上野昻志 新・黄昏映画館

『ステラ ヒトラーにユダヤ人同胞を売った女』(キリアン・リートホーフ監督、2023年)

パウラ・ベーア演じるステラの顔が、強く、脳裏に焼き付けられる。
 1940年のベルリンで、ユダヤ人仲間のバンドを背に、「シング・シング・シング」を歌う、明るい顔。
 1943年、強制労働に駆り出された軍事工場で機械を操作するシーンでは、横顔しか見せないが、工場から出ると、胸につけられたユダヤの黄色い星を外し、ユダヤ人には見えない金髪を風になびかせて街を歩く。その時の顔。
 そして、偽造の身分証を手に入れ、一時の自由を得たかに見えたが、ゲシュタポに捕らえられ、殴る蹴るの拷問を受けて、血だらけになったステラの顔。
 その傷を負った顔が、もとの美貌に戻ったとき、ステラは、ゲシュタポの監視のもと、自分と両親が助かるために、ユダヤ人同胞を売ることになる。
 1940年、18歳の時は、ブロードウェイで歌手として成功するのを夢見ていたユダヤ人の若い娘が、ヒトラー政権下のユダヤ民族浄化政策のもとで、追い詰められた挙げ句、同胞を密告・摘発するようになるという、この物語の主人公、ステラ・ゴルトシュラークは、実在した女性である。

 物語は、ナチスのユダヤ人狩りが激しくなった1943年を軸に展開する。軍事工場で働いていたある日のこと、ユダヤ人は、外に出ろという号令のもと、ユダヤ人が連行されていく。ステラと母は、辛うじて逃げ出せたものの、逃げ遅れた夫は捕らえられ連行されてしまう。
 その後、彼女は、街で、身分証を偽造するロルフという男と出会い、彼と関係を結んだのを機に、知り合いのユダヤ人に偽造身分証を売る役割を担うようになる。だが、その間も、ステラを巡る状況は厳しくなるばかり。そして、彼女はロルフと店で食事をしているところをゲシュタポに逮捕される。2人を見たジャズ仲間だった女性に密告されたのだ。
 そこから、すでに記したようなゲシュタポによる苛烈な拷問が繰り返され、それに屈した彼女は、同胞をゲシュタポの手に売り渡すようになる。
 一説によると、ステラ・ゴルトシュラークが、ナチスに売り渡した同胞は、3000人に上るということだが、1人で、そんなに多くの人間を摘発出来たか? と疑問を感じるものの、彼女が摘発したユダヤ人、その親族や仲間なども含めて、芋づる式に逮捕されたということがあるのかもしれないと思う。いずれにせよ、実数はともかく、その行為は、ユダヤ人にとっては、許しがたい裏切りであろう。
 この物語の核心は、もし、あなたが、ステラのような立場に置かれたら、どうするか? という問を突きつけるところにある。歯が折れるほどの拷問の挙句、ユダヤ同胞を売り渡すか、さもなくば、両親共々、アウシュビッツに送るぞと迫られたら、どうするか? そんなことは、死んでも出来ません、いっそ殺して下さい、と潔く胸を張るのは、誰にでも出来ることではない。むろん、わたしとて同じことだ。
 とすると、心に葛藤を抱え、後ろめたさを覚えながらも、渋々、同胞を死の手へと売り渡すことになる。そこで考えられるのは、密告・摘発をするにしても、なるべく犠牲者を少なくすることだが、そんな手抜きが、ユダヤ人絶滅を企図するゲシュタポに通用するはずもない。となれば、ステラと同じ道を辿ることになるだろう。
 この映画で興味深いのは、知人を食事に誘って向かい合いながら、折を見て、自分は席を外してゲシュタポに通報したり、街を歩き回りながら、ユダヤ人らしき者に目星をつけて密告するようになったステラが、後ろめたさを感じている様子もなく、美しい服をまとって、金髪をなびかせ、自由に歩き回っていられるのを享受しているように描いていることだ。
 古くさい言い回しなら、そんな彼女は、悪魔に魂を譲り渡してしまった者にほかならない、とでも言うところだが、より実際に即してみれば、彼女は、ユダヤ人を摘発しているうちに、自身を、対象としてのユダヤ人とは別の人間のように感じ、彼らを捕捉するナチス・ドイツに同化してしまったのではないか、ということだ。そして、そこにこそ、ステラ・ゴルトシュラークという存在を捉えた恐ろしい罠があるのだ。初めは権力に渋々従いながら、自身が、その末端で力を行使していくうちに、権力に同化してしまう。それは、彼女のような極限的な状況に置かれていない我々においても、日常的に陥りがちな罠ではないか。

