上野昻志 新・黄昏映画館

『原爆スパイ』(スティーヴ・ジェームズ監督、2022年)

『原爆スパイ』とは、どこか禍々しさを感じさせる日本語タイトルだが、かといって、A Compassionate Spyという原題の直訳では、本作の主人公であるテッド・ホールの本性を表しているとはいえ、いささかインパクトを欠き、日本では埋もれてしまうかもしれない。もともと原爆に関わる話でもあるのだから、やはり、この一語は必要だろう。

テッド・ホールは、ロスアラモス国立研究所で、ウラン235の物理特性を研究していたところ、その働きが評価されて、濃縮型原子爆弾の開発部門に配属され、原爆の研究・開発に携わる。その時、彼は18歳で、並みいる研究者の中で、最年少だったというから、物理学者としてよほど優れた才能の持ち主だったのだろう。

1945年7月16日、人類初の原子爆弾の実験が行われ、その成功を祝した祝賀パーティに、彼は欠席した。「喜ぶべきではない、不吉な出来事だった」と言う。

おそらく、テッドは、それ以前から、原子爆弾の通常兵器を遙かに超えた破壊力に不安を感じていたのだろう。そして、米国が原子爆弾を独占することを危険視した。これを手にしたアメリカが新たなナチス・ドイツになるかもしれないと。

彼が、ハーバード大学のルームメイト、サヴイ・サックスとともにソ連と接触し、濃縮型原子爆弾の概要計画や、長崎に投下された原爆の図解などの重要機密をソ連のエージェントに渡したのは、1944年の10月からだというから、原爆の実験成功の1年前なのだ。

何故、ソ連だったのかと気になるが、それには、当時のアメリカのソ連に対する見方が大きく関わっている。大戦終結以前のアメリカにおけるソ連観は、戦後の冷戦が本格化する1950年代とまったく違っていたということである。これについては、わたしなども、本作を観るまでは知らなかったのだが、大戦末期のアメリカでは、ナチス・ドイツを破ったソ連、万々歳、われらの仲間、といった空気があったというのだ。むろん、スターリン政治の実情などは、蚊帳の外である。アメリカ社会のそういう空気の中で、テッド・ホールが、アメリカについで原爆開発を進めている同盟国のソ連に情報を流そうとしたのも、突飛なことではない。

当時、テッド・ホールのような直接行動はとらないまでも、原子爆弾の実現を危惧した学者は、彼ばかりではなかった。アインシュタインと並ぶ「知の巨人」と称される物理学者ニールス・ボーアは、原爆という破壊的な兵器を含む原子力全般を、国際的に管理する必要があると考え、1944年頃から、「原子力国際管理構想」なるものを、各国の指導者に伝えていたという。

むろん、ニールス・ボーアのこの構想のほうが、大局的な見地からして正しいことは確かだが、80年後の現在に到るまで実現していないのだ。しかも、高名な物理学者であるニールス・ボーアなどとは違って、テッド・ホールは、そのような構想を世界に発信するような立場にはなかった。優秀であっても、若く無名の1物理学者に過ぎなかったのだから。国家からすれば、彼がやったことは、スパイ行為になるが、未曾有の破壊力を持つ原子爆弾を一国が独占することの危険性を避けたいという想いは、彼だけのものではなかったのだ。

1946年、原爆開発の仕事から離れたテッド・ホールは、シカゴ大学に入るが、そこで、2年前に15歳で飛び級で入学したジョーンと出会う。

本作は、1998年に、ジョーンが夫のテッドから、往時の彼の行動や考えについて聴き出した記録と、その翌年、監督のスティーヴ・ジェームズがジョーンにインタビューした記録をもとに構成されているが、その所々に、再現シーンが組み込まれている。

このシカゴ大学での再現シーンでは、テッドとジョーンに、テッドの親友サヴイの3人が、芝生で、互いが互いの身体に触れあうようにして転がっている様子が描かれる。ジョーンの回想によれば、3人は、誰が誰ということなく、繋がり合っていたというのだが、やがて、テッドがジョーンにプロポーズするのだ。その時、彼はジョーンに、自分が、原爆開発中に、ソ連に機密情報を伝えたことを告白し、今なら、結婚をやめてもいいと言ったという。だが、ジョーンは、「生涯誰にも、絶対口外しない」と誓い、結婚したのである。

以後、2人は、テッドが亡くなるまで、互いに理解し、支え合う最良の伴侶として過ごしたようだが、このジョーン・ホールという女性が素晴らしい。テッドへの聴き取りも、監督のインタビューでの受け答えも見事なのだが、その後2人が辿った人生の節々についての話も含めて、彼女の素敵な人柄が伝わってくる。その点で、本作は、原爆スパイを巡るドキュメントを超えて、一つの得難いファミリー・ストーリーとしても堪能できる。

だが、大戦後、数年を経ずして、アメリカ社会は大きく変わっていく。戦中の1944年には、米英中ソによる世界統治を志向したトルーマン大統領は、1945年8月、広島と長崎に原爆を投下する。原爆実験の成功から1ヶ月も経ないでの原爆投下については、その破壊力と結果を危惧する声もあったようだが、トルーマンは、相手(日本)は野蛮な獣のようなものだから構わないと嘯いたというが、それと同時に、ソ連に対する暗黙の脅しもあったのだろう。

