欠片かけらを探して
―――  日本映画の陋巷ろうこう

荻野洋一
Ogino Yoichi

灯台へ

(注:本稿は主人公たちの置かれた環境を明かしています。ご注意ください。ただし、謎の解明や結末については明かしていません)

人は死んでも消えない

 すばらしいファンタジー映画が誕生した。美咲(広瀬すず)、優花(杉咲花)、さくら(清原果耶)の3人は、まるでおとぎ話の三姉妹のように、けんかしながら仲良く同じ屋根の下に暮らしている。ディズニー映画のように。しっかり者の美咲、ムードメイカーの優花、末っ子で気分屋のさくら。3人が住む家も、おとぎ話の中の立地だ。渋谷の雑踏を抜けると、ひとけのなくなった草木深い路地に、突如として不思議な一軒家が現れる。見たところ、昭和初期に作られたモダン建築のようで、そこだけぽっかりと時間が止まっている。

さくら「どうせ誰にも聞こえてないのに……誰にも見えてないのに」

 

 物語は12年前の雪の日から始まる。その日、美咲、優花、さくらは凶悪犯罪に巻き込まれ、落命した。3人で共同生活を始めて、彼女たちは楽しく暮らしているが、誰にも彼女たちの姿は見えず、彼女たちの声も聞こえていない。それでも彼女たちは、その日その日を一生懸命に「生きて」いる。とはいえ本当はこんな単語は使いたくはないけれども、彼女たちは亡霊なのである。

美咲「こっちはこっちで元気にしてればいいんだよ。生きてたらこんなふうにしてたかな。こんな毎日だったかなって。思ってたとおりにしてれば良かったし、だから一緒に同じ景色を見てこれた」

 亡霊のファンタジーである以上、SF設定上のいわゆる「ツッコミどころ」を云々する議論ほど無益なものはない。これは死後の思念と現実社会が別のレイヤーにあることで生じるカルチャーギャップコメディでもあるのだから。別のレイヤーにあるはずのものが同一フレーム内に写ってしまうことで生じるトラジコメディ(悲喜劇)なのである。

優花「人間ってね、死んだら消えてなくなる、そう思われてたじゃない。なのにわたしたち、実際ここにいるでしょ」

美咲「まあ実際」

さくら「なぜかいるね」

優花「わたしたちは確かに存在してる。どうしてだろう」

 

 3人は、気象予報士の津永(声:松田龍平)のラジオ放送に注目する。

津永の声「音声周波数76.0メガヘルツ、出力20ワット、東雲しののめ海岸星ヶ崎送信所よりお送りしています……えっと、えー、あ、すみません、聞こえますか?」

優花「はい」

津永の声「そちらに死んでる方がいらっしゃるかと思うんですけど」

 

 放送を聴くと、この津永なる気象予報士も以前は亡霊だったのだという。そしてある方法で「帰ることに成功しました」と述べている。面白いのは、現世に戻ったはずの気象予報士から届けられるラジオ音声の方がむしろ、あの世からの死者によるメッセージにしか聞こえないことである。

 あの世からの音声メッセージ。ジャン・コクトーの『オルフェ』(1950)で主人公のオルフェ(ジャン・マレー)は、バイクに轢かれて死んだ詩人セジェスト(エドゥアール・デルミ)があの世からマイクで自作の詩を放送しているのをラジオで受信し、それを書き取って発表する。『片思い世界』の気象予報士が詩人セジェストと同類の存在であるならば、100時間後に「東雲海岸星ヶ崎灯台にて、お帰りをお待ちしています」という気象予報士の呼びかけに応じれば、彼岸/此岸の閾を越えられるかもしれない。

感情の無限

 指定された時間めがけて、3人は星ヶ崎灯台に向かうことになる。死者も、死者を思う者たちもみな、灯台へ向かう。それはなぜかというと、夜の海に一条の灯をもたらし、絶望を光に変えるからだろう。暗闇に亀裂を入れる一条の光とは、映画のことも指している。つまり灯台とは映画そのものである。希望であり、映画でもある光の発信元。美咲、優花、さくらは、はたして灯台で気象予報士の力を借りて、この世に甦ることができるのだろうか?

