欠片かけらを探して
―――  日本映画の陋巷ろうこう

荻野洋一
Ogino Yoichi

時は忍び足で心を横切る

テーブル席とカウンター席

 アルコールを提供する酒場やバルなどに入店すると、客はテーブル席か、カウンター席かを選ぶことになるが、こうした瑣末な選択を人の一生全体に敷衍ふえんさせることができる。あなたの生きる場所はテーブル席なのか、それともカウンター席なのかといったぐあいに。土井どい裕泰のぶひろ監督の新作『平場の月』は、いわばテーブル席でさっきまで友や同僚と杯を交わしていた人が、次第に離脱して、いつのまにかカウンター席での独酌に自足するまでの、にがい時間の推移を辿る委員会制の物語である。

 ここで突如として「委員会」などといかめしい単語を使用したわけは、土井裕泰映画作品のほとんどすべてで、各主人公たちの行動原理や生きざまが、ある目的に到達するための委員会へとにわかに組み込まれ、ひとたび目的が達成された瞬間に、後腐れなく委員会が解散することにある。劇場用映画デビュー作『いま、会いにゆきます』(2004)の竹内結子と中村獅童。『映画 ビリギャル』(2015)の有村架純と伊藤淳史。『花束みたいな恋をした』(2021)の菅田将暉と有村架純。こうした登場人物たちはいずれも彼らが無手勝流むてかつりゅうに構築した委員会の中で生き、委員会の完遂とともに、あたかもバンド解散のように別の道を歩むことになる。

 テーブル席からカウンター席への移動。『平場の月』における委員会とは、そんな誰にも気にかけられることもなさそうな瑣末な密事としてある。しかし土井裕泰映画ではいつものことだが、委員会の構成者だけの密事ではない、匿名のオブザーバーのような存在が、委員会の結成から解散までを遠慮がちに観察オブザーブしている。『いま、会いにゆきます』における洋菓子店店主(松尾スズキ)。『映画 ビリギャル』の学習塾の塾長(あがた森魚)。『花束みたいな恋をした』における「焼きそばパンのおいしい」らしいパン屋の老夫婦や、「ジョナサン」のホール係(Awesome City ClubのPORIN)。こうした人々こそ、典型的な委員会のオブザーバーたちである。『片思い世界』(2025)では主だったオブザーバーは登場しないが、その代替として灯台オプセルヴァトワールが岬の先に屹立していた。

 うれしいことに、『平場の月』においてもオブザーバーは健在である。主人公・青砥あおと建将けんしょう(堺雅人)が中学時代の同級生・須藤葉子(井川遥)と30数年ぶりに再会し、ヤモメどうしのよしみで「互助会的」な飲食を定期的に共にするようになる。彼らがいつも訪れる焼鳥屋のシーンで、厨房に腰かけた主人らしき老人(塩見三省)が、すでに身体を痛めて一線を引いたのか、何をするでもなく客を観察オブザーブしている。塩見三省という俳優は2014年に脳出血で倒れて以降は障がいが残ったため、身体表現に制限がある。であるがゆえに、彼はオブザーバーの最適任者なのである。「この歌、誰だっけ?」と語り合う青砥と須藤に対して、遠慮がちな小さな声で「薬師丸ひろ子」と言い添える塩見三省は、この映画の肝と言っても過言ではない。店の者が自分たちの会話に聞き耳を立てていたからといって、特に気を悪くするでもない青砥と須藤の中年新カップルの姿勢も好ましく思える。

「時は忍び足で 心を横切るの」「好きと言わないあなたのことを 息を殺しながら考えてた」「深入りするなよと ため息の壁なら」「笑っちゃう 涙の止め方も知らない」――薬師丸ひろ子のヒットソング「メイン・テーマ」(1985年/作詞:松本隆 作曲:南佳孝)のフレーズはこの映画の基調を成し、ふたりの主人公の心情を代弁しているようだ。ただしこの楽曲は朝倉かすみの原作小説では言及されないから、土井裕泰監督と脚本の向井康介の捜索/創作だろう。青砥がこの歌を口ずさみながら自転車を走らせる横移動の夜間撮影がこの映画のファーストシーンだが、「スコアなしのミュージカル」「内なる反響としてのミュージカル」という隠れたサブジャンルの実在を主張したい筆者としては、これはその典型的な一作と思える。物語進行を不自然さを承知の上で一時停止し、歌詞内容と歌唱表現、舞踊のスペクタクルによって登場人物の置かれた立場と心理を拡大化させるのが通常のミュージカルであるのに対し、ここでは青砥の脳内で反復される歌が断続的に彼の胸中を支配していき、カメラマイクによって拾われた小さな音がスクリーンごしに観客と内密に共有される。

