道具で埋まってる。ぎゃ! そういえば洗濯物が外に出しっぱなしだ! そうこうしているうちに味噌汁の鍋がぶしゅぶしゅ煮立っていたりと、段取り下手の人間にとって夕食の準備は難易度が高い。
この時点ではまだ「わたわた」といったところだが、そこに「早く食べて土人形作業の続きを終わらせて風呂に入って、せめて3時には寝ないと明日寝坊しそう」「また今日もメールを返せなかったな」など、仕事相手に迷惑がかかりそうな不安が積み重なってくると「わたわた」が「カリカリ」に進化する。そして、一緒に暮らしているSの存在もある。「準備できてなくてごめん」という罪悪感や「手伝ってくれればいいのに」という期待、「なんだか不機嫌そうな顔してるぞ」という恐れが合わさると、ついに「カリカリ」は「ギスギス」になるのだ。「わたわた」は可愛げがある。「カリカリ」も、角張ってきてはいるもののまだ手懐けられそうな雰囲気はある。「ギスギス」は凶暴で手におえない。
そんな今、ハマっているゲーム配信動画がある。「ロングコートダディ和尚のゲーム念仏」というYouTube番組の、マユリカがゲストの回だ。プレイするのは、お客さんから注文される料理を制限時間内にどんどん提供する料理アクションゲーム「オーバークック2」。クリアするには4人で力を合わせなければならない。私の目には、これは「ギスギス」を乗り越える物語であるように映った。
刺身などの簡単なステージをクリアして工程の多い巻き寿司が加わると、「(キュウリ担当するって言ったくせに)ぜんぜん切ってないやん」「切ってましたよ! 臨機応変に海老出したりしてましたよ!」「キュウリだけ切っといてくれ」「予想外の動きしたら輪を乱すから」と出来ていない人が責められギスギスした空気になってくる。かといって言われた通りキュウリだけ切っていると、「魚も切れや」「自分が仕事したつもりになってるだけ」「みんなのためになってない」と言われるのだ。新人飲食バイトでよく見る光景である。
そんな時には「次から敬語にしないっすか? みんな腹立ってくるから」と良いアイデアが出てくるのがさすが芸人。4人は友達同士じゃなくてバイト仲間。それも全員がヘルプで来た初対面という設定がさらさらと決まる。すると次のステージでは「こっち手空いてまーす」「提供してください」「何かほしいものあったら言ってください」と掛け合いがスムーズになり、自分のミスも「すみません」と素直に謝れるようになっていた。敬語は堅苦しく面倒なイメージがあったが、むしろ雰囲気を和やかにする便利な道具なのだと教えてもらった気がする。
さらにステージの難易度が上がり煮詰まってきたときには、動画視聴者のコメントが風穴をあけてくれることもある。「焦げてたら担当者じゃなくても助けてあげてください」「注意だけじゃなく、感謝もするといいと思います」困っている人は助けましょう。ありがとうを言いましょう。と幼児期から教わってきたあまりに当たり前すぎることだが、職場の人や家族に対してずばり言ってやりたいと思う人は多いのではないだろうか? 大変そうだと気付いているのに見て見ぬ振りをしたり、他責思考になったり、私も身に覚えがあることだ。当たり前のことが当たり前にできたらいいのに。
Sがいつものように帰ってきたので、4人を見習って感謝を意識してみた。仕事帰りにスーパーに寄ってくれたらしい買い物袋を玄関まで受け取りに行き、「買ってきてくれたの? ありがとう」「わっ、たけのこの煮物とクリームコロッケ、春らしくていいね」「パンもある! 安定の超熟5枚切り、ありがとう」と声に出してみる。事情を知らないSは無反応だ。こんな時は脳内にイマジナリー視聴者たちを思い浮かべてイマジナリーコメントを寄せてもらうといいと思う。「感謝できたね、ナイス!」「成長してる!」「まずは時間のかかる冷凍ご飯をチンしよう」「その間にテーブル片付け」「味噌汁は弱火にしとこ」と、コメント欄がどんどん更新されていくイメージである。イマジナリー視聴者たちは、この世界の外側から見守っていてくれる私のファンだ。惣菜パックに皿を被せてひっくり返し、パカっとコロッケを皿にのせただけで「おおっ有能すぎる!」と褒めてくれる。そして段取りの悪ささえ「無駄に行ったり来たりしててかわいいwww」と笑ってくれるのだ。
家族って煮詰まりやすいらしいから
バーナーで炙ってキャラメリゼする