あのガソリンスタンドは本当にあって、あのガソリンスタンドのおしいさんは本当に働いているおじいさんです。 はす向いにご自宅があって、ひとりでお店を守っていました。あのおじいさんが私はだいすきでした。 撮影のない日、自転車で通ったら、ちゃんとぽつんと座っていたり、気持ちよさそうに居眠りしたりしてました。 撮影中にたま?にお客さんがくるとゆっくり歩いてガソリンをいれてました。 はあ〜〜、映画にでてくる人みたい!! すっきりしたよいお顔! しゃべり方がよいんだなあ〜〜。丁寧でながいのね。わたしのもういないおじいちゃんに似ていたなあ。 みんなの名前はすぐに覚えてくれてました。しかも一日会っただけで、ほぼ全員。すごい記憶力! 人の名前をなかなか覚えない私は、名前をすっきり早く呼ばれるって嬉しいことを知りました。 若いひとにもさんづけで呼んでくれる。謙虚だなあ。 上野さんは上手ですねえ〜〜と、肩もみをうれしそうにほめてたなあ。 出演してくれた日、長い待ち時間、目上の方なのにさあ〜、私や千春ちゃんに椅子に座るのをすすめてくれました。紳士だわあ。 何時間も待って下さって、深夜になっても、いやア〜〜〜たいへんですねえ。と笑って下さったなあ。 うつらうつらしながらも待って下さった、さぞお疲れだったろうにな。 やっぱりおじいちゃんに似てる! 元気の秘けつは何ですか?と聞いてみたら、いやア〜〜こうして若いひとのエキスをもらうことですよ。と言っていました。 お別れの時私はこっそり切なくて、握手をしてもらいました。はあ〜〜。 田子町のこんな遠いとこで、東京で出会うおじいさんみたいな、とってもピンときた楽しさがあったのです。 おしゃべりに文化があったもの。 映画のなかでほんの少しだけ、おじいさんのお声が残ったけどさ、 でももっと残っててほしかったなあ。 (写真右上/あのガソリンスタンドのおじいさんと、千春ちゃんと私)
・。愛しの田子。・
文・紺野千春
波の撮影で、私は数週間を田子の土地で過ごした。 山道を下った場所の、山に囲まれた小さな漁港の町。 道をサワガニが横断し、湿った緑の匂いがする町。 夕方には小学校のチャイムが山に響きわたる。 夜になると本当に虫の声しかしないような所だった。 私の産まれ育った土地も、小さな漁港の町だった。 学校が休みの時は漁師だった祖父の船に乗り込み、その度に船酔いをしていた。 夏になると家からうきわをかかげ、目の前に広がる海へ急ぐ毎日だった。 そんな子供の頃を、田子に来てからというもの、毎日のように思い出していた。 一日の撮影が終わり、女子寮として与えられた一軒家は、撮影場所から少し離れた山の斜面 に建っていた。 そこへ帰る道のりは、実際のところ体力的につらかった。 街灯のない急斜面 の道を懐中電灯を頼りに、息をきらし“よいしょ、よいしょ”という一声を唱えながら進んだ。 そして、また、まっ暗な山道をたった一人、小さな明かりで歩くのは、きもだめしのようで、とても恐かった。そんな私の横を、体よりはるかに重そうな大きなカゴをしょって、颯爽とかわしていった小さな老婆の姿を見た時は 恐怖と驚きで愕然としてしまった……!! そう、ここ田子の町の人々は日頃からこの山道によって鍛えられているのだろう……。 これではいけない……東京へ戻ったら体を鍛え直そうと思いしらされてしまったものだった。 撮影も終わりに近づいた頃、黄金崎という場所でロケをした。 おおきな夕日が海の中にゆっくりと落ちていく様は、涙がでるくらい美しかった。 じっと見つめていると、体が吸い込まれそうだった。 いつの日か、またこの場所へ海に落ちていく夕日を見に行こう。 田子という小さな町は、私にとって、とても魅力的で癒しの沢山つまった場所だった。 私の故郷とよく似た、やさしい場所だった。 そんな場所で『波』を撮影し、田子という町に出会うことができ、私は本当に胸がいっぱいだった!!
熱くて軽いプロデューサー座談会
『波』は奇跡を起こせるか!?
渡辺謙作×大森立嗣
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