基地から流れる謎の泡
第二次世界大戦の末期、慶良間列島への砲撃から開始された沖縄戦において、アメリカ軍は渡具知海岸より沖縄本島上陸を果たし、1945年4月1日午前に占領した北谷村周辺地域に地勢的な最高評価を与え、ただちにその地に広大な嘉手納空軍基地をつくって、現在にいたるまで一瞬たりともこの地から離れたことがない。そして、その嘉手納基地内からいつのころからか、正体不明のバブルが流れ出てきていた。「泡の正体は何なのか? 沖縄の汚染はいつから始まったのか?」
ナレーションを読み上げる声には、アナウンサーらしい明瞭さがある。この映画『ウナイ 透明な闇 PFAS汚染に立ち向かう』の監督である平良いずみは、沖縄テレビのアナウンサーとしてキャリアをスタートさせた人。報道キャスターとしての活動と並行して、『過疎の村に響く子守歌』(2006)を皮切りにドキュメンタリー番組のディレクターとして活動している。那覇出身である彼女の作る映像作品は、主として沖縄を主題としたものであり、長年にわたって追いかけてきたテーマのひとつが、アメリカ軍によるPFAS汚染問題である。
PFASとは有機フッ素化合物の通称で、発がん性が指摘される有害物質であり、除去と浄化が困難なため、土地や人体に永遠にとどまることからアメリカ本国では「Forever Chemicals」という、じつに印象的なニックネームが与えられている。嘉手納基地からほど近い北谷浄水場からは1リットルの水道水あたり120ナノグラムのPFOSが検出された(2015年最大値)。これはアメリカの規制値の15倍にあたる。
映画作家・平良いずみは取材対象として、ジャーナリストや化学者へのインタビュー以外は女性たちに限定している。わが子に猛毒入りの水を知らず知らずのうちに飲ませてきた母親たちのショック、憤怒、痛苦に目を向けようとしたのである。そして映画作家は地元沖縄にとどまらず、PFAS汚染が最初に発覚したアメリカに、さらにはドイツ、イタリアにまで足を向け、そこでも女性たちの怒り、悲しみ、行動をカメラに収めていく。『ウナイ』の制作技法はあくまでテレビドキュメンタリー制作の標準に沿ったものであり、現代のドキュメンタリー映画を代表する、たとえばフレデリック・ワイズマンや王兵、ローラ・ポイトラス、マイケル・ムーア、ニコラ・フィリベールのような特別な才覚を発揮しているわけではない。しかしそれは決してネガティブなことではなく、取材対象の重大性、緊急性においては彼らの作品たちを凌いでいる。
謎の泡の正体は、アメリカ兵が消火訓練で使用した消火剤と推定され、アメリカ軍は有害物質に関する最低限の数値データを提供はしても、内部調査に応じたことはかつてなく、真の泡の正体が判明したわけではない。ここにおいて問題が環境衛生面だけでなく、基地問題へと行き着いていくのである。『ウナイ』の重要な登場人物のひとりである、飲食店経営・町田直美さんの言葉――
「沖縄はここまで、基地があろうと、乗り越えてここまで復興したのに、その土台である水が汚染されたというのは、私には耐えがたいアメリカ軍の仕打ちだなと、沖縄戦への思いからつながっています」
そして映画作家自身による、きわめて重大なナレーション――
「PFASの存在があって、アメリカが世界で初めて開発に成功した兵器がある――原子爆弾。熱や腐食に強いPFASがコーティング材として使われ、生み出された悪魔の兵器。1945年、人類史上初めて広島に原爆が投下された」
つい最近、私たちは原子爆弾の発明プロセスを『オッペンハイマー』(2023)という作品で見たばかりである。開発者たちの青春の夢が浮かんでははじける冒険スペクタクル映画だった。マンハッタン計画においてPFASを開発し、原子爆弾の完成に貢献したデュポン(Du Pont)社の面々はワンカットも写されていなかった。『オッペンハイマー』の偏向性はみんなが指摘する、広島・長崎を無視したことだけにとどまらない。学者たちの葛藤と精神的冒険ばかりが描かれ、実際に開発と製造をつかさどった製造業者たちの手のアクションなどまったく関知していないのである。私には『オッペンハイマー』の3時間よりも、上記の平良いずみによるたった十数秒のナレーションのほうがよっぽど原爆発明の核心をついているように思える。
原爆からカーペット、フライパンへ
デュポン社が「死の商人」の悪名を着せられた代償として、戦後はPFASの平和利用によって莫大な富を得ようと目ろんだことは、無理からぬことである。こぼしたジュースやペットのおしっこをはじくカーペット。雨滴を通さないパーカーやアウトドア用品。こげ付きを防ぐためにフライパンにほどこされたテフロン加工。これらはすべてPFASであり、デュポン社や3M社が競って開発した製品群であり、そして恐ろしいことに、それらの製造工場近くでは1990年代以降、深刻な汚染が次々と発覚していったのである。
