欠片かけらを探して
―――  日本映画の陋巷ろうこう

荻野洋一
Ogino Yoichi

イミテーションを生き、演じ、死んで、甦る

いきなり死んでしまう主人公

 オープニングで主人公のナレーションが聞こえてくる。「この物語はフィクションである。というか、この世の大抵はフィクションである」。

「B小町」という女性5人組アイドルグループのコンサートのきらびやかな映像のなか、ナレーションは続く。「捏造して、誇張して、都合の悪い部分はきれいに隠す」。単なる『推しの子』ではなく、『【推しの子】』といちいち隅付きパーレンでタイトル表記することによって、アイドルという存在がかもしてやまぬ人工的フィクション性、自己言及的ファンタスム、仮に20世紀ならシミュラークルとでも呼んでいた事象が強調される。

 ナレーションの主である男性は本当に主人公だろうか? 同作が、赤坂アカと横槍メンゴの共作による集英社「週刊ヤングジャンプ」連載漫画として始まり、次いでアニメ化、2.5次元舞台化、そして実写ドラマ・映画化と進行してきたなかで、筆者は原作漫画にぱらぱらと目を通した程度で、アニメ版も2.5次元版も未見であるが、今回の実写版についてはAmazon プライム・ビデオで配信されたドラマ全8話、および2024年12月20日に劇場公開された映画『【推しの子】-The Final Act-』とすべて見た。作品全体を通じて、先述の男性ナレーターの第一人称で物語が進行していく。

 ただし厄介なのは、主人公であるはずの分娩医・吾郎(成田凌)はすぐに殺されてしまって、物語から早々に去ってしまうことだ。そして死んだ吾郎は、「B小町」における彼の「推し」だった星野アイ(齋藤飛鳥)が極秘出産する双子のうちの片割れとして「転生」する。前世の吾郎の記憶を保ったまま生まれた彼は、アイによってアクアマリン(通称アクア)というキラキラネームが与えられて成長するが、「推し」であり母でもあるアイは、星野アクアマリンが6歳の時に暴漢によって刺殺されてしまう。高校生に成長したアクアマリン(櫻井海音)が、アイ殺害を指示した黒幕の正体を突き止めるため、芸能界に入り、そこでさまざまな芸能界の明暗を体験していく、というストーリーである。星野アクアマリン役を演じた映画初主演の櫻井海音は、彼自身がMr.Childrenの桜井和寿と元ギリギリガールズの吉野美佳の子息であるため、セレブリティ家庭の何たるかを生まれつき体得した熱演であり、生まれ持った運がオーラとなって放射されている。

剥離するフィクション性

「アイドル」と「転生もの」は日本で異常発達したサブカル分野であり、このふたつをくっつけてAmazonプライム・ビデオで世界配信してしまおうという野心は、じつに理に適っている。昨今立て続けに明るみに出た芸能界のどす黒い側面――その多くは性的犯罪、そしてハラスメント被害である――からもわかるように、オープニングのナレーションで述べられる「捏造して、誇張して、都合の悪い部分はきれいに隠す」というテーゼは、アイを演じる元乃木坂46の齋藤飛鳥の可憐なエロキューションをもってしても、決してポジティブな響きをまといはしない。むしろ本作においては、暴力・PTSD・児童虐待・ネグレクトという日本社会の苛酷な問題から目を逸らさず、折り重なった害悪を凝視しつつ、「アイドル」と「転生もの」というサブカル2大ジャンルが熱に浮かされたような気迫で結合し、次から次へと起こる出来事の生々しさによって、ロマンティックなフィクション性が剥離を余儀なくされていくプロセスを検証することになる。

 今回の映画版『【推しの子】-The Final Act-』は、Amazonプライム・ビデオ全8話の青春ドラマとして展開してきたボディ部分が大胆に削ぎ落とされ、最初の1時間では、分娩医・吾郎がアイの双子出産の担当医となるいきさつから吾郎殺害、そして吾郎のアクアマリンへの転生が描かれ、ドラマ全8話の前日譚を成している。これに対して後半の1時間では、アクアマリンと双子の妹・ルビー(齊藤なぎさ)のふたりは、自分たち兄妹が星野アイの隠し子であることを世間に公表する。さらには犯人への復讐のため、星野アイの伝記映画を企画し、ルビーが母アイを、アクアマリンはアイ殺害を指示した黒幕・カミキヒカルを演じることになる。

