『ミックスモダン』(藤原稔三監督、2026年)
久しぶりに泣いた! といっても、むろん、胸に、じんわりこみ上げるものがあって、涙が流れたのだが。
泣くといえば、その昔、松田政男さんが、ある映画で泣いたと言うので、へぇ、松田さんでも泣くの? と訊いたら、むろん、泣くよ、でも、だからって、いい映画とは限らない、母ものなんて、泣かせようと思って作っているんだから、と言っていた。
この映画は、もちろん、そのようなものではない。わたしが涙をこぼしたのは、終わり近くの場面で、淡々と語る女性の言葉に、思わず、胸をうたれたからだ。
さて、肝腎の映画だが、タイトルの「ミックスモダン」というのは、わたしなどには馴染みがなかったが、関西方面の、お好み焼きの一種らしい。だから、関西の人なら、一目見てわかったのだろう。
物語は、暴走族の仲間とつるんで万引きをした勇人という少年が、少年院に送られ、出所したものの、父親が身元引き受けを拒否したので、代わりに、お好み焼き店の主人が彼の身元を引き受け、自分の店に雇うというところから始まる。
大阪に、わたしなども行ったことのある千房という有名なお好み焼きチェーンがあるが……わたしは、ちぶさと呼んで笑われた……ここの社長は、以前から、刑務所や少年院出所者の雇用支援を行ってきたというから、それが、この物語の背景になっているのだろう。
かくして、18歳の勇人が、お好み焼き店で、客の注文を訊いたり、出来上がった料理を運んだりの毎日が始まるのだが、彼自身に関わることで、まず見落とせないのが、父親との関係である。
出所した息子の身元を引き受けないというのは、すでに記したが、その後、勇人が店主が用意した寮に入り、父親に、自分の私物を引き取りたいと電話したのに対し、全部捨ててしまったと言って、電話を切ってしまう。さらに、店主と一緒に会いに行ったときも、詫びる勇人に向かって、二度と来るな、とけんもほろろに突き放すのだ。
このような境遇にある勇人が、お好み焼きの店で働きながら、どうなっていくのか、というのが、本作の主筋になるのだが、実は、それに劣らぬ、もう一つの物語があって、それが作品全体を大きく支えているのである。



『ミックスモダン』というタイトルが出た直後に、医師の診断を受けた女性がすすり泣くショットが出るのだが、その女性が何者かわからない。それが、時間を重ねるなかで、例のお好み焼き店のヒロさんと呼ばれる主人の妻の園子さんであることがわかるのだ。
彼女は、子どもが欲しいのだが、出来ないので、不妊治療を受けている。それで、何度も治療を受けるのだが、夫のヒロさんからすれば、もう、いい加減に諦めたらいいのではないかと思っていて、普段は、仲良く店の仕事を続けながらも、時に言い争いになったりする。そこには、同じように不妊治療を受けて、何回目かに子どもを授かったという、園子さんの姉が絡むので、この問題は、ずっと尾を引くことになる。
こうして、物語は、2年間の保護観察期間に、お好み焼き店で働く勇人と、彼を引き受けた主人夫婦が抱える問題との両方にわたって展開することになる。それが、ビビッドに観る者に伝わるのは、個々の人物の具体的な動きを通して表現されるからだ。さらに付け加えれば、彼らが生きる街の背景というか、それが、さりげなく示される点も見逃せない。
たとえば、店のシャッターに「死ね」とか、「さっさと店を閉めろ」と書かれたビラがべたべた貼られているのを女性が剥がしているショットが眼をひく。あれは、なんなのか? むろん、われらがお好み焼き店などではない。だから、物語とは直接に関係ない。だが、それがあることで、主人公たちが、どのような場を生きているかということが明らかになる。と同時に、本作を外に向けて開くドキュメンタリー的な働きもしてもいる。
劇中での出来事でありながら、勇人が、毎週火曜日に届けることになっているお好み焼きを持って行った先の松井という、アパート住まいの老人の存在もまた、物語を外に開く働きをしているといえよう。勇人が、2度目にお好み焼きを届けたとき、寝起きの老人は酒を飲みながら、人生で大事な事は何か、といって、自分の身の上話をするが、3度目に訪れたときには、老人はすでに亡くなっているのだ。
いずれのときも、勇人は、自転車に乗って行くのだが、そこで渡る橋が、彼が生きる空間を徴づけるものとして印象に残る。
そんなふうに、勇人のお好み焼き店での日々は、とりあえず順調に過ぎていくのだが、彼が、父親が住むアパートを訪れたことで崩れていく。初めて給料を貰ったことで、父の所に行ってみるという彼に、店主のヒロさんは、酒を選んで渡す。だが、勇人が勇んで行ってみると、父親はすでに引っ越してしまっている。隣人に訊いても、行き先はわからない。
行き暮れて佇む彼は、その夜、昔の仲間のバイクに同乗する。そして彼は変わっていく。決定的なのは、酒場で女の子と知り合ったことだ。そこから、ユキハという彼女の存在が、物語を大きく動かしていくことになる。
詳細は観てのお楽しみとするが、ユキハの行動が描かれるにつれて、彼女が、もっと初めの方で、顔も定かに映らぬ引いた画面で、先生と呼ぶ女性と二人連れで歩いていく場面があったことを思い出す。あとから思い合わすと、彼女がお辞儀をして出てきたのは少年院で、先生が電話をしても、相手が出ないという、その相手というのが、ユキハの母親であったろうと。