 しかし灯台は、目的に到達することが難しい場所の比喩的な符牒でもある。灯台をめぐる小説を書いた2人のイギリス人女性を思い出さずにはいられない。まず『灯台へ』のヴァージニア・ウルフ(1882-1941)。そしてもうひとりは『灯台守の話』のジャネット・ウィンターソン(1959- )。『灯台へ』は灯台に遊びに行くことを楽しみにしていた親子が、第一次世界大戦をはさんで10年間も足止めを喰らうし、『灯台守の話』は灯台に暮らした孤児の少女がやがて真実の愛を求めてひとり旅立つ。換言すれば、崖っぷちに建つ、吹きっさらしの灯台は、つねに人の願いの強さを表してもいるということになる。

 美咲、優花、さくらは灯台へ向かう。死者であることをやめるため? 願いを叶えるため? とにかく3人は灯台へと引き寄せられていく。しかし引き寄せられたのはこの3人ばかりではない。ウィリアム・ディターレ監督『ジェニーの肖像』(1948)、そしてマーティン・スコセッシ監督『シャッターアイランド』(2009)もまた、灯台へと引き寄せられていく人々の映画であり、両監督にとって代表作と呼べるものではないが、独特な魅力を秘めた、きわめて美しい作品である。

『ジェニーの肖像』は、売れない画家(ジョセフ・コットン)がニューヨークのセントラルパークで神秘的な少女ジェニー(ジェニファー・ジョーンズ)と知り合い、彼女のポートレイトを描いて画壇で成功するきっかけを摑む。しかしジェニーの恩師である修道女(リリアン・ギッシュ)から、ジェニーがすでに亡くなっていることを教えられる。なおも諦めきれない画家は、ジェニーの行き先を追って灯台へ向かう。嵐の中の灯台で、画家はジェニーと再会する。この映画では明らかに、灯台は生と死の臨界点に印づけられ、人と人の思慕、そして芸術への執念に終わりがないことを伝えるオベリスクとして屹立する。

『シャッターアイランド』はヒッチコック流のニューロティック・スリラーであり、絶海の孤島に着任した連邦保安官(レオナルド・ディカプリオ)が、捜査を進めるうちに、岬に建つ灯台が怪しいと嗅ぎつけ、灯台の中でおそるべき秘密を知らされることになる。そこにあったのは愛する妻(ミシェル・ウィリアムズ)を殺害した放火魔の正体をめぐる記録だった。

 偶然にも、いずれの作品においても灯台は、秘密の記録保管所として現れ、それがゴール地点と思いきや、そこで主人公たちの願望、妄執が岸壁に打ちつけられたとしても、粉々に砕け散ったりはせず、一条の光に照らされて乱反射を引き起こし、あらぬ方角へと散開する。灯台でジェニーと再会した画家は、こんどはどこへ向かうのか? 灯台で妻の死の秘密を知らされた連邦保安官は、誰を標的にするのか?

   万物は滅びるのでなく 変わりゆくものである

   時は行き過ぎるものでなく 巡るものであり

   過去と未来は 永遠に私たちと共にある

ウィリアム・ディターレ『ジェニーの肖像』エピグラフより

 そして、私たちが見てきた美咲、優花、さくらは灯台に着いたらどうなってしまうのだろう? それを明言することは本稿ではできない。しかしひとつだけ言えることがある。彼女たちの希望も、精神も、愛もつづく。消えないのである。「人間ってね、死んだら消えてなくなる、そう思われてたじゃない。なのにわたしたち、実際ここにいるでしょ」「こっちはこっちで元気にしてればいいんだよ」――彼女たちから漏れた言葉をいまいちど反芻する。ウルフ、ウィンターソン、ディターレ、スコセッシという、外部の固有名詞の助けを借りながら、『片思い世界』が思い出させてくれた灯台の精神史を素描した。灯台シーンのロケーション当日は天候に恵まれたという。美しい早朝の水景が眼前に広がっている。東の空にのぼる陽光を見つめながら、私たちはついこう口にしたくなる。「永遠」と。

   お話して、ピュー。

   どんな話だね?

   ハッピー・エンドの話がいいな。

   そんなものは、この世のどこにもありはせん。

   ハッピー・エンドが?

