- Director 's Profile -

奥原浩志(おくはらひろし)
1969年生まれ。
ICU(国際キリスト教大学)卒業後、武蔵野映画劇場(現・吉祥寺バウスシアター)でのアルバイト中に映画に魅せられる。
93年、初めての自主製作映画を完成させる。その8mm映画『ピクニック』(脚本・監督・編集)が、
PFF(ぴあフィルムフェスティバル)で、観客賞とキャスティング賞をW受賞する。
翌年、完成させた『砂漠の民カザック』(脚本・監督・編集)もPFF・録音賞を受賞。
99年、第9回PFFスカラシップ作品として『タイムレス メロディ』(主演・青柳拓次、市川実日子)で劇場映画監督デビュー。
『タイムレス メロディ』は釜山国際映画祭において日本映画として初のグランプリを獲得し話題となった。
他にロッテルダム国際映画祭、香港国際映画祭にも正式招待された。


連続西伊豆小説 「波」
その1

「波ってどんな映画なんですか?」彼女が僕に聞く。ストローに顔を近付けてカシス オレンジをひとくち啜り、彼女は僕を見る。なにかというとカシス入りの飲み物を注 文する女。僕は彼女たちを一つのカテゴリーに収める。カシス女。どんな女かと言わ れても答えようがない。カシス女はカシス女だ。僕は窓の外を見る。雨が降っている。 東京に地方に大雨が降り続けて/喫茶店に居続けることもあるさーあるさー。僕は心 の中で口ずさむ。梅雨前線の到来。テレビの天気予報で見た天気図を思い描く。それ は恰も日本代表フラットスリーのごとく日本列島を駆け上がる。梅雨前線のオフサイ ドトラップ。僕は考える。梅雨前線がオフサイドトラップを仕掛けたならばオフサイ ドとなるプレーヤーはいずこに?。新幹線で広島あたりに降り立った自分の姿を想像 する。「しまった。広島は晴れてるじゃないか」。

「波ってどんな映画なんですか?」彼女はくり返す。僕は我に返る。
「波ねぇ・・・」
「そう、波」
「波か・・・」僕は自嘲気味に笑ってみせる。「何、この人、嫌な笑い方」彼女はお そらく口には出さずにそう呟く。と思うと僕は急に自分のことが嫌になり、彼女に対 してポイント奪回のアピールをするべきじゃないかと思う。
「その飲み物、なんだかすごく美味しそうだね」興味津々な僕の真似。
「飲んでみる?」彼女の目が輝く。けっこういい女じゃねーかよ。僕は身を乗り出し てストローをついばむ。「うーん。すげーうまい」
「じゃ、あげる」彼女は僕にグラスを押し付ける。予期せぬ結末。

「波ってどんな映画なんですか?」彼女は懲りずに聞く。
「観ればわかるよ」僕は素っ気無く言う。この手の問答はそう言うと必ず終わるよう に出来ている。彼女はどこだか知らない方角に視線を向ける。10秒経過。15秒・・・ 20秒・・・。そして再び向き直る。
「波ってどんな映画なんですか?」
「え?」
「どんな映画?」
「知りたいの?」
「知りたいから聞いてるの」
人は経験則によって処理できない事態に直面する時がある。僕にとって今がその時。 「だから観ればわかるって」
「わかんないかもよ」
「わかるよ」
「だって前の映画、観たけどよくわからなかったよ。なんだっけ?タイムレスなんと か」
「うっ・・・」僕は言葉に詰まる。動揺する。彼女の若さに目が眩む。世の中で最も 無自覚な振りが許されている人間を自分が相手にしていることを思い出す。細胞。僕 の身体の億千万の細胞達よ。やべーよ、みんな・・・。と、その時(!)僕の心に歌 声が響く(!)。甘く切なく寂しげな歌声(?)。それはまるっきり夜の国道136号 線のようであったはずなのに(♂)。どうしてこんな所であの歌声を聴くの(?)。
「さよならは別れの言葉じゃなくて〜。再び逢うまでの遠い約束〜」。僕は歌った。 彼女の目を見据えて歌ってやった。しばしの沈黙。そして固く閉ざされた氷河がゆっ くりと動き出す。「なあに?その歌?」。彼女は首をかしげ、親しげに笑うとそう言 うのだった。