というのも、ユキハが勇人と関係が出来たあと、前に付き合っていた男とトラブルがあり、もともとクスリを常用していたらしい彼女が捕まり、少年院に再度収容されるようになった時、呼び出された彼女の母親が、隣に座るユキハを指さしながら口汚く罵倒する場面が圧倒的だからだ。よくもまあ、こんなセリフを考えたものかと、感心するくらいだ。なにしろ、彼女は、立ち会う施設側の人たちにまで文句を付けるのだから。
勇人の父親は、言葉少なく息子を切り捨てたが、ユキハの母親は、言葉の限りを尽くして娘を非難する。いずれにせよ、このような親子関係が、子どもの心を傷付け、社会の片隅へと追いやるのだ。彼らに手を差し伸べるのは、このお好み焼き店のヒロさんのような、心ある大人である。ただ、そのヒロさんにしても、勇人がユキハと関係が出来、さらにトラブルに巻き込まれて変わっていったときには、身元引き受けをしてきたことに自信をなくして保護司に相談するのだ。そんな彼を、たとえ話をしながら諭す保護司が、なんとも素敵なのだ。
話を戻せば、ユキハは、この時、勇人の子を宿している。それをどうするか、というところが、最後に描かれるのだが、そこで面会に来た園子さんが、自身のことを語った言葉は、確かにユキハの心に響いたはずだ。
保護司としても活動する藤原稔三監督が実体験をベースに、取材を重ねて練り上げた脚本、演出が見事に結実した労作である。海外の評に、「ケン・ローチを彷彿とさせる社会派ドラマ」とあるのも頷ける。



- 『ミックスモダン』
- 監督:藤原稔三
- 脚本•編集:藤原稔三 三国鈴
- 出演:井戸大輝 藤原稔三 常石梨乃 サーシャ 藤田朋子 津嘉山正種 川平慈英 二階堂智 與儀慎太郎 花澤豊孝 ましろうみ 廣田智
- ポレポレ東中野ほか全国順次公開中
- https://www.mixmodern-movie.com
- 協力 千房
- 配給 KODARU
- 宣伝 あんずシュワワ
- 2025|カラー|106 分
近時偶感
『金子文子 何が私をこうさせたか』の浜野佐知監督は、試写のあとの挨拶で、百年前より、現在のほうが酷い状況になっているんじゃないか、と言われた。
百年前とは、金子文子が、転向への拒否を貫くために獄中で自死した1926年である(享年23)。大正15年にして、年末に昭和に代わった年だ。この年の1月、京都帝大をはじめとする全国の社研学生が、前年に作られた治安維持法によって、一斉逮捕された。その一方で、8月には、女性のスポーツ選手として草分けの人見絹枝が、第2回世界女子陸上競技大会で個人総合優勝を果たしている。
翻って、2026年はどうか? タカイチサナエという名前を3度も連呼して、この私が首相でいいのかしら、とナルシストぶりを見せつけながらやった衆院選挙は、タレントの人気投票もかくやとばかりの大勝利となった。
彼女を推したのは、10代、20代の若者が多いというが、彼女の臆面もないナルシシズムの軽さが、受けたのかもしれない。なにしろ、英霊が祭られた靖国神社に詣でるのは当然としながら、トランプ大統領にアタマを撫でられりゃ、米空母ではしゃぐ御仁なのだから。
いずれにせよ、この選挙結果で、日本は全体主義に一歩近づいたといえよう。憲法改正は、すぐ手を付けないにしても、スパイ防止法あたりは、早晩、法制化するかもしれない。まわりには、スパイ防止法に反対する奴はスパイだと、これまた軽々しく煽る連中がいるのだから。
スパイ防止法は、1925年に、制限だらけの普通選挙法と抱き合わせで法制化された治安維持法と同じ効力を発揮する。あの社研の学生を一斉逮捕した治安維持法だ。戦前の、そんな法律なんて知らねぇと言うなら、香港の言論の自由を徹底的に潰した、中国の国安法(国家安全維持法)を参照すればいい。
2月10日の朝日新聞には、中国共産党に批判的な論調で知られた「リンゴ日報」の創業者ジミー・ライ氏に、「外国勢力と結託して国家安全を害する罪」により拘禁20年の判決が下されたという記事が出ていた。要するに彼はスパイだ、と言うわけさ。ジミー・ライ氏は78歳だから、生きて日の目を見られないかもしれない。
日本のスパイ防止法は、中国の国安法と同じ働きをする。日頃、何かというと中国を敵視する連中が、中国共産党政府と同じ法律を求めるという、この倒錯! 茶番と笑って済ますわけにはいかない。
わたしは、今度の選挙結果で、この国は全体主義に一歩近づいたと言ったが、それ以前から、全体主義に向かう事件が、ローカルな地方で起こっていたのだ。
それは、埼玉県鶴ヶ島市議会でのことである。そこの女性市議が、クルド人へのヘイトに反対して、行動を起こすと同時にSNSに投稿したところ、彼女に対する殺害予告などと共に、市役所にも嫌がらせがあった。それに対して、鶴ヶ島市議会は全員一致で、彼女に、鶴ケ島市議会議員の肩書き使用の「自粛」を決議したというのだ。
彼女の言論を封殺しようとする動きを押さえるのではなく、逆に、彼女の言論のほうを押さえようとする、この転倒! しかも市議会が。わたしは、この事件を新聞で知って、酷いことが起こっていると思ったが、それ以上は何もしなかった。これに対して、文芸評論家の絓秀実氏は、言論の自由の危機と捉えて、即座に行動を起こしているので、彼の「擬制の復興」と題した文章をネットで読んで欲しい。
あの三島由紀夫も、左右の全体主義を斥けるには、「言論の自由」によるしかないと言っていたようだから。