上野昻志 新・黄昏映画館

4.夜明けまでバス停で(高橋伴明監督、2022年)

監督、頑張ってますね! 良かったですよ。

 

この映画は、2020年に起こった事件が、着想の元になったと思われる。あれは、わたしにとっても、強い衝撃を受けるとともに忘れがたい事件だ。

2020年11月、渋谷区幡ヶ谷のバス停前のベンチで休んでいたホームレスの女性が、頭を石の入ったレジ袋で殴られて亡くなったのだ。

亡くなったのは、当時64歳の大林三佐子さんで、死因は、外傷性くも膜下出血。大林さんは広島出身、アナウンサー志望で、一時は劇団に所属していたらしい。以前はコンピュータ関連の仕事をしていたが、事件の直近は、派遣でスーパー・マーケットの試食販売員をしていたという。やがて、家賃の滞納で住む場所を失い、住所不定で仕事を続けていたが、コロナ感染が拡がった20年2月に離職、深夜から早朝まで、バス停で過ごしていた。亡くなった時は、所持金は8円、ただ身なりはきれいだったという。

ホームレスに石をぶつけたり、その小屋に火をつけたりする事件はその前にもあり、やったのは、中学生ぐらいの悪ガキ、というのがほとんどだった。

だが、この事件が強く心に残っているのは、吉田和人という加害者が、常日頃、この近辺の清掃を自発的にやって、近所の人から感謝されるような、46歳にもなる立派な大人だった、ということだ。彼は、バス停前のベンチ周辺を掃除しながら、ベンチに座って動かない老女が、目障りで仕方がなく、そこから離れるように言ったが、言うことを聞かないので、殴ったというのだ。つまり、彼はゴミを片付けるように、生きている人間を片付けたのである。

そうか、ついにここまで来たのか、というのが、当時、わたしが思ったことである。街をきれいにする。それを誰に頼まれたのではなく、自分から率先してやる。普通に見れば善行だ。その善行が、ちょっとエスカレートして、ゴミと一緒に邪魔な人間を一掃してしまう。

エスカレートといったが、それは、ほんの一歩なのだ。彼にあったのは、毎日の掃除を、自分が決めた通りにやらねば気がすまない、その邪魔になるものは取り除くだけのこと、という、それ自体はごく日常的な感覚だろう。そこには、清潔第一とか、ホームレスになるのは自己責任といったような、一般に流布された考えがあったかもしれないが、その意味でも決して特別ではない。むしろ清潔好きで「常識」的な人間が、一歩踏み出せば人を人と思わず始末するという事態を顕在化したのが、ほかならぬ、現在の社会ということだろう。

 

『夜明けまでバス停で』には、この加害者に擬した人物が登場するが、わたしが、この映画で、唯一、気になったのは、彼を演じた俳優が、体つきも逞しい大柄な男だという点である。これでは、暴力を振るうのも当たり前に見えてしまう。ここは、そうではなく、日頃は乱暴なことなどしそうもない、細身で、神経質そうな感じの俳優を起用すべきではなかったか。

パンフレットに寄せたコメントで、長谷川和彦が、「たったひとつの不満は、『石を振り上げる男』の描写だ.俺はこの男にも感情移入をしてみたかったのだ」と言っているが、まったく同感である。そうしたほうが、いまの社会が抱える病理が、より鮮明になったはずだからだ。

映画から、事件を思い出したため、そちらの話が長くなったが、『夜明けまでバス停で』は、事件をなぞったものではない。むしろ、事件以後、現在にまで続くコロナ感染症による業務停止や廃業、その煽りをくって失業・失職する人たちがあとを絶たない現在をまっすぐに描いた作品なのだ。

板谷由夏演じる三知子は、アクセサリーを作り、それを知り合いのアトリエで売ったりもしているが、夜は、チェーン店の居酒屋で、住み込みのパートとして働いている。アクセサリーの売り上げなど知れたものだから、彼女の生活を支えているのは、夜のバイトのほうだろう。

この居酒屋の描写が、実にリアルで冴えている。彼女の同僚には、ルビーモレノや片岡礼子、土居志央梨など、懐かしい! 面々が顔を揃えている。そして彼女らの上には、社長の息子というマネージャーや、正社員の店長がいる。マネージャーを演ずるのは、三浦貴大、正社員の店長は、大西礼芳。

わたしは、「石を振り上げる男」のキャスティングに異を唱えたが、こちら居酒屋グループは、とてもよく嵌まっている。なかでも、三浦貴大のパワハラ、セクハラ上等のマネージャーぶりには、うまいなあと感嘆した。

彼の、なにかというと、女性に身体を押しつける仕草もさることながら、ルビーモレノなどのパートが、客の残した料理をポリ袋に入れて持ち帰ろうとするのを見つけると、残り物は廃棄、野良犬みたいな真似するな、などと言いながら、これみよがしに、女たちが隠したポリ袋を取りだし、バケツに放り込むときの嫌ったらしさといったら、ホント、こういう嫌味な男いるよな、としみじみ感じ入った。最近は、あまり見ることがなかったが、三浦貴大は、この映画で見事な演技者ぶりを発揮している。

