MIYASHITA PARKを見はらす
「意気地なしの風景」という言葉を、団塚唯我監督『見はらし世代』を見ながら久しぶりに思い出した。ややこしい連想なので説明に窮するが、それでも連想を追っていきたいと思う。
この映画の3人の主人公――20代の若い男性・蓮(黒崎煌代)、その姉・恵美(木竜麻生)、父・初(遠藤憲一)――は、母であり妻である由美子(井川遥)の自殺をきっかけに、父子間が疎遠になっている。由美子の死の背景には、ランドスケープアーキテクトである初が家族をないがしろにして、キャリア面の上昇志向を優先させた事実がある。せめて3日間だけでも海岸近くの別荘で家族団らんの時間を過ごすはずが、初が建築コンペを優先させて急遽帰京したことが、この映画の悲劇の始まりである。そしてそのコンペとは東京・渋谷の、あのMIYASHITA PARKなのである。
MIYASHITA PARKは知ってのとおり、渋谷区と三井不動産が反対運動の盛り上がりを一切無視して強引に推進したことで記憶される再開発案件であり、トータルデザインを手がけたのは団塚栄喜。この映画の監督・団塚唯我の父である。
祝花の配達員として働く蓮が、代官山ヒルサイドテラスで開催されている父親の展覧会会場に胡蝶蘭を配達しに行って、怒りに震えながら鉢植えを父に放り投げるシーンがある。したがってこの映画は表面的には、息子によるエディプスコンプレックスの映画だと言っていい。夜、明治通りの歩道に立って見上げる蓮のバストショットに続いて、威圧的に聳え立つMIYASHITA PARKを凝視するバックショットとなる。このモニュメンタルな建造物が、母の死と家族の解体という取り返しのつかぬ犠牲の代償として生起した巨大な墓碑にほかならないという蓮の無念が、とめどなく滲み出ている。守随亨延氏によるカンヌ国際映画祭のリポート記事の中で、同作を持って映画祭に初参加した団塚監督は「個人的な実感から始まった」作品だと語っている。
「自分の今までの体験とかで、すごく似たような悲しみがあった。」
この「すごく似たような悲しみ」がどのような類のものであるかを、この場で詮索的に考察することは控えたいが、明らかに父子関係をめぐって重大な無念が横たわっていることだけはまちがいないだろう。
しかし事はそれほど単純ではない。エンドクレジットを見ると、ヒルサイドテラスにおける初の展覧会シーンを監修したのは監督の父である団塚栄喜その人であり、さらにはなんと劇用車にまで名を連ねているのである。父は息子の監督デビュー作のために一肌脱いでいるわけであり、そこに見え隠れするのは自己懲罰の感情なのか、芸術のためならなんでもするぞという芸道=外道論が作動しているのか、そのあたりのことは一観客にはわからないことである。
ここで本稿はようやく、冒頭文の「意気地なしの風景」という言葉に接続される。監督は変わりゆく渋谷に思い入れがある、と試写後の挨拶の中で述べていた。周知のとおり渋谷の街は現在「100年に一度」と言われる大改造の真っ最中であり、渋谷区立宮下公園の破壊とMIYASHITA PARKの誕生もその大改造の一環としてある。プロジェクトの中心は渋谷駅ターミナルの高層化であり、プロジェクトを率いるのが団塚栄喜より半世代上の建築家・内藤廣である。筆者が「意気地なしの風景」という言葉を見つけたのは、10年以上も前に内藤廣の対談集を読んでいた時だ。戦後日本の資本主義が作り上げたのんべんだらりとした都市の見はらしを内藤は「意気地なしの風景」と名付け、それをどうにかしたいという主張だったと思う。そしてその結果が、現在の渋谷駅再開発ということだ。内藤は「意気地なしの風景」をぶっ壊して、今の渋谷を改造し続ける張本人である。
2023年10月、NHK『日曜美術館』が「建築家・内藤廣 渋谷駅・世界一複雑な都市開発を率いる男」という回を放送した。司会の小野正嗣を含め、NHK側は渋谷駅改造を絶賛モードでのみ描き、内藤廣の自画自賛をなんの反論もせずに拝聴していた。じつに反吐の出る回だった。『見はらし世代』もまたこの反吐の出る感覚を共有している。「意気地なしの風景」をぶっ壊す側の修羅の覚悟まで見通すならまだ許せるが、NHKの番組製作者はその視点さえも持ち合わせておらず、その意味でNHKの番組じたいも「意気地なしの風景」そのものである。