   おしまい(エンド)がさ。

ジャネット・ウィンターソン『灯台守の話』より(訳 岸本佐知子)

『片思い世界』

全国劇場にて公開中
監督:土井裕泰
脚本:坂元裕二
オリジナル劇中歌:「声は風」 
インフォーマルソング:FYURA「声は風」
出演:広瀬すず 杉咲花 清原果耶
/横浜流星/小野花梨 伊島空 
moonriders 田口トモロヲ 西田尚美 
©2025『片思い世界』製作委員会

今月のThe Best

PAINT IT BLACK

 黒魔術ならぬ黒美術である。
 この春、東京で黒美術をめぐる、クセの強い展覧会を2つ見た。板橋区立美術館の《エド・イン・ブラック 黒からみる江戸絵画》と、静嘉堂文庫美術館(丸の内)の《黒の奇跡 曜変天目の秘密》である。後者は三菱財閥の創始者一族による第一級の収蔵品を中心としているから当然のレベルだが、前者のイタクビはマニアックな美術ファンに一目置かれ、自治体系のミュージアムとしては、府中市美、世田美、千葉市美、練馬区美と並んでその優れたキュレーションで私たちを楽しませてきた。企画の異色さではイタクビがその筆頭に挙げられるべきだ。
 まずそのイタクビの《エド・イン・ブラック》。どうせ場内は水墨画だらけだろうと思いきや(いや、そういう展覧会も歓迎したいが)、「紅嫌い」(彩色を使わない)の浮世絵や、中国の拓本のような黒塗り・白抜きの版画が展示され、江戸美術における黒の多様な表現がくりひろげられる。影や夜のノワール表現は洗練の極みに達し、さらにはお歯黒や、江戸市中で流行した黒の着物にいたるまで「黒とは何か」が問われている。
 個人的に印象に残った作品は、俳人でもある与謝蕪村の『闇夜漁舟図』。漁師親子が焚くかがり火の白い煙が闇にあざやかに映えていた。狩野了承の『二十六夜待図』。夜の海のドス黒さが、わずかに顔を出した朝日によってやわらいできている。幻想的な諧調に惹きつけられた。
 いっぽう、静嘉堂《黒の奇跡》の呼びものは、中国・南宋時代を中心とする天目茶碗である。国宝・曜変天目を頂点として、今回展示された禾目天目、油滴天目、灰被天目などの黒い茶碗は、伝統的に本国の中国でよりも、日本で長く別格扱いされてきた。
 宋元以降の中国では、景徳鎮を中心とする白磁が数百年間にわたって隆盛を極めていき、天目茶碗の黒の高貴さは忘却の彼方に消えた。逆に、室町時代、足利将軍家や各地の諸侯が競って天目を買い求め、さらに、茶の湯が花開いた安土桃山時代では、天目が最上級の茶碗に君臨した。今回の静嘉堂の展覧会では、その流れの中から長次郎の楽茶碗が生まれたことを示唆する点で、思い切った解釈を提示したのではないかと思った。近年の中国では、天目茶碗の再評価機運がいちじるしい。しかし、真作と認められた完品の個体は日本に所在する3碗のみであり、そのすべてが国宝に指定されている。
 静嘉堂所蔵の曜変天目は、静嘉堂がまだ世田谷の奥にあった時代から、すでにいくどとなく見てきたが、今回も、ひときわ暗く照明の落とされた展示室に入って、あの異様にサイケデリックな文様が眼に飛びこんできた瞬間、ビリビリと震えが走った。
 ところで日本のアート史にはもうひとつ、「黒の衝撃」があった。COMME des GARÇONSとYohji Yamamotoが、1980年代のパリコレで当時はまだ禁忌的とされた黒服をもって衝撃を与えた。それは筆者の少年時代にあたり、両デザイナーの影響下で、もっと安価なブラックファッションがストリートに溢れた。筆者も10代のころは「カラス族」のひとりだったが、大学生になってからはそれを封印し、さまざまな色の服を着て周囲に溶け込むように努力してきた。
 ところがコロナ禍の自粛生活で孤独に苦しんでいた2020年、ためしに自宅内でヨウジの黒い服を着て一日中過ごしてみたら、魔法にかかったように心が落ち着き、異様な幸福感が全身を覆った。あの日以来、筆者は、周囲から「また着てるよ」と笑われるのをいとわず、ヨウジ系の黒服ばかりお守りのように身につけて出歩いている。