そんなパワハラ上司による屈辱的な仕打ちを受けながらも、居酒屋での仕事が続く限りは、三知子たちの日常に変化はなかったが、コロナが蔓延し、感染源として飲食店などが槍玉に挙げられると状況は一変する。店が営業を停止すると同時に、三知子たちパートは仕事を失うのだ。わけても、住み込みだった三知子は、住む場所も失う。窮した彼女は、住み込みの介護施設に職を求めるが、そこも、人員縮小を理由に拒否される。

かくして、三知子は、身の回りの物を詰め込んだキャリーバッグを引きずりながら、束の間の居場所を求めるホームレスとなる。寝るのは、終バスが出たあとの、バス停のベンチだ。

ホームレスとしてキャリアの浅い!彼女は、腹を空かせて、レストランの廃棄された食べ物を取ろうとして、従業員から、罵声とともに追い払われる。三浦マネージャーのような男は、どこにでもいるのだ。

もっとも、柳美里の『JR上野駅公園口』(河出文庫)によると、上野にある老舗のレストランなどでは、ホームレスに対して、暗黙の了解で、生ゴミとは別に、売れ残った総菜をきれいな袋に入れておいてくれたというのだが、そうでない店のほうが多いのだろう。

ともあれ、三知子は、少しでも生きる糧を得ようと、公園で、自作のアクセサリーを売ろうと試みるが、根岸季衣扮する、派手なお婆ホームレスから、ここはアタシの縄張りと咎められ、新参者の心得など教わる。ただ、彼女と出会ったことで、三知子は、ボランティアによる炊き出しに並ぶことを覚え、下元史朗扮する物静かなインテリ風の「センセイ」や、柄本明演じる過激な「バクダン」と知り合うようになる。

このような三知子のホームレス暮らしが綴られる一方で、営業を停止した居酒屋で、マネージャーからセクハラを受けながらも、真面目に働いていた大西礼芳の店長は、三知子が行方不明になったことを心配しながら、彼女たち、パートに支払われるべき90万円の退職金を、マネージャーが受け取っていることを突き止め、返金を迫ると同時に、彼が仕入れなどで不正を働いていたことを暴くのだ。そして、渋々、返金を承知しながら、仕入れの誤魔化しについては、いずれ社長になれば云々と居直るマネージャーに愛想を尽かして、彼女も会社を辞めることになる。

大西礼芳店長のその後を描いたこの一連は、最後の場面と重なって、女同士の暗黙の連帯とでもいうべきものを浮かび上がらせて、作品に一条の光を投げかける。

だが、三知子を元気づけるのは、バクダンの存在だ。まず、飾りのついたフードをかぶった柄本明の面構えがいい。顔がバクダンしている、というと言い過ぎか!

彼のなかでは、70年代初めで時間が止まっているのか、三知子に、かつての闘争の記憶を語り、爆弾製造の教則本「腹腹時計」を見せる。そして二人は、彼の小屋のなかで爆弾作りを始める。その作業に熱中する三知子は、ホームレスになってはじめてといってもいいような明るい表情をみせる。かくて爆弾は見事に完成し、いざ実験となるが、その顛末は……。

爆弾は、明治時代の爆裂弾ならいざ知らず、実際の闘争では、手作りの拳銃ほど役にたたない。いたずらに周辺の被害を大きくするだけで、その結果は、目的や意図したこととは反対に利用されるだけだ。ならば、爆弾などてんから廃棄すべきか。いや、そうではない。爆弾ならぬバクダンを常に心に抱いて、この世界に立ち向かうこと、それこそが、この苛烈な時代を生きのびるに必須なことではないのか。三知子が最後に見せる笑顔は、そう語っているように思える。

  • 『夜明けまでバス停で』
  • 公開中
  • 監督:高橋伴明 脚本:梶原阿貴 撮影監督・編集:小川真司
  • 出演:板谷由夏、大西礼芳、三浦貴大、松浦祐也、ルビーモレノ、片岡礼子、土居志央梨、柄本佑 、筒井真理子、下元史朗、根岸季衣、柄本明
  • 2022年/日本/カラー/91分
  • 配給:渋谷プロダクション
  • 公式ホームページ:https://yoakemademovie.com
  • ©2022「夜明けまでバス停で」製作委員会
近時偶感

台湾有事は、日本有事などと煽る声を背に、防衛費を増やし(そのぶん社会保障費を減らし)、トマホークを買おうなどと、アメリカの軍需産業を潤す計画が進んでいるようだけど、連中、本気で防衛を考えていると思えないね。この国を守ろうとするなら、第一にやるべきは、こちらの弱点をいかに減らすかだろう。一番ヤバいのは原発だが、日本には、原発が54基もある。そのうちの3つか4つ潰されたら、列島は放射能で覆われ、即アウト。原発をいかに守るか、まずは核燃料を地下に埋設することだ。昭和の軍部は、勝つことだけ夢見て、防御をまともに考えなかったが、その轍を踏んでくれるな!