 アイの生前をよく知るスタッフ&キャストが集結し、映画『15年の嘘』の製作が進行する。ルビーの演技は母親の面影をトレースし、アクアマリンの演技は憎き黒幕の深層心理に食い込んでいくわけであるが、映画製作という現実と、星野アイの生きた過去の事実が臆面もなく重ね合わされ、ワンカットごとに両者が交換され、さらにその上にアイの子どもとして転生する以前のふたりの前世も投射される。私たち映画観客にも、重層化したフィクションと事実の近似の偏差を測定するよう強要するのである。たとえば、暴漢に刺されたアイが血で染まった口で最後に言うセリフ「あいつのせい」の発話の強弱が、現実のアイの掠れた声と、それを6歳時の記憶を頼りに再現してみせる娘ルビーによる、憎悪と激情にまかせた声の差異など。

 本作のオープニングのナレーション「この物語はフィクションである。というか、この世の大抵はフィクションである。捏造して、誇張して、都合の悪い部分はきれいに隠す」は、『15年の嘘』なる再現映画の製作という倒錯した事態に至って、完膚なきまでに転覆させられる。再現=再演の暴走によって、シミュラークルのニヒリズムが覆されたのである。ロケーション現場のキャスト控え室でアクアマリンとルビーの双子がたがいの前世を初めて明かして抱擁するシーンは、あるタブーの侵犯と無化が同時に実行された劇的瞬間であり、その倒錯性によって2020年代日本映画を代表するクライマックスとなった。

 映画の主題がそれじたいの展開/転回によって裏切られ、破綻に追い込まれる事態に、筆者は快哉を叫ぶ。最後の1時間はまさにThe Final Actというサブタイトルにふさわしいダイナミックなアクトだった。アイドルに関心を持った経験のない筆者のような観客にさえも、原作から今回の実写化に至る全関係者の熱に浮かされたような異常な情熱が痛いほど伝播した。通俗性にどっぷりと浸かりながらも、このような異形の荒唐無稽が画面を騒がしく彩るのだとしたら、世界の映画シーンで現代日本映画の独特な存在意義は、たしかにあるように思えた。

『【推しの子】-The Final Act-』

2024年12月20日(金)より東映配給にて上映中
原作:「【推しの子】」赤坂アカ×横槍メンゴ(集英社ヤングジャンプコミックス刊)
監督:スミス
出演:櫻井海音、齋藤飛鳥、齊藤なぎさ、原 菜乃華、茅島みずき、あの
企画・プロデュース:井元隆佑 
脚本:北川亜矢子 
音楽:fox capture plan 
Ⓒ赤坂アカ×横槍メンゴ/集英社・東映 
Ⓒ赤坂アカ×横槍メンゴ/集英社・2024 映画【推しの子】製作委員会

今月のThe Best

コーヒー豆

 埼玉県のベッドタウンに転居してちょうど1ヶ月が過ぎた。かつて両親が買った家であり、少年時代の一時期に住んだことはあるものの、土地勘に不案内であるため、寒い中をトボトボ散歩し、この土地に早く慣れようと努めている最中である。美味い上海料理店、韓国料理店、沖縄料理店、イタリア料理店は見つけた。もちろん東京都心部のようにはいかない。酒にくわしいマスターのいるバーも見つけていない。しかしながら、加齢にともなって、隠遁気分もなくはない転居だっただけに、都内の食通も知らぬ無名の良店で美味いものを頬張る気分は、決して悪くない。 
 そんな矢先、コーヒー豆を挽き売りする小売店「S」を見つけた。若い夫婦が豆の選定については相当の矜持をもって商っている様子。イートインスペースを設けていないことがその矜持を物語る。新宿区市谷薬王寺町の前居では、新宿紀伊國屋書店ウラの「ヤマモトコーヒー店」もしくは自宅前の「薬王寺カフェ」でエスプレッソブレンドを200g挽いてもらうのが常だった。喫茶店の座席でいただくコーヒーも嫌いじゃないが、やはり自宅のマイ本棚の前で本をパラパラめくりながら立ったまま啜るコーヒーが一番好きだ。「ヤマモトコーヒー店」「薬王寺カフェ」の代替を新居近くで見つけるのは困難と予想していた筆者にとって、「S」の発見は望外の僥倖と言える。マンデリンG1(インドネシア)、ピンクフラミンゴ(ケニア)と楽しんでいるところだ。
 友がひとりとしていないこの土地で心穏やかに生きていくために、コーヒー豆の苦味ひとつにも幸福を感じる拡大解釈の術が必須となる。