 史実によれば、ステラ・ゴルトシュラークは、1946年、ロシア法廷で、懲役10年の有罪判決を受けて服役したのち、56年に釈放されてベルリンに移るが、そこでユダヤ人コミュニティから裁判を起こされる。
 映画では、1957年に、ステラが一人で、アウシュビッツに送られたユダヤ人の映像を見せられたあと、ベルリン地方裁判所の被告席に座る姿を示す。傍聴席には、多くのユダヤ人が居並び、同胞を売ったという、この女を厳しいまなざしで見つめている。しかし、ステラは、それに動じるふうもなく、余裕の表情を見せている。彼女に下った判決は、懲役10年だが、すでにロシア法廷により10年の刑に服しているので、それと相殺されて彼女は自由の身になる。涙を流して喜ぶステラに、傍聴席から悪罵が投げかけられる。
 本作のパンフレットに寄稿された瀬川裕司によれば、ベルリンでの二度目の裁判で自由の身になったステラは、キリスト教に改宗し、反ユダヤ主義を標榜するようになったという。だが、それで、彼女の心が平安であり得たかはわからない。自由になった彼女は、3回結婚する(いずれも相手は非ユダヤ人だという)が、その後、自殺しているのだから。
 監督のキリアン・リートホーフは、自国ドイツで右翼が大きく力を伸ばしつつある現在の状況に危機感を抱いて、この映画を作ったというが、その意味で、ステラ・ゴルトシュラークが辿った道は、過ぎ去った過去の物語ではない。

 

  • 『ステラ ヒトラーにユダヤ人同胞を売った女』
  • 監督・脚本:キリアン・リートホーフ
  • 出演:パウラ・ベーア他
  • 新宿武蔵野館 ほか全国公開中
  • 配給:クロックワークス
  • 原題:Stella. Ein Leben(. 英題:Stella. A Life.) /2023年/ドイツ・オーストリア・スイス・イギリス/ドイツ語・英語/121分/シネマスコープ/カラー/5.1ch/PG12
  • ©2023 LETTERBOX FILMPRODUKTION / SevenPictures Film / Real Film Berlin / Amalia Film / DOR FILM / Lago Film / Gretchenfilm / DCM / Contrast Film / blue Entertainment
近時偶感

朝日新聞夕刊に連載されている、しりあがり寿の4コマ漫画で、移民は排除すると宣言しているトランプらしき人物に向かって、あんただって移民だろ、と言っているのがあって笑ったが、確かに、トランプも、新大陸にやってきた、移民というか、植民の子孫であることに変わりはない。
 アメリカのプロテスタントは、1620年のメイフラワー号による移民を、偉業として讃えるが、先住民は、民族虐殺の始まりとして抗議しているという。実際、15世紀末のコロンブスの新大陸発見から始まった、西欧人のアメリカ大陸進出は、先住民を虐殺し、その土地を収奪する歴史でもあったのだ。
 王様気取りで、オレが言うことが法律だ、文句あるかとふんぞり返るトランプは、そんな先祖の野蛮な血を受け継いでいるのではないか。西部劇だったら、街の支配者として、富を独占し、自分の欲するままに法を決め、それに逆らう者を、容赦なく撃ち殺す男。但し、映画の場合は、そんな横暴な支配者を倒すヒーローが現れるのだが、いまのアメリカには、その気配もない。
 トランプは、ウクライナ戦争を止めさせると言いながら、ウクライナを除外して、ロシアのプーチンと話しあおうとし、プーチンも、それを歓迎し、ドナルドなどと親しげに呼びかけている。この2人は、気が合うのだろう。なにしろプーチンは、チェチェン戦争におけるロシアの残虐行為を暴き、批判したジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤを自宅で殺させたと噂されたように、自分の権力を脅かすような存在は、バレバレでも平気で抹殺してきたような男なのだから。
 こんな野蛮な男たちの勝手な振る舞いに対し、ヨーロッパは、批判的ではあるが、ネタニヤフのイスラエルに対するのと同様、腰が引けている。ドイツもフランスも、台頭する右翼勢力に押されているからだ。彼らよりは洗練された(それだけに恐ろしい)支配システムを築いた習近平も含め、世界は独裁者が我が物顔で横行する時代となったのだ。これに、どう対するか?