その2

  夏の終わりの夜の静けさが西伊豆地方一帯を占拠していた。遥か上空何万フィートで はカーナビゲーションの任務を受けた人工衛星が一台の車も見逃すまいと機械特有の 冷徹な眼を光らせているはずだったが、そんなことを知る由もない僕の可愛い銀の小 豚ちゃん=スバル・サンバーは国道136号線を南に向けてひた走っていた。川沿いの 道を下り、土肥の町に出る。土肥ヌードスタジオの前にはいつものように客引きの男 が立っていた。訳あって彼は故郷盛岡を後にした。以来30数年。夜が終わり朝が来て そして夜がまた来る。いろんなことがあったかもしれないしなかったかもしれない。 いずれにせよ彼は立ち続ける。まるで昨日ここにやってきたばかりであるかのように。 さらに僕は知っている。全部やっても3000円やらなくても3000円。ぴあにも東京ウォー カーにも載ってない僕だけの極秘情報。舞台の上で客の視線を浴びながら南米女とフ ァックするのも悪くないね。僕は僕の可憐な銀の子豚ちゃんに語りかける。シャイな 子豚ちゃんはいつものように黙ってる。いつもよりちょっぴり優しげに黙ってる。

「僕のタイプはね、優しくて寡黙な女の子なんだ」
夕暮れが秋の東京の空を染めている。降り続けていた雨は僕の回想シーンの合間にすっ かり上がっていた。映画などではよくあること。
「聞いてる?。僕が好きなのは優しくて寡黙な女の子なんだよ」
伏せ目がちに僕は言う。僕を見る彼女の目がまるい。彼女は思う。ひょっとしてこの 人、頭がおかしいのかしらん?
「どうしたの?おとなしいんだね、君。もしかしたら僕の理想は案外近くにいたりし て」
「さっきの歌」
「歌?」
「歌ってたでしょ」
「歌ったかな?どんな歌?」
「どんなって・・・歌ってたじゃないですか!」
彼女はなぜだか声を荒くする。僕は正直びっくりする。

時間は午前1時をまわっていた。左手に土肥ヌードスタジオのネオンをやり過ごし、 田子の借家まではあと20分というところ。運転席の窓から出した右肘に海からの風が 穏やかに吹きつけてくる。僕はアクセルを踏みながらこの夏のことなどを思い出して いた。借家の余りの汚なさに絶望すら感じた7月の初め。床にワックスをかけ、網戸 を直し、風呂釜を修理した。東京から運び込んだ家財道具を配置し、パソコンを繋ぎ、 ふとんを干した。ガレージは楽器でいっぱいだった。もともと童ヶ島のホテルの従業 員用の住まいであったその家は、僕が借りた時にはホテルの物置きとして使われてい た。楽器はカラオケ機器が導入され、ホテルをお払い箱になったバンドが何らかの理 由で残していったものなのだろう。色とりどりの文字で「台湾バンドショー」と書か れた紙がバスドラに貼られたままだった。夜遅くに散乱したドラムセットを組み立て、 蘇州夜曲のメロディーを叫びながら8ビートを叩いた。何人かの友だちが遊びに来た。 釣ってきた魚を調理してもてなした。彼らが帰るとまた一人きりになった。一人にな ると脚本を書いた。9月に撮影する映画のための脚本だった。僕にはその頃東京に好 きな女の子がいた。まったくの片思いで片思いより先に事が進展する可能性がないこ とを僕はすでに知っていたのだけれど。坂道のカーブを曲がると宇久須の集落が見え てきた。宇久須港で釣り上げたヒラマサはその夏一番の大物だった。田子まであと10 分程。ダッシュボードの上に見覚えのないカセットテープが1本あった。車を使った 誰かが忘れていったのか。僕はテープに手を伸ばすと、無造作にカセットデッキに押 し込んだ。テープの回転するキュルキュル軋んだ音がした。そしてあの暗く澄んだ歌 声が聴こえてきた。薬師丸ひろ子。僕は迂闊だった。まるっきり無防備な僕の心を彼 女の歌声が不意打ちした。「・・・夢で叫んだよおぉにー、くちーびーるーは動くけ れーどー、ことーばは風になあるー好きよーでもねーたぶんーきいぃとぉー・・・」。 汗で粘った僕の唇がつぶやくように歌声の後を追う。なんていいんだろう。なんて切 ないんだろう。田子へと向かう夜中の国道136号線で、僕の過去と未来は目を凝らさ なければ見失ってしまうくらいに遠くて仄かだった。