初の設計事務所につとめる台湾人女性(蘇鈺淳)が、ホームレスの炊き出しが実施されていたとある住宅街の公園を潰しての再開発事業の設計を、自分たちが担当することになったことに対して、雇い主である初に向かって率直に反論を述べる。
「ニュースで見ました。今開発を予定してる場所って、ホームレスの人たちが暮らしてるって。炊き出しもしてるって。彼らはどこに行くんですか?」
「それを考えるのは、行政の仕事だろ」
台湾人女性の意見を「それを言ってしまったら水掛け論じゃないか」と一蹴する初の紳士的な冷酷さは、私たち観客には見覚えがある。映画の冒頭で、家族よりもキャリアの上昇を優先する初をなじる妻・由美子に対しても、彼は「そんなこと言ったらもう水掛け論じゃないの」と切り返していた。ちなみに、この台湾人スタッフを演じた蘇鈺淳は東京藝術大学に留学するために来日した映画作家で、PFFプロデュースで長編デビュー作『メイメイ』を完成させたばかりであり、9月のPFFでプレミア上映された。独特な視界が連なっていく感覚がすこぶる面白く、注目の新人作家である。
死刑台としての階段
『見はらし世代』はラスト3分の1の時点で予想もつかぬ展開を見せて、観客の度肝を抜くが、それは詳述しない。むしろ本稿では、劇的な展開をもってしても喪失することなきフォルム上の一貫性について論じて、とりあえずの結論としたい。先ほどは、明治通りに立つ蓮にとってMIYASHITA PARKが家族の墓碑として屹立している、と書いた。そしてその屹立性はこの映画を隅々まで支配していたことに気づいておきたいのである。
重大なコンペの最終選考まで残った(のちに判明するのは、それがMIYASHITA PARKのコンペだった)ため、別荘に到着した直後だというのに帰京しなけれならないと初が告げた時、由美子は階段を上がって中二階の部屋に逃げこむ。「この3日間は家族に集中して、って私言ったよね」「そんなこと言ったらもう水掛け論じゃないの」。夫婦は口論となり、初が部屋を出て行ったあと、娘の恵美が部屋に来て「大丈夫?」と尋ねる。由美子は答える。「大丈夫。ママは横向きが好きなの」
この中二階の部屋という空間構造と、そこへ続く数段の階段は、死刑台を想起させてやまない。楽しみにしていたバカンスが中断されたという理由だけで由美子は自殺したわけではあるまい。そこに至る堆積した絶望を、由美子役の井川遥が繊細に演じていた。
映画の時制は突如として10年半後に飛んで、完成したMIYASHITA PARKのレストラン開店祝いの花を蓮が配達する。彼が上り下りするパークの威圧的な階段も、異様な縦積み構造の公園も、10年半前の中二階の部屋に続く階段の、修羅的な拡大フォルムである。蓮の住む3階建アパートメントの、舞台の書き割りのような垂直的なフォルムも……蓮がよく休息に立ち寄る、急な階段坂によって高低差が強調された地形の公園も……初のオフィスが入居するビル(妹島和世設計のSHIBAURA HOUSEでロケーション撮影されている)のガラス張りの吹き抜けの中を上昇する螺旋階段も……あれもこれもすべての垂直性が、あの別荘の中二階の部屋に見立てた死刑台のアレゴリーが肥大化した姿にほかならない。
そこに映画作家は「落下」という符牒を付け加える。別荘に向かう途中で一家4人で立ち寄ったパーキングエリアの電球は霊的な力によって落下し、初の現在の恋人である事務所スタッフ(菊池亜希子)から肩を叩かれただけで狼狽した蓮は、抱えていた胡蝶蘭を落下させてしまう。なにかまがまがしいものが屹立するということと、落下しないはずのものがたやすく落下するということ。これが映画『見はらし世代』をつらぬく原理である。この原理は、みずからの胸中に巣食う「意気地なしの風景」から目を背けることを禁じようとしている。
例のパーキングエリアで再会した蓮、恵美、初の3人は、自分たちの目の前に「意気地なしの風景」が広がっていることに気づき得たのか。パーキングエリアの食事を無言で掻きこむ父と弟の姿を見比べる恵美は、弟が父を憎んでいながらも、ここには明らかに相似形があること、また、父を憎み、社会制度への反発を隠さない弟の口数の少なさが、父の「それは水掛け論」という口癖と同質のものであることを、冷静に見透かしてしまうのである。
