美の女神・ビーナスの命を受けた西風の精ゼフィルスによって思い出をうばわれ、時空を超えてさすらいの旅をつづけることになった伝説の一角獣の子ども“ユニコ”。
ユニコは、自分を愛してくれる者のためなら、不思議な力を出すことができます。
インディアンの世界、中世ヨーロッパの城、近代ヨーロッパの森、妖精の国、ロシア帝国など、行く先々で出会う人々が愛してくれさえすれば、ユニコは自分の力でその者たちへ幸せをもらたすのです。
しかし時代と場所をさまようたびに、ユニコは記憶を消され……ユニコが、人々に幸せをもたらしながら時空を超えて旅をするファンタジー。
「ユニコ」がスタートした一九七六年は、「ブラック・ジャック」や「三つ目がとおる」の少年週刊誌二本、隔週刊誌一本、「火の鳥」「ブッダ」その他にも二本の月刊誌連載、そして毎週新聞で「どろんこ先生」と、月産三百ページ以上の連載をかかえていました。またTVアニメの原案や手塚原作の映画にも関わり、なおかつ文章原稿、その他、出張、講演等、常識では考えられないどうみても不可能な仕事量をかかえていました。
にもかかわらず『リリカ』の創刊の話がおこり、「ユニコ」の連載は開始されました。
手塚治虫という人の私の印象を一言でいえば、エネルギッシュな人ということです。よくオーラがある、という言葉を聞きますが、手塚治虫はまさにそういう人でした。常に締め切りに追われながら、その限られた時間の中でも最高の作品をつくろうとしました。けっしてあきらめず、残り1分でも最後のちからをふりしぼる、いつもそういう創作姿勢でした。手塚治虫は台風の目のような存在で、まわりの人たちはその嵐の中に巻き込まれていく、そんな感じでした。
手塚先生のカラー原稿がすべて、子どもが普通に手にする水彩絵の具によるものだと知ったら驚かれるのではないだろうか。しかも使われているのはたったの11色。
2色ずつ組み合わせて、たとえば赤と黒でエンジを、水色と緑でソラミドリを、というようにまず何十もの色を作り出す。それらを何段階もの濃さで塗り分け、ムラなく重ね、透明水彩ではないのに澄んだ色のまま仕上げていく。先生の指示に従い何工程も経て最終的に現れる絵は、鳥肌が立つほどの美しさだ。
先生の頭の中には最初から、この完成された色があったのかと、いつも感動させられた。
「ユニコ」はいろいろな実験が試された作品です。全編オールカラー、左から進むコマ、タテヨコが大きく断ち切りの外側まで、余白なしに描かれた絵。掲載時の条件を最大限に生かして、存分に物語の羽を広げたファンタジーです。奥行きのある美しい森や空を背景に、自在に飛びまわるユニコのかわいさ愛くるしさ。
感動を蘇らせてもらうことができて、私もとてもうれしいです。
1928年11月3日、大阪府生まれ。本名、手塚 治。
1946年4コママンガ『マアチャンの日記帳』でデビュー。
1947年ストーリーマンガ『新寶島』を発表。新しいマンガの時代を築いて常に戦後マンガ界の第一人者として活動すると同時に、後進のマンガ家達にも多大な影響を与える。
1962年に虫プロを結成し、1963年国産初の30分連続TVアニメ『鉄腕アトム』の放送を開始する。アニメ分野の開拓・発展にも多大な功績を残す。
1989年2月9日、60年の生涯を閉じる。
主な作品:『ジャングル大帝』(1950)、『鉄腕アトム』(1952)、『リボンの騎士』(1953)、『火の鳥』(1967)、『どろろ』(1967)、『ブッダ』(1972)、『ブラック・ジャック』(1973)、『三つ目がとおる』(1974)、『ユニコ』(1976)ほか