1980年、東京タワーの足下に銀色のドーム型テントが現われた。今や伝説として語られ始めているこの移動映画館シネマ・プラセットの初製作、上映作品が『ツィゴイネルワイゼン』である。噂が噂を呼び、動員観客数は単館上映としては異例の9万6千人を記録した。
内田百間(うちだひゃっけん)の「サラサーテの盤」ほかいくつかの短篇小説を、生と死、時間と空間、現実と幻想のなかを彷徨う物語として田中陽造が見事に脚色。士官学校教授の青地(藤田敏八)と無頼の友人・中砂(原田芳雄)を中心に、青地の妻・周子(大楠道代)、中砂の妻と後妻(大谷直子の二役)をめぐる幻想譚として描く。破天荒な中砂に翻弄される青地はいつしか現実と幻のなかに惑い、妻・周子が中砂に誘惑されほだされているという疑念に取り憑かれる。そんな矢先、中砂は「とりかえっこ」を提案する。なにをとりかえるのか…。そして中砂の死後もなお青地は見えない影に弄ばれる。奇妙な物語のまにまにサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」の音色が物悲しく響き、音色のなかに一瞬、微かな声が聞こえてくるが、何を呟いているのかはわからない。
出演/原田芳雄、大谷直子、藤田敏八、大楠道代、真喜志きさ子、麿赤児、樹木希林
監督/鈴木清順 原作/内田百間 脚本/田中陽造 撮影/永塚一栄 照明/大西美津男 美術/木村威夫、多田佳人 録音/岩田広一 音楽/河内紀 編集/神谷信武 記録/内田絢子 スチール/荒木経惟 製作/荒戸源次郎
1980年/シネマ・プラセット/144分/スタンダード



美しい女たちの愛と憎しみの渦に引き込まれてゆく主人公に、鈴木清順監督の大ファンだったという松田優作を迎え、あの世ともこの世ともつかない世界はいよいよその妖しさを濃密に醸し出す。真実の愛は死をもって成就するといいたげな女は「金沢夕月楼にてお待ち致します。三度びお会いして、四度目の逢瀬は恋になります。死なねばなりません。それでもお会いしたいと思うのです」という付け文を残し、心中を誘う。そんな女に翻弄される劇作家・松崎春狐=松田優作の姿が、華麗な色彩美のなかに白々と心もとなく彷徨い浮かび上がる。弱い男を演じる松田優作の魅力はここに極まるだろう。まやかしの世界を彩る大胆奔放な映像は、まさに映画という美しいまやかしそのものと言える。
原作は泉鏡花の同名小説。『ツィゴイネルワイゼン』に引き続き田中陽造が脚本を担当している。
出演/松田優作、大楠道代、中村嘉葎雄、楠田枝里子、原田芳雄、加賀まりこ、大友柳太朗、麿赤児
監督/鈴木清順 原作/泉鏡花 脚本/田中陽造 撮影/永塚一栄 照明/大西美津男 美術/池谷仙克 録音/橋本文雄 音楽監督/河内紀 編集/鈴木晄 記録/内田絢子 製作/荒戸源次郎
1981年/シネマ・プラセット/139分/スタンダード



大正浪漫を象徴的に生きた男に想を得て、清順美学はいよいよここに炸裂!芸術を超える芸術映画、はたまた娯楽を超える娯楽映画…まさに夢のような、希代まれなる傑作をつくりあげた。女たちとの愛憎を漂泊し、詩を画にうたいあげた画家・竹久夢二。芸術家ゆえの苦悩に悶え苦しみながら、かつ紙風船のごとく軽やかに色香をただよわせる男を、『カポネ大いに泣く』につづいて沢田研二が見事に演じる。駆け落ちを約束した恋人・彦乃(宮崎萬純)、逢瀬を重ねる人妻・巴代(毬谷友子)、奔放なモデルお葉(広田玲央名)といった女たちのあいだをゆきつもどりつする夢二。いっぽうで悪夢に取り憑かれ、底なしの不安に苛まれる。『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』同様、男は女に惑わされるが、沢田研二の夢二はどこか明るく飄々と振る舞い可笑しみを誘う。紅葉の金沢で、血に染まる湖、殺人鬼の棲む山を背景に、なぞなぞのような怪しげな日々はいかに終りを迎えるか。
宝塚歌劇団でトップを極めた毬谷友子が映画初出演、『青春の殺人者』『太陽を盗んだ男』の監督ゴジこと長谷川和彦が俳優デビュー、そして坂東玉三郎は初の本格的な「男役」での登場と、清順映画ならではの豪華な顔ぶれがスクリーンを彩り、いよいよ華麗な、目も綾なスペクタクルの花火が打ち上がる!

出演/沢田研二、坂東玉三郎、毬谷友子、宮崎萬純、広田玲央名、大楠道代、原田芳雄、長谷川和彦、麿赤児
監督/鈴木清順 脚本/田中陽造 撮影/藤沢順一 照明/上田成章 美術/池谷仙克 録音/橋本文雄 音楽/河内紀、梅林茂 編集/鈴木晄 記録/内田絢子 洋装/永沢陽一 写真/荒木経惟 製作/荒戸源次郎
1991年/荒戸源次郎事務所/128分/ヨーロッパ・ヴィスタ




鈴木清順(すずき・せいじゅん)
1923年5月24日、東京日本橋生まれ。本名は清太郎。43年に学徒出陣により応召。復員後の48年、旧制弘前高等学校卒業、松竹大船撮影所の助監督試験に合格。同期に松山善三・井上和男・斎藤武市・中平康などがいる。54年、製作再開した日活に移籍し滝沢英輔・山村聰・佐伯清に就いたのち、野口博志に師事する。56年、本名で『港の乾杯 勝利をわが手に』で監督デビュー。58年に鈴木清順と改名。プログラム・ピクチュアの巧い作り手として評価され、以後名作・快作・佳作を連打する。67年に発表した40本目の作品『殺しの烙印』が当時の日活社長=堀久作の逆鱗に触れ、翌年4月日活から一方的に専属契約を打ち切られる。同時期、シネクラブ研究会が清順作品の上映を計画するも、堀社長はプリント貸出を拒否。それによって映画関係者やジャーナリズムを巻き込んだ「鈴木清順問題共闘会議」が発足(71年12月に和解)。この間、70年にフジテレビ「恐怖劇場アンバランス」の一環として監督した「木乃伊の恋」(放映は73年)やCMの演出、シナリオなどを執筆。77年『悲愁物語』で劇場用映画に復帰。80年に発表した『ツィゴイネルワイゼン』、続く『陽炎座』(81)、『夢二』(91)の三作が“大正ロマン三部作”として国内外で評価される。また「日本映画監督協会俳優部」を自称し、「美少女仮面ポワトリン」など、俳優としても数々の映画・テレビに出演する。01年には『殺しの烙印』を自らリメイクした『ピストルオペラ』を発表。さらに05年、長年温めてきた企画『オペレッタ狸御殿』をチャン・ツィイー、オダギリジョ−主演で公開。