これも詳述はしないが、ある理由によって父は恥も外聞もなく号泣する。その光景を遠めから目撃した息子から笑いが漏れる。その笑みは赦しだろうか。嘲りだろうか。それともそこに自分自身の「意気地なし」ぶりを透視したのか。人間たちの卑小さを、屹立した建造物が見下ろしている。タイトルにある「見はらし」とは、父に対する子の愛憎含んだ視線ではなく、父の贖罪的かつ修羅的な視線でもない。いや、その視線の相互性を指しているのかもしれない。そしてより正確には、まがまがしく見はらされていたはずの建造物が、逆に人間たちの卑小さを見返している。その見はらしの不気味さを指しているのではないか。



『見はらし世代』
10月10日より
Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下、新宿武蔵野館、アップリンク吉祥寺ほか、全国公開
監督・脚本:団塚唯我
出演:黒崎煌代、遠藤憲一、木竜麻生、菊池亜希子、井川遥 ほか
2025年|カラー|115分
制作プロダクション・配給:シグロ
©️シグロ/レプロエンタテインメント
*第78回カンヌ国際映画祭 監督週間正式出品作
今月のThe Best
吉行和子とベロン姉妹
9月2日、俳優の吉行和子が肺炎により90歳で亡くなった。訃報が伝えられたのは1週間後の9日。その3日前の9月6日、私は東京日仏学院(新宿区市谷船河原町)でヤニック・ベロン監督『永遠は、もうない』(1976)を見た。めったに上映機会のない貴重な映画体験だった。『永遠は、もうない』の主役はビュル・オジエ演じるクレールで、レズビアンである彼女は、亡くなった年上の恋人アガト(ロレ・ベロン)の遺品整理のために海外から帰国し、舞台俳優だったアガトの遺品(衣裳、遊具、戯曲、アルバム…)をオークションで片っ端から買い戻しながら、追憶の徘徊に日々を費やす。アンドレ・ブルトンの小説を読むようなシュルレアリスティックな気風を濃厚に残す逸品だった。
『永遠は、もうない』の監督ヤニック・ベロン(1924-2019)はドキュメンタリーやテレビ番組の演出仕事で生活の糧を得ながら、アラン・レネ、ジャン・ルーシュ、クリス・マルケルら、ヌーヴェルヴァーグのいわゆる「セーヌ左岸派」と交友を重ねていた人だ。そして回想に登場する亡き舞台俳優アガトを演じたロレ・ベロン(1925-1999)はヤニックの1歳ちがいの妹である。こちらもジャン=ルイ・バロー、ピーター・ブルック、ジャン・ルノワールなどの錚々たる演出家の薫陶を受けつつ、ジャン・ジュネやポール・クローデルの芝居に出演していた人。ベロン姉妹はフェミニストとして知られ、ロレは共産主義の女性雑誌『ファム・フランセーズ』1951年5月号から大口スポンサーになって、同誌の表紙を何度も飾っている。
ここでロレ・ベロンと吉行和子が(個人的にはドラマティックに)結びつく。幼い頃から喘息を患い、健康に自信を持てなかったため、女子学院高校卒業後は得意な裁縫を生かして衣裳係になれればと考えて劇団民藝に入団し、当初は俳優になるつもりはなかったという吉行和子が、90歳まで現役役者のまま大往生をとげ、来年まで出演作の公開が控えているというのだから、すばらしい体調管理能力は賞賛しても賞賛しきれない。その彼女が2010年に紀伊國屋ホールにおける舞台引退作として選んだのが、ロレ・ベロンが書いた戯曲『アプサンス〜ある不在〜(原題 Une absence)』だった。同戯曲のパリ初演は1988年9月、ジャン=クロード・ブリアリが芸術監督に就任してまもないテアトル・デ・ブッフ=パリジャンである。
一時的錯乱で緊急入院した主人公の老婦人ジェルメーヌ・ムニエを初演で演じたのは、フランス演劇界の名優シュザンヌ・フロンだったが、紀伊國屋ホールにおける吉行和子も、錯乱した精神を多種多様に演じ、時に哀れに、時に荒々しく、時に毅然と、そして最終幕の退院シーンでは可憐に演じきった。みごとなラストステージだった。
『永遠は、もうない』のラストシーンは近未来SFに転調し、見知らぬ未来女性がパサージュの中にある画廊を訪れ、展示室の真ん中にぽつんと置かれたアルバムをめくってクレールとアガトが写った写真を眺める。この画廊シーンはおそらく、パリ1区のパサージュ「ギャルリー・ヴェロ=ドダ」内にあるヤニック・ベロンの事務所で撮影されたものと思われる。