その3
語り終えるとテーブルの上のコップから僕は生暖かい水を飲む。傾けた透明なガラ スのコップの向こうに女の顔が歪んでる。
「どうして・・・」彼女がつぶやく。僕の背後の白い壁に向けて言っているような感 じ。
「どうして?」僕は彼女の言葉を繰り返す。
「なんていうか・・・ちょっと変じゃないですか?」
「変かな?」
「だって・・・どうして急に文語体で話すんですか?」
「文語体?文語体で話してた?誰が?俺?」
彼女は不安そうな面持ちでゆっくりと深く頷く。
「そうかな?おかしいな、それは」
「そうかなって・・・ふざけてるんですか?」
「ごめん。つい話すのに夢中になってて・・・。もしそうだとすれば謝るよ」
「別に謝らなくてもいいんですけど」
「何で?」
「だって謝る必要がないじゃないですか」
「ふーん・・・。あ、わかった。すぐ謝る男とか嫌いなタイプなんでしょ」
彼女は暫し僕の顔をじっと見る。そして溜め息ひとつ、席を立つ。僕は彼女のジー ンズに包まれた小振りな尻を目で追う。尻が植木鉢のジャングルの奥深く、トイレの 扉の向こうに消えてなくなるのを見届けると、視線は新たな滋養を求めてさまよいだ す。シンプルで美しくデザインされた椅子とテーブル。タイル張りの床。広い窓の遠 くに高層ビルのランプが赤く点滅している。ゆったりとしたソファにくつろぐナイス・ カップル。静かに流れるアンビエント・ミュージック。間接照明。おしゃれカフェ。 店のそこここにびっしりと張り巡らされたヘビィ・エロの亜種に洗脳されるのを僕は 恐れる。
 鞄の中からスポーツ新聞を取り出し、目の前で大きく広げる。6月に入りペナント レースが終わったプロ野球の記事の中から、僕は来期に向けて明るいニュースがない かと探す。『阪神新外国人エバンス来日。背番号は5』。これは明るいのか暗いのか。 『薮、ウエスタンリーグ広島戦に登板。2回を2失点』。これは良いのか悪いのか。 阪神タイガースは1992年のシーズンを最後に、早ければ5月中旬に遅くとも7月 下旬までにはシーズンオフに突入するのが通例となっている。そして8月頃には監督 人事が取りざたされ、9月のオープン戦で若手を試し、秋のキャンプで開幕への戦力 を蓄え、ドラフト会議終了とともに本格的なシーズンを迎える。以後4月まで、阪神 タイガースは勝率5割でセントラル・リーグの同率首位を賢守するのだ。僕は新聞紙 をガサガサとめくる。黴くさいインクのにおい。パシフィック・リーグの打撃成績表 をはじめは横に、それから縦に数字を読んでいく。様々な割り算や掛け算、分母や分 子がカタカタと頭の中を踊りだす。遠のく記憶。カタカタカタ。僕は階段を駆け下り る。そしてまたもやあの歌声にまつわる些末な想い出。


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