燃え上がる生物
横浜聡子は自動詞の映画作家である。彼女は歌う。彼は走る。彼女は怒る。彼は嘔吐する。彼女は沈黙する。彼は描く。黒猫は歩く。イルカは泳ぐ。私は生きる。私は去る。この道、一方通行。
別段もっともらしい目的語などは伴わずとも、アクションの発生がいったん画面を制圧するともう止まらない。燃え上がる生物。人体自然発火による炎と煙を前にして、なすすべもなく呆然となる。それが私たち横浜聡子映画の観客がやってきた習いではなかったか。そこにまがりなりにも目的語が追加されたばあい、自動詞の主語は一転してある使命感に自縛され、いささか鈍重な緊張感を帯びてしまうのである。少女が林檎の木を燃やす。青年が農薬を買い付ける。役者がスクーターを運転する。少女が三味線に穴を空ける。他動詞は自動詞よりもはるかに主体をこわばらせる。
そして横浜聡子は一人遊びの映画作家でもある。彼女/彼に仲間が存在しないというわけではない。横浜映画にあっては孤独な精神のそばに誰かが寄り添いはしても、家庭、学校、職場、自治体はかならずしも人を定義づける機関たりえない。彼女/彼はもっぱら無手勝流の定義によって生きているのである。簡単に言えば、連帯の中の孤独の選択という理解でよいのではないか。
新作『海辺へ行く道』はなんと140分という長大な上映時間を持っている。どんな激動に満ちた大芝居かと思いきや、作品から受ける印象はこの上なく軽やかで、コミカルで、爽やかである。上映中の劇場内はたびたび爆笑に包まれるにちがいない。初長編『ジャーマン+雨』(2006)の71分の2倍もあるのに、『ジャーマン+雨』と『海辺へ行く道』のカロリーは同じくらいだろう。映画は時として140分でも軽やかたることができる。なぜなら『海辺へ行く道』が断片の映画であり、『ジャーマン+雨』の自動詞性を最も受け継いだ作品となったからではないか。
『海辺へ行く道』はロケーション地の瀬戸内海・小豆島を舞台として、たくさんの登場人物の点景がかいつまんで描かれていく。いわば広義のグランドホテル形式と言ってもいいのかもしれない。1980年代後半に始まったベネッセアートサイト直島の開発以降、瀬戸内海の各島がカルチャー体験型または作品製作者の滞在型リゾートとして発展してきたことはよく知られている。この映画でもアーティスト移住支援を推進する海辺の町に、都会から一癖ある人々が訪れ、滞在するが、大人の世界と子どもの世界は明確に隔てられている。大人たちは多かれ少なかれ、何かから逃れようとしている。生きていく上で生じた都合/不都合から逃れ、面倒な人間関係から逃れたい。大人たちはいささか他動詞の積載物にさいなまれている。
これに対して、自動詞的存在たる10代の子たちは何かにさいなまれている暇がない。休むことなく眺め、描き、作り、走り、撮り、喋り、流木を集める。そして大人の世界の「金銭を受け取る」「告発動画を流出させる」といった他動詞的な身ぶりからは極力距離を取っている。今はただ、自家発電のエネルギーだけであっという間に彼らの1日が終わってしまう。特に原田琥之佑(原田芳雄の孫)が演じる14歳主人公・南奏介。彼はいま、創造性の爆発の中にいる。毎日が創造である。
隠せないから美しい
これまで町内で展示された奏介の製作物を以前から高く評価してきたらしいA氏なる謎の紳士(諏訪敦彦)が、次のように奏介に言う。
「南君さ、南君は人に見せたくない自分というのは、あるだろう? あるいは、自分では自分を知らない自分もあるかもしれない。でもね、芸術ってね、そういうものを隠せないんだよ。だから美しいんだ」
A氏のこの発言は、あたかも横浜聡子のフィルモグラフィーに対する横浜聡子の別人格からの自己省察と思える。筆者は原作漫画を読んでいないから、もしかすると単に原作どおりのセリフなのかもしれないが、ぴたりとくるものがある。『海辺へ行く道』はこれまでで最も横浜聡子らしさが表出した作品ではないか。140分間にわたって大きな物語を語ることとも、作劇の必然性にからめ取られることとも無縁に、横浜聡子の世界が純粋な形で実現されている。
筆者は試写室を出た直後に、そんな感想を本作のプロデューサーに伝えたところ、プロデューサー氏は「でも、かなり原作に忠実なんです」と言う。だとすれば、この原作を選んだ映画作家自身、そしてこの原作で撮らせようと画策したプロデューサーの判断がきわめて的確だったということになる。白紙委任状のような形でオリジナルを託された自由作品のように見えるからである。原作漫画を忠実に映画化することの困難に直面する作り手は多い。この映画でもその困難は小さくなかっただろうが、出来上がった作品は、まるでオリジナルストーリーのような涼しい顔で自動詞性を謳歌しているのである。
本作で音楽を担当したDos Monosの荘子itが本作について「一見すると朗らかな子どもたちの映画に見えるが、静かに常軌を逸した父性の失調により、底知れぬ不気味さと明るさが共存した前代未聞の映画」というコメントを残している。これは誠に卓見であり、「父性の失調」、つまり喪失、不在、消滅、制圧がエネルギーの供給源になっている。エネルギーを発生させるためには、燃料の充塡だけでは不十分である。特に映画においては。エネルギーの発生のためには、従来なら必要不可欠と決まりきっていたはずの「常軌」を逸しさせる必要がある。欠片になること。流木になること。離島になること。笛も太鼓も笑顔さえも除外されて、無音の中でエネルギーが高まるこの島の「静かに常軌を逸した」盆踊りのように。