『オッペンハイマー』のごときナルシスティックな偏向作品のことは脇に置いて、もっと重要な作品のタイトルをここに挙げておかねばならない。トッド・ヘインズ監督『ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男』(2019)の邦題サブタイトルにある「巨大企業」とはアメリカ3大財閥のひとつ、まさしくデュポン社のことを指している。マーク・ラファロが演じた実在の弁護士ロバート・ビロット(1965- )は1998年、史上初めてPFAS汚染をめぐりデュポンを相手取って訴訟を起こし、汚染原因をつきとめ、多額の補償を勝ち取った。
この映画を監督したトッド・ヘインズの勇気を讃えなければならない。デュポンのようなアメリカを象徴する財閥企業を訴えたロバート・ビロットはもちろん、その奮闘ぶりを恐れずに映画化した胆力は並大抵のことではない。まだ30代前半だったトッド・ヘインズが『SAFE』(1995/ビデオリリース邦題:ケミカル・シンドローム)を作って、ジュリアン・ムーア演じる主人公が原因不明の健康被害にさいなまれるサスペンスを見たあの当時、筆者はなんのことかよくわからず、単なる不思議なインディーズ映画として受容するほかはなかった。あの『SAFE』から四半世紀をへて、私たちはトッド・ヘインズの視野には何が映っていたのかをようやく理解できるようになったのである。
ちなみに『ダーク・ウォーターズ』で主人公ロバート・ビロット弁護士を演じたマーク・ラファロは、レスリングのアメリカ代表選手殺害スキャンダルの実話を描くベネット・ミラー監督『フォックスキャッチャー』(2014)でもデュポン財閥家の御曹司に殺害される金メダリストを演じていたから、デュポン社にとってはまさに悪魔のような存在に映っていることだろう。『ダーク・ウォーターズ』の中でマーク・ラファロがパニックに襲われ、夜中に自宅キッチンのシンク下をあさってテフロン加工のフライパンを探し出すシーンを、私たち観客は妻役のアン・ハサウェイともども衝撃をもって受け止めるほかはなかった。
そのロバート・ビロット弁護士の顔が『ウナイ』の中で大写しとなる。初の県民抗議集会「清ら水を取り戻そう! PFAS汚染からいのちを守る県民集会」(2021年4月30日 宜野湾市民会館大ホール)にビロットはリモート出演し、自身の経験をもとに沖縄県民に警告した。しかし汚染水は、近隣の小学校にまで流れ込んだことが発覚する。
「2016年に米軍が消化訓練区域を検査したところ、非常に高い濃度のPFAS汚染を発見しました。PFOAは1800ナノグラム、PFOSは2万7000ナノグラムでした。私は排水管が外れているのを見ました」
アメリカ本国では深刻化する汚染被害に対し、環境保護庁(EPA)がいち早くPFASフォーラムを開催し、2018年、連邦政府が規制値を水1リットルあたり70ナノグラムと定めた。さらにバイデン政権下で規制値の大幅な厳格化が図られ、2023年に水1リットルあたり4ナノグラムとされたのである。この規制値から換算すれば、嘉手納基地の周辺区域の値がケタ違いに異常であることがわかるだろう。なお、日本の厚生労働省が2020年に示した暫定目標値は水1リットルあたり50ナノグラムであるが、この値の根拠ははなはだ薄弱であり、日本はまだPFAS汚染への対策が正式に始まってすらいない現状である。2019年になってようやく製造そのものが禁止されたにすぎない。
映画『ウナイ』から離れるが、日本最悪のPFAS汚染地域は大阪府摂津市である。エアコン大手メーカー、ダイキン工業の淀川製作所が1960年代からPFAS製造に邁進した結果、摂津市の地下水は水1リットルあたり2万1000ナノグラムという、もはや破局レベルの値を叩き出してしまっている。2022年8月の大阪府による調査結果である。しかし残念なことに、摂津市の汚染は地下水と河川にとどまらない。ダイキン工業淀川製作所付近の住民に血液検査を実施したところ、被験者全員から高濃度のPFOAが検出されてしまった。
映画『ウナイ』における平良いずみ監督のアメリカ取材は、フロリダ州パトリック宇宙基地近くに住むベイリーさん一家、ミネソタ州オークデールの3M工場近くに住むストランディさん一家を訪ねたものであり、悲劇に見舞われつつも、アクションによって攻勢に転じた希望が語られている。しかしそれはいずれもバイデン政権下における事柄である。