春風江上路、不覚到君家

 この映画版は原作小説のコアをかなり忠実にリアライズし、ロケーションも原作のイメージどおりに進行していくが、創作による増幅ブーストが本当にすばらしい。原作にない増幅としては、主要登場人物たちの中学時代を原作以上に詳細に描写することによって過去/現在の二重性がよりいっそう増幅され、運命性が強調された点が挙げられる。また、須藤の元カレ(成田凌)や青砥の元妻(吉瀬美智子)は小説では過去説明でしか登場しないが、映画では現在時制の須藤・青砥にからんでくる。塩見三省演じる焼鳥屋の主人も土井=向井コンビの創作である。「内なる反響としてのミュージカル」が増幅ブーストされるのはラストシーンにおいてであり、文字どおりそれはアンプリファイされたものなのだが、その点は詳述を控えなければならない。

 私事で恐縮ではあるが、昨年上梓した自著『ばらばらとなりし花びらの欠片に捧ぐ』(リトルモア刊)の巻頭に、筆者は明初の詩人・ガオ・チーの五言絶句『尋胡隠君』を掲げた。曰く、

 渡水復渡水

 看花還看花

 春風江上路

 不覚到君家

 書き下すと「水を渡り また水を渡り/花を また花を看る/春風 江上のみち/いつのまにか 君の家にいてしまったよ」――明代で最も才能に恵まれた詩人と評される高啓が、友人とおぼしきフー姓の隠者を訪ねるため、酒瓶を携えて夜の街をそぞろ歩く光景である。この名高い春風駘蕩詩を拙著の巻頭に掲げることができただけでも、筆者は物書きとして幸福な生涯を生きているという実感を持つに至った。しかしながら高啓はのちに宮廷の陰謀に巻き込まれ、腰斬ようざんの刑に処せられ、わずか38歳で亡くなった。腰斬の刑は斬首による即死とはちがって、絶命まで数十分を要するため、苦痛が最も絶大な死刑法らしい。

 夜、薬師丸ひろ子のヒットソングを口ずさみながら、缶ビール数本をかごに入れた自転車を走らせ、須藤のアパートメントに向かう青砥の心情も、高啓が詠んだ「春風江上路」と同種だろう。シーンの季節は春ではなく、晩秋の寒風だが、江上の路ではある。原作小説、映画ともに舞台となるのは埼玉県の朝霞あさか市、志木しき市、新座にいざ市であり、面積の狭小な小都市がこまごまとひしめくこの地域には、多摩川と荒川に挟まれた武蔵野の風景が広がり、幕藩期は江戸近郊の水上交通によって栄えた。もっと古くは新羅、高句麗といった半島の帰化人が開墾し、古代から開発された地域だった。志木、新座、高麗こま川といった現在の地名にも、新羅との縁が残響する。昭和以降は典型的なベッドタウンに変貌し、マイホームを東京23区内に購入する経済的余裕のない平均的サラリーマンの受け皿となってきた。

『平場の月』はタイトルにあるように、市井の人たちがつどうありきたりな土地の頭上に輝く月の映画ということになるが、じつのところは月である以上に川の映画なのである。それも荒川や隅田川といった名勝となりうるダイナミックな水景ではなく、目黒川ならぬ黒目くろめ川、そして柳瀬やなせ川、新河岸しんがし川などの河川が映画のありとあらゆるカットにおいて、平穏な水の流れを映し出している。渡水復渡水(水を渡り また水を渡り)/不覚到君家(いつのまにか 君の家に到いてしまったよ)――人生の第3コーナーに差し掛かった50歳あたりの女と男が、僥倖のようにして、長く生きたために降り積もった塵芥もそのままに、たがいの孤独を温め合う。このような委員会をもうけた人はこの上なく幸いである。

「さよならだけが人生だ」という名句は、唐代の詩人・ユー・武陵ウーリンの漢詩『勧酒』を井伏鱒二が和訳した際に生まれたフレーズなのだという。

 花発多風雨

 人生足別離

「花ひらきて風雨多し 人生、別離に足る」。これを井伏は「花に嵐のたとへもあるぞ さよならだけが人生だ」と訳した。『勧酒』という詩題はまさしく、都の栄華を離れて隠棲した于武陵が名づけた、宴のテーブルから独酌のカウンターへと、人知れず移行する寂寥の委員会名である。青砥を囲んで中学時代の同級生たち(大森南朋、宇野祥平、吉岡睦雄)や、彼の勤務する地元企業の同僚たち(でんでん、椿鬼奴、倉悠貴など)によってしばしば宴席がもうけられる。そうした光景はどことなく小津安二郎『秋刀魚の味』(1962)のホモソーシャルな空間をなぞっているようにも見える。そこから青砥は知らず知らずのうちに脱輪して軌道を外れ、カウンターに漂着して独酌する。まるで『秋刀魚の味』終盤のバーカウンターでひとり舟を漕ぐ笠智衆のごとく。

 思えば土井裕泰監督が作り手としてのアイデンティティを長年にわたって形成させたTBSドラマというものじたいが元来、小津、いや、より正確には木下惠介、川頭義郎、中村登といった松竹の小市民劇を、山田太一を橋渡しとしてテレビという新媒体に移し替えたものだったと言える。今回の『平場の月』が土井にとって原点回帰となっており、大山勝美や鴨下信一、堀川とんこうといった彼の先達が作ってきた伝統的なTBSドラマに匂いが似ており、宴のテーブルからカウンターへと移行する時間の推移が多少なりとも旧松竹な諦念を含味していたとしても、なんら不思議ではない。

