『オークション 〜盗まれたエゴン・シーレ』(パスカル・ボニゼール監督、2023年)
『Le Tableau volé/盗まれた絵画』という簡潔な原題の本作は、2000年代初頭に、行方不明になっていたエゴン・シーレの「ひまわり」という絵が、フランス東部の工業都市ミュルーズ郊外の若い工員の家で見つかったという事実をベースにした物語である。
まず、場面展開の早さと、短いセリフのやりとりで登場人物の性格を浮き彫りにする表現に惹かれる。これは、脚本も書いている監督の手腕であろう。
最初に映るのは、本作の主人公である絵画鑑定士のアンドレが、助手のオロールに指示して絵をチェックしているシーンだ。絵の値段を80万ユーロと告げるアンドレに、いかにも富裕な暮らしをしているらしい老婦人が、100万保証してというのだが、彼女は目が見えない。娘さんにでも見てもらえば、と言うアンドレに、娘は黒人とばかり付き合うので絶縁していると返す。だが、目の見えない彼女を世話するメイドは黒人女性なのだ。毎日の暮らしを黒人に頼りながら、あからさまに黒人差別をする倒錯。ここには、作者の上流人士に対する痛烈な皮肉がある。
帰りの車中でのアンドレとオロールとのちぐはぐなやりとりを見せたあと、画面は、問題のマルタンという工員の家になり、2人の友だちが遊びに来て、トランプをやるシーンになる。この素早い転換に、こちらの理解が一瞬遅れるが、次第にそれが心地よくなる。と同時に、その場面を通して、マルタンと友だちとの仲がいいような悪いような、若者にはありがちともいえる微妙な関係が見えてくるのも面白い。
同様なことは、さらに深刻な形で、アンドレと助手のオロールとの間にあることが次第に明らかになるが、なにより問題なのは、オロールという女性だ。彼女は病的な虚言症なのだ。
それが最初に見られるのは、彼女と父親とのやりとりである。彼女は、衣服の競売場で150ユーロで買った毛皮のジャケットを、訪ねてきた父親に賞められると、社長の奥さんのお下がりだと言い、さらに父親を部屋に入れたくないためか、鍵を事務所に置いてきたと言う。いずれも、すぐバレる程度の嘘なのだが、もっとあとでは、さらに酷い嘘をつく。それが、一見、きわめて真面目で堅そうな風貌の女優、ルイーズ・シュヴィヨットが演じているがだけに、より面白い。
ともあれ、物語は、アンドレのもとに、シュザンヌという弁護士から、エゴン・シーレのキャンバス画が見つかったという知らせがきたことから動き出す。これ以前に、エゴン・シーレの絵が見つかったのは30年前のことだから、どうせ贋作だろうと言いながら、それでもアンドレは、その絵の写真を送ってくれと弁護士に頼む。
その後、送られてきた写真をスマホで見たアンドレは、この世界に詳しい元妻のベルティナに電話をして、ことの次第を説明する。浴槽に浸かりながら、電話を受けた彼女は、99%贋作ね、と言うのだが、見つかった場所がミュルーズと聞いて、興味を惹かれたらしい。時をおかずに、アンドレとベルティナと弁護士のシュザンヌが、車でミュルーズ郊外のマルタンの家に向かう。彼らは、そこで問題の絵と対面することになるが、このくだりが、最初の山場といえよう。
マルタンの家の壁に掛けられた絵を見たアンドレとベルティナは、同時に笑い出す。マルタンと母は、どういうことかという表情をしているが、弁護士は、贋作でも笑うのは失礼でしょうと2人を咎める。それに対して、2人は、この絵は本物で、シーレが1914年にゴッホの「ひまわり」をモチーフに描いた、彼の代表作で、1939年に行方不明になったままだったと告げる。そして、価格は10か12か、と言うのだが、その単位が100万ユーロと聞いて、母は卒倒する。
この絵は、前の家主から家と一緒に買ったものということだが、その家主が残したトランクを調べていくと、彼がナチスの保安警察に属していたことがわかる。そんな男の所持品の中に何故、この絵があったのか?