今年(2025年)に入って、トランプ政権はPFAS規制をむしろ緩める方向へ舵を切っている。2025年5月15日の朝日新聞では「米国がPFAS規制を緩和 基準値達成を2029→2031年に後ろ倒し」という記事を掲載した。トランプ政権は関係省庁である環境保護庁(EPA)じたいにも圧力をかけつつあり、トランプ政権に反対する「異議表明書」に署名した現役職員139名に行政休職処分(administrative leave)を科した。EPA長官にはトランプの手下であるリー・ゼルディン元下院議員(共和党)が指名され、アメリカの環境政策は「科学無視」の方向に向かいつつある。時事通信が2025年7月1日に伝えた配信記事では、「米環境保護局(EPA)の職員ら数百人が6月30日、ドナルド・トランプ政権が “汚染者を利するために科学界の一致した見解を無視している” と批判する抗議の文書を公開し、政府がEPAの核心的な使命を損なっていると非難した」とある。
ベイリーさん一家、ストランディさん一家の悲しみと行動によって前進したPFAS問題も、これで今年以降はどうなるかは不透明なものとなった。ましてやそのアメリカの軍隊に支配される沖縄の現状ははたして変わりうるのか? ダイキンの企業城下町である大阪府摂津市はどうなるのか? 『ウナイ 透明な闇 PFAS汚染に立ち向かう』の画面を凝視しながら、私たちが考えなければならないこと、そして行動しなければならないことがたくさんあるはずである。
タイトルにある〈ウナイ〉とは、琉球語で「姉妹」を意味する。ナレーションでの説明によれば、それは単に続柄を示す用語ではなく、英語で言うところの「Sisterhood(シスターフッド/フェミニズムにおける血縁を超越した女性間の連帯意識を意味する語)」を含意しているようである。思えば、返還直後の沖縄でロケーションされた大島渚監督の『夏の妹』(1972)においてすでに、栗田ひろみ-りりィ-小山明子による〈ウナイ〉の萌芽が示されていた。元・明・清との朝貢関係、薩摩藩による侵略をへて、1945年における沖縄戦での大殺戮、そして今は基地の問題。歴史のなかで列強に痛めつけられてきたこの地の〈ウナイ=夏の妹〉の戦いは終わらない。そして水を取り戻すその戦いは、私たち自身のものでもあるのではないか。

『ウナイ 透明な闇 PFAS汚染に立ち向かう』
監督:平良いずみ
プロデューサー:山里孫存、千葉聡史
音楽:半野喜弘
撮影:大城学、赤嶺信悟
編集:田邊志麻、山里孫存
構成:渡邊修一
製作:GODOM沖縄
製作協力・配給:太秦
【2025 年/日本/ 16:9 / 106 分】
©2025 GODOM 沖縄
*7月26日(土)より
沖縄・桜坂劇場にて先行上映
*8月16日(土)より
ポレポレ東中野ほか全国順次公開
今月のThe Best
夏野菜
「今月のThe Best」では食いものの話題ばかり書いている気がする。そういうのをスノビズムだと厭う方々には申し訳ないが、ここはひとつ、芸術と味覚くらいしか楽しみが残されていない憐れな輩のコーナーだと思って許してほしい。
夏の暑さは年々厳しくなるばかりで本当にもうかなわないが、楽しみもある。夏野菜である。トマト、ズッキーニ、オクラ、なす、とうもろこし、きゅうり、ピーマン、ゴーヤなど。私の好物ばかりである。これらの野菜を自在に組み合わせてラタトゥイユをたくさん作って冷蔵庫で保存し、数回に分けて食べようと計画するのだが、あまりのおいしさゆえ、作ったそばからついつい1回で完食してしまう。
私の創作料理(?)に「猪八戒と沙悟浄」というものがある。豚バラ肉とズッキーニを別々にオリーブオイルで炒め、最後に数滴の醤油でちょっとこげ目をつけてから、味噌汁の具として投入する。夏の最高な朝食である。豚バラ肉=猪八戒、こがしズッキーニ=沙悟浄(河童だから…)という馬鹿げた連想によるネーミングである。ただし、孫悟空がいない。ある日、酒席でそのことを相談すると、「猿の脳ミソでいいじゃん」という答えが知人から返ってきた。馬鹿な。私は満漢全席にはとても興味があるが、満漢全席の食材を朝食用に用意できる身分ではない。
今年のコメ不足狂騒曲は、気候変動と環境破壊の産物にちがいあるまい。コメなどというデリケートな穀物は、近い将来はあっという間に栽培不可種になってしまうだろう。小麦だって、コメよりは多少ねばるだろうが、いつまで作れるかわからない。今回の本文では『オッペンハイマー』について文脈上かなり辛めに書いてしまったが、クリストファー・ノーランでは『インターステラー』(2014)なんかは嫌いではない。あの映画ではもうあらゆる穀物が栽培不能になっている設定で、「オクラだっていつまで作れるかはわからない」というセリフがあった記憶がある。オクラ強し、である。
近い将来、ごはんもパンも用意できなくなった人類は、渋々オクラととうもろこしを主食にしているかもしれない。夏野菜は味が良いだけでなく、絶滅寸前の人類が最後につかむワラなのではないか。