「君の作品にはね、批評が存在している。簡単に言うとね、自由ということだよ。自由ってね、好き放題になんでもやればいいというわけではないんだ。じつは難しいんだよ。対話がいるんだ。君の作品にはね、対話がある」
再びA氏の奏介に向けられた発言。A氏を演じた映画作家・諏訪敦彦の落ち着き払った知性と、ニセ男爵のような胡散臭さがなんともすばらしい。君の作品には対話がある、とA氏は奏介を祝福する。私たち横浜聡子の長年の観客は快哉を叫ぶだろう。『いとみち』(2021)でヒロインの相馬いと(駒井蓮)に父の耕一(豊川悦司)が、しばらく稽古もしていない津軽三味線について「お前の音を弾けばいいだろう。それが表現だろう?」「なんのために表現するの?」「お前、言葉使うのが苦手だから音で対話する」という会話をしていたことを思い出す。自動詞とは、そして一人遊びとは、決して自閉に充足する存在ではない。燃え上がる生物とは、他者を前提とせずに生起しつつも、やがては他者を巻き込まずにはおかない存在である。
しかしそれは、他者にべったりと貼り付いて離れない存在でもない。委員会制度のようなものである。この島を訪れるアーティストたちがパーマネントな存在では決してなかったように、それはかりそめの、委員会のミーティングでありミニパーティーなのである。奏介のクラスメートの新聞部員・ほのか(山﨑七海)はさかんに新聞部の活動に奏介を招き入れる。しかしそこには学園ドラマのロマンスは出動しない。委員会が終了すれば、後ろ手にバイバイしながら学校の廊下を去ればよい。
14歳少年・南奏介の人生は始まったばかりだが、光陰矢の如し、人生はやり直しがきかない。この道、一方通行。だからこそ、限りある生の時間を燃焼させる。奏介はほとんど家に滞留しない。歩く、走る、眺める、描く、作る。あくまで自動詞に忠実であろうとする。
心と口と行いと生きざまを以て。この14歳少年は横浜聡子である。
『海辺へ行く道』
8 月 29 日(金)より
ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿ピカデリーほか全国ロードショー
原作:三好銀「海辺へ行く道」シリーズ
(ビームコミックス/KADOKAWA刊)
監督・脚本:横浜聡子
出演:原田琥之佑
麻生久美子 高良健吾 唐田えりか 剛力彩芽
菅原小春 蒼井旬 中須翔真 山﨑七海 新津ちせ 諏訪敦彦 村上淳 宮藤官九郎 坂井真紀
製作:映画「海辺へ行く道」製作委員会
配給:東京テアトル、ヨアケ
©2025映画「海辺へ行く道」製作委員会
今月のThe Best
青銅器
最近、訳あって魯迅の短編小説『鋳剣』(1927 岩波文庫『故事新編』所収の邦題は『剣を鍛える話』となっている)を読んだら、王宮内で斬首された暴君の首と、仇討ちに侵入した剣士の首が、「金の鼎」で煮えたぎる熱湯の中で噛みつきあって死闘を演じていた。なんとも凄惨な短編である。
煮えたぎる熱湯での決闘シーンは、以前に中国映画もしくは香港映画でも見た記憶がある。推測としては、その映画のシナリオライターの念頭に魯迅の『鋳剣』があったにちがいあるまい。私は映画のタイトルを思い出そうとしてGoogle検索してみた。徐克あたりか、それとも張芸謀だったろうか?
一番上に出た検索結果にアクセスしてみたら、見てはいけないものを見てしまった。インドの路上の大釜でスープらしきものを炊いているところに男性が足を滑らせ、大釜に胸から臀部まで浸かってしまうニュース動画である。映像は救助されて立ち上がるところでストップしていたが、この男性はその後、死亡したそうだ。救助にあたった市民たちも大やけどを負ったのではないか。結局、くだんの映画が何なのかは依然として思い出せない。
魯迅の言う「金の鼎」は、じっさいには金ではなく青銅器の鼎であろう。小籠包の「鼎泰豊」の鼎である。岩波文庫の竹内好による巻末解説では「時代の限定は作品からはうかがわれないが、伝説の成立から見て、ほぼ東周時代を作者が念頭においていたと推定してよかろう。超自然の事件をえがく作者の筆力は雄健無比である」と記されている。
東周時代(BC770-BC256)というところから、祭祀・宴会で王侯貴族が使った大型の青銅器であることがわかる。鼎とは鍋に3本足が生えた器形を指し、サイズはカフェオレボウルくらいの小型のものから、生贄の獣肉を茹でるための巨大なものまである。3本足のあいだに火を置いて煮沸、保温したと考えられる。
世界史や美術の教科書に掲載されている青銅器は、煤こけた黒、こげ茶、灰色がかった深緑をしているから、「金の鼎という表現はおかしいよ」と思われるかもしれない。しかしあの煤こけて沈着した色は数千年の経年変化によるものであって、新品の青銅器はあざやかな黄金色に輝いていたのである。
クドクドと「金の鼎」について書いてきたのは、私自身が青銅器ファンだからである。かれこれ15年以上の愛好歴となる。台北の故宮博物院、京都の泉屋博古館、六本木一丁目の同・東京分館、南青山の根津美術館、上野の東博・東洋館などで、私はその異様な器形、不気味な饕餮文様を一日中でも眺めて、時間の過ぎることを知らない。すぐれた青銅器の傑作がさかんに製作された周代というと、ちょうど甲骨文字が漢字に変形・進化していく時代である。「鼎」もそんなさなかに生まれた象形文字であり、この文字は器形のイラストそのものなのである。「鼎」の中央の「目」の部分が茹でられた獣肉を表しているのだろう。