ここからは、今ではよく知られたナチスと絵画の話になるのだが、ベルティナが事情を説明する。それによると、この絵は、オーストリア出身のユダヤ人でエゴン・シーレのパトロンだったステファン・ワルベルグが、1918年に購入したものだという。彼は、ナチスの手を逃れるため、フランス経由で米国に行ったが、この絵はナチスに没収された。それが、元保安警察官だった家主の手に渡ったのは、ナチスが近代絵画を退廃として破棄したり、一部は、部下へのチップ代わりにやったからだろう、と。話を聞いたマルタンは、絵は、米国のワルベルグの遺族にあげて、僕はいらない、と言う。
マルタン家を出たところで、シュザンヌ弁護士は、アンドレに、絵は法的所有者に返されるべきだが、依頼人(マルタン)は、誠実に手に入れたのだから、然るべき見返りはあるべきだと言い、アンドレも、値をつり上げる努力はすると応える。
と、場面は、これまたいきなり、オロールが古書のオークション会場にいるシーンに替わる。彼女は、競売人が挙げる本に値をつけている男に目を向け、彼と競い合うように値をつり上げていく。その一連のあとで、この男につかまったオロールが彼に大嘘をつく展開となるのだが、男が誰なのかは説明されない。ただ、このあとで、アンドレが会社で、彼にオロールを紹介した同僚から、オロールの父親は、古書を扱う金持ちだったが、パートナーに騙され、妻も寝取られ、税務署から全財産を没収されたという話を聞くくだりがあるので、それに関わる男だったのかもしれない。
いずれにせよ、この一件によってオロールは父親の怒りを買い、さらに、彼女が心の内にどんな問題を抱えているか聞き出そうとするアンドレに向かって、私に権力を振りかざすバカよ、と言い放って、会社を辞めていく。それで、一件落着かと言えば、さにあらず。そんなオロールが、のちに、問題の絵を巡って窮地に立ったアンドレを救うことになるのだから、世の中はわからない。
問題の絵の行方と平行して語られる人間関係が面白くて、つい長くなってしまったが、アンドレが、ワルベルグの息子と会って、彼の父親がなくした絵を工場で働く夜勤労働者が持っていたが、本来の持ち主に返すと言っていると伝えると、老齢の息子は喜んで、アダルは与える月だから、その若者を十番目の相続人に加えようと言い、彼には落札価格の10%を提供すると付け加える。与える月というのは、ユダヤ教の慣習と関係するのかもしれないが、よくわからない。
これで、長いこと消息不明だったエゴン・シーレの絵画が、晴れて日の目を見ることになりそうに思えるが、そうは問屋が卸さない。絵を別の鑑定人を招いて見せたことから事態は急変する。老人のこの鑑定人、絵を見るなり、失望した! クオリティが低いと言って帰るのだ。そして、追っかけるように、ワルベルグの弁護士が、アンドレに、あの絵は、高く売れないので競売には出さない、800万で買い手がついたと電話してくる。
せっかく見つけた絵が自分の手を離れたことに落胆したアンドレは、自宅に帰り、ワルベルグに電話するが受け付けないので、酒を呷る。ベルティナがやってきて、風呂を借りるというところに、オロールも訪ねてくる。アンドレが、あの絵の話は終わったと言うのに対し、オロールは、終わってないと言い、ここでも2人は行き違い、オロールは帰って行くのだが、思い直したアンドレが彼女を訪ね、彼女が書いた覚え書きから、800万の買い手を巡る裏工作に気づき、事態を逆転させることに成功する。
そこから、問題の絵のオークションで、アンドレが指揮者のように鮮やかな差配を見せる以後の展開は、観てのお楽しみとしておこう。ただ、その7カ月後として示される、独立を果たして朗らかな様子のアンドレに、仲直りしたオロールと父(オロールには恋人も出来たらしい)、そしてなによりも、渦中の人物として注目されながら、自分を見失うことなく以前の仕事を続けるマルタンに、なんとも言えぬ爽やかな気持になったことを言い添えておく。
加えて、これだけ個々の人物の性格や互いの関係を含め、入り組んだ物語を91分で語り尽くした監督の手腕に脱帽する。大した話でもないものを、2時間以上も費やして映画にしている連中は、是非とも見習うべきだ。
- 『オークション 〜盗まれたエゴン・シーレ』
- 監督・脚本・翻案・台詞:パスカル・ボニゼール
- 出演:アレックス・リュッツ(アンドレ)、レア・ドリュッケール(ベルティナ)、ノラ・アムザウィ(エゲルマン弁護士)、ルイーズ・シュヴィヨット(オロール)、アルカディ・ラデフ(マルタン)、アラン・シャンフォー(オロールの父親)他
- Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほか全国ロードショー中
- 配給:オープンセサミ、フルモテルモ
- 原題:Le Tableau volé /2023 年/フランス映画/フランス語・英語・ドイツ語/91 分/シネマスコープ/カラー/5.1ch
- ©2023-SBS PRODUCTIONS
近時偶感
聴衆に向かって、人差し指をぐるぐる回しながら、誰かを指さすようなミスター・トランプの仕草が、その場にいるわけでもないのに、イヤで眼を背けたくなっていた。だが、彼の地では、そんな品のない彼の仕草が、親しみあるものと受け入れられていたのかもしれない。彼が大統領に返り咲いて、アメリカでは、それこそ、地殻変動のような変化が起きているのだ。
その最初の変化は、これまでフェイスブックやインスタグラムのサービスを行っていた米メタが、ファクトチェックを廃止すると決めたことに現れている。メタの最高経営責任者は「表現の自由」のためだと言っているが、なんのことはない、フェイスブックで、トランプのガセ情報をカットしたことについて反省の態度を示して、大統領にすり寄るためだ。結果、権力者は、最大限の表現の自由を謳歌することになるだろう。
メタが進めているのは、ファクトチェックの廃止だけではない。トランプ政権が、DEI=「多様性、公平性、包括性」確保の取り組みを否定する姿勢を見せているのに呼応して、多様性や公平性の確保に向けた目標を廃止し、同時に、多様性の観点から取引先を決めてきた、これまでの方針も撤回するというのだ( 朝日新聞・1月12日朝刊)。
同じ記事によれば、多様性や公平性の確保の廃止は、メタばかりではなく、IT大手のアマゾンから、フォード・モーター、さらには、我々にも身近な、マクドナルドや、小売りのウォルマートなども進めているという。
この20年ぐらいのなかで、人種や文化、ジェンダーなどの多様なあり方を受け容れ、個々の人権を尊重すべきだとする志向が、実際はともかく、曲がりなりにも理念としては認められてきたことが、ここで、否定されようとしているのだ。それが、一応、民主主義の先進国と見做されてきたアメリカで起こっているのである。
ここでは、権力になびくメタの方針転換に焦点を当ててきたが、メタと並ぶXでは、かのイーロン・マスクが、ドイツの右翼政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の党首と対談したばかりか、AfDへの投票を呼びかけたりしている(これ、内政干渉じゃないか!)のだから、どうしようもない。
年明け早々から顕在化した、民主主義をかなぐり捨てようとするアメリカの動向は、いずれ日本にも及んでくることを覚悟しなければならない。