そして、1947年には、「トルーマン・ドクトリン」と呼ばれる、ソ連の脅威を必要以上に強調した演説をして、冷戦へと踏み込む。FBIによる「赤狩り」が始まるのも、その頃だ。

本作にも、その写真が示されるローゼンバーグ夫妻が、ロスアラモスの原爆工場に勤務していたローゼンバーグ夫人の実弟でソ連のスパイであるグリーングラスから受け取った原爆製造に関わる機密情報をソ連に流したという容疑で逮捕されるのは、1950年だ。本作では、テッド・ホールの行為に較べ、彼らは「小さな魚」に過ぎなかったと言われており、一般でも、彼らの罪を疑う意見があったというが、1951年4月に死刑判決がくだり、1953年6月に、ローゼンバーグ夫妻は電気椅子にかけられる。

では、肝腎のテッド・ホールは、どうだったのか?

彼も、1951年2月に、FBIの尋問を受ける。彼に協力したサヴィ・サックスも尋問を受けるが起訴されなかった。ただ、その後も、テッド・ホール一家は、FBIによる監視と尾行により、居所を転々と替えていたという。このあたりは、再現シーンとして展開されるが、ローゼンバーグ夫妻の処刑は、テッドとジョーンにとっては、かなり辛い経験だったようだ。それを機に、彼らは、イギリスに移住し、テッドは、ケンブリッジ大学で、生体組織内の元素分布を調べる機材の開発に当たった。そんな彼を、FBI はイギリスにも追ってきた。テッドは、自身の行為を打ち明けたい気持になったが、それを止めたのは、妻のジョーンである。

優秀な学者でありながら、どこか世間知に欠けるところが見受けられるテッドを、亡くなるまで無事に人生を過ごさせたのには、このジョーンの存在があったからだと思う。そして彼女自身は、イギリスで、もともと興味のあったロシア文学を読むために、ロシア語を学び、さらにイタリア語も学んで、教えてもいたという。彼女は、15歳で大学に入るような秀才だったから、学問にも秀でていたのだろう。

ことがことなだけに、原爆に関わる記述が多くなったが、これから本作を観る人に、絶対見落として欲しくないと思うのは、テッドが最後に語った、次世代の人々(=国家ではなく人々=市民)への言葉である。それは、亡くなる前年、1998年に発せられたものだが、トランプやプーチンやネタニヤフが、我が物顔で世界を引っ掻き回している、2025年の今こそ、心して訊くべき言葉である。

 

  • 『原爆スパイ』
  • 監督:スティーヴ・ジェームズ
  • 8月2日(土)より渋谷ユーロスペースにて公開/8月1日(金)より広島八丁座にて先行公開
  • http://genbakuspy-movie.jp
  • 配給:パンドラ
  • 2022年/101 分/アメリカ、イギリス
  • © Participant Film
近時偶感

イスラエルのパレスチナ民族浄化作戦が、トランプの後押しを背に、ますます激しくなっている。
 イスラエルは、街を爆撃するだけでなく、食糧配給に集まった人々を銃撃し、給水所を爆破する。つまり、軍事作戦だけでなく、パレスチナ人を日干しにしようとしているのだ。その結果、幼児を含む子どもたちが、文字通り、骨と皮になって、死を迎えようとしている。これはもう、人道危機などというレベルの話ではない。イスラエルは、パレスチナ人の現在だけでなく、その、有り得るかもしれない、彼らの未来までも根絶やしにしようとしているのではないか。
 しかも、かかる事態を止めさせようと声を挙げる者たちを、トランプが典型だが、等し並みに「反ユダヤ」と呼んで抑圧する。アメリカだけでなく、ヨーロッパ諸国にしても同様だ。イスラエルの現に行っていることを批判すると、「反ユダヤ」の一語で押しつぶす。彼らにとって、「反ユダヤ」は錦の御旗、この一語のもとに人々をひれ伏させるのだ。それは、彼らに、ナチスのホロコーストを黙認してきた負い目があるからだろう。
 そんななか、フランスのマクロン大統領は、さすがに、この事態を黙認できなくなったのか、いまさらではあるが、イスラエルとパレスチナ、2国家の独立をと言い出した。周到に、イスラエル批判を避けながら。
 それに対して、イスラエルの高官は、顔を真っ赤にして、そんなことをしたら、イスラエルが滅ぼされると宣った。パレスチナを独立国家と認めたとして、どうして、ヨーロッパ最強を誇る、原爆すら保有していると噂される軍事国家イスラエルが滅ぼされるのか? どこまで本気かわからぬが、この被害者意識には、呆れてものが言えない。要は、ホロコーストの被害者であるという錦の御旗を振りかざしたいのであろう。彼らがやっていることは、ガス室こそないが、それとどこが違うのか・・・。
 もともとは、別に書こうと思ったことがあるのだが、パレスチナの、あばら骨がむき出しになった赤ん坊を見て、我慢できなくなって、こんな文章になった。