『平場の月』

監督:土井裕泰
出演:堺雅人 井川遥
坂元愛登 一色香澄
中村ゆり でんでん 安藤玉恵 椿鬼奴 
吉瀬美智子 宇野祥平 吉岡睦雄
成田凌 塩見三省 大森南朋
脚本:向井康介
原作:朝倉かすみ
音楽:出羽良彰
撮影:花村也寸志
主題歌:星野源
配給:東宝
©️映画「平場の月」製作委員会
117分/カラー/ビスタビジョン

*11月14日より公開中

今月のThe Best

ジェーン・スー著『介護未満の父に起きたこと』

 

昨年(2024年)の秋、私は老母と同居することを決心し、年末に慌ただしく新宿区のマンションを引き払い、埼玉県の老母宅に転居した。生まれも育ちも東京人の母はこの家を購入して住み始めた当初、「なんで私がこんな片田舎に住まなきゃいけないの?」と泣いて父を困惑させつつ、しばしば実家に帰ってしまったことを、私は今になって思い出している。とはいえ「住めば都」となって幾星霜。私が同居を決めた理由は駅前での転倒事故である。近くの歩行者が救急車を呼んでくれて、救急医療で事なきを得たが、もう彼女の一人暮らしは限界に達したと判断した。

その転倒事故からちょうど1年が経過した先月(2025年10月)のある朝、下半身の激痛を訴えたため、救急車を呼んだ。脊柱管狭窄症の悪化による圧迫骨折とのこと。本稿執筆現在(11/22)も入院中であり、リハビリ入院が年をまたぐことは確実となった。すでに介護認定の申請を済ませ、審査結果を待っているところだ。

自宅介護のまじめな参考書をめくるだけでは味気なく、読書人としての色気が欲しくなるのは昔からの性分。そこでジェーン・スー著『介護未満の父に起きたこと』(新潮新書 8/20刊)を買ってみた。自分は放送業界に長く両足をつっこんでおきながら、放送人たちのことにまるで無知だ。2010年代初頭あたりから大活躍していたらしいジェーン・スーさんを初めて知ったのはようやく2021年のことで、テレビ東京『生きるとか死ぬとか父親とか』の原作者としてである。古い友人・井土紀州がシナリオを書き、山戸結希と菊地健雄が監督をつとめ、コロナ禍の自粛が厳しい時期に孤立した気分を癒してくれたドラマだ。

興味を抱いた私は、彼女がパーソナリティを務めるポッドキャストを聴いてみた。「ジェーン・スーね、ずいぶんと日本語の上手な香港人だな」くらいの誤った認識で聴き始めたわけだが、私は元来、ハイテンションでまくし立てる人、相手の語尾におっかぶせてくる人が昔から大の苦手で、申し訳ないけどほんの数回で聴かなくなってしまった。ポッドキャストなら、講談社のバタやんこと川端里恵さんのじとーっとした『真夜中の読書会』の方が私の性に合っている。

しかし私の手元には今、『介護未満の父に起きたこと』がある。きっと2021年の時点ではまだ、私と著者のあいだには共通言語がなかっただけ。そして今や著者は、介護人生スタートの師である。著者には「父とは同居したくない」という大前提がある。そこで遠隔措置の引き起こす悲喜こもごもが、本書のメインテーマとなった。その点、私はもはや、そんな意地もプライドも甲斐性も持ち合わせず、24時間タクシーで移動しながら仕事場を転々とする多忙さともおさらばした。だからこの本の中で起きた問題の多くを私は回避しながら、これから始まる介護生活に挑むことができる。

『平場の月』の主人公・青砥は、現在の私に酷似している。バツイチとして一人暮らしの平和をしばらく謳歌し、やがて衰えた母親の面倒を見るために都内マンションを引き払って埼玉県の母親宅に同居する。ここまでは同じ境遇である。青砥と私が異なる点は、彼にはこの土地での生活基盤が残存し、土地勘があり、勤務地も近く、地元中学校の同窓生たちとの交友が続いており、さらにはその同窓生の中から、人生の秋を共有しようというパートナーに出会ったことである。

ひるがえって私は、今住んでいるところにかつて数年間は住んだはずなのに、土地の記憶がほとんどなく、縁もゆかりもなく冷たい感触にさいなまれている。意識も行動も交友も、在住当時はこの土地になじめなかったからだ。当然のこと、知人・友人は一人もいない。うまいコーヒー豆を挽き売りしてくれる若夫婦と、「おひとり様用カウンター上海料理」というまさに私にお誂え向きの店の中年男性シェフ、やはり「おひとり様用カウンターイタリアン」の女性シェフ。この3者だけが目下のところ私の話し相手となった次第。

老母には私がついている。これは自分で言うのもなんだが、彼女の人生にとっては晩年にもたらされた幸運である。「お前がバツイチで独り身になってくれてよかった」とは口に出すわけはないが、おそらくそう思っているにちがいない。ところが私には私がついていない。行けるところまで行って、あとはどうにでもなれ、腐乱死体でもなんでも、という境地になれるかどうか。