上野昻志 新・黄昏映画館

12.『嵐を呼ぶ十八人』(吉田喜重監督、1963)

シネマヴェーラ渋谷でやっている「来たるべき吉田喜重」という吉田監督の追悼特集で、久しぶりに『嵐を呼ぶ十八人』(1963)をスクリーンで見て、最初に見たときの感動を再体験することになった。

吉田喜重監督は、松竹時代に6本の作品を撮っているが、最初の『ろくでなし』(1960)以来、すべて自身のオリジナル脚本で、しかも、一作ごとに、題材も表現の方向性も違っている。なかでも、もっともよく知られているのは、『秋津温泉』(1962)であろう。これは、岡田茉莉子が百本記念映画の監督として吉田喜重を指名し、彼が、原作を自由に変えて良いという条件でシナリオを書いて出来上がった作品である。

岡田茉莉子は、この作品で、女学生気分が抜けないような若い娘から成熟した女性までを、常に走る女として、また、男を見返す女として、それまでのメロドラマの受け身の女性像を一新した。その意味で、この作品は、メロドラマの骨格を踏襲しつつ、それを内側から解体した反メロドラマと言ってもいいだろう。そのため、『秋津温泉』は、松竹時代の吉田喜重の代表作のように受け取られてもきたのだが、その次に撮った『嵐を呼ぶ十八人』は、それ以上の傑作ではないか、と、わたしは思っている。

ただし、この作品は、吉田喜重が松竹在籍中、ただ一度だけ会社側から提案された企画だった。もとは、シナリオライターの水木洋子のところに、大阪の一青年から送られてきた手記なのだが、一読した水木は、自分には無理だが吉田なら出来るのではないかと、撮影所長に推薦したという。原案=皆川敏夫とクレジットされているのが、その手記の主だろうが、シナリオは、吉田のオリジナルである。

呉の造船所で働く社外工の島崎(早川保)が、係長の村田(殿山泰司)から頼まれ、嫌々ながら、手配師が大阪から連れてきた18人の若者の面倒をみるというのが、話の縦糸で、そこに、互いに惹かれあっている島崎と酒場の娘のノブ(香山美子)の関係が絡む。

まず、『ろくでなし』以来、吉田とコンビを組んできた成島東一郎の撮影が素晴らしい。造船所で建造中の船を捉えたショットの物質感といい、呉の起伏の多い空間を写し出すショットといい、モノクロームの画面を見事に生かして、この世界を表現している。

初めの、大阪から来た若者たちが起居することになる、丘の上にある米軍払い下げのカマボコ兵舎に向かって、島崎が、坂道を所帯道具を積んだリヤカーを引いてくるところに、ノブがふざけかかっているうちに、リヤカーが崖下の草むらに転げ落ちるところから始まって、その時々で、この街の起伏や高低、崖の稜線などが強調され、物語に独特の陰影を与えるのだ。

だが、この呉の街の坂道や高低が、物語にとって抜き差しならぬショットとして現れる場面に触れる前に、書いておきたいことがある。それは、島崎と18人の若者たちとの関係である。

島崎は、この若者たちと最初に夕食を共にする場で、お前らみたいな連中の面倒をみる気などないと、嫌悪感も露わに公言する。しかし、彼らは、それになんの反応もしないで、聞き流す。渡り歩いてきた職場のどこでも、同じような目にあってきたのだろう。目の前にいる男が島崎だろうが誰だろうが関係ない。それよりは、目先の酒や食べ物のほうが大事だ。この18人は、島崎の思惑と関係なく、そこに存在しているのである。彼らには.名前がない。中には、目立つ人間もいるけれど、その一人一人の違いはわからない。島崎が何か命令すると、渋々従ったりはするものの、気に入らぬと動こうともせず、じっと島崎を見返すだけだ。それぞれバラバラでありながら、島崎や係長、あるいは、彼らを連れ来た手配師に対しては、群れとして対峙するのだ。時には、奇声を上げ、時には沈黙する群れとして。それは、劇中という場を超えて、見る者をうつ。すなわち、絶対的とも言うべき他者として、存在するのである。

吉田喜重が、他者という存在に拘ってきたことは、よく知られていよう。たとえば、出来上がった映画は、すでに、わたしにとって他者であるというように。また、わたしという他者、あるいは、他者としてのわたし、というように。彼は、映画において、それを顕現させようと努めてきたといってもいい。とりわけ、他者としての女性を描出することに。

だが、『嵐を呼ぶ十八人』にあっては、それが、肉体を持った具体的な存在として、画中を闊歩しているのだ。たまたま題材がそうだったから、などということではない。彼の演出が、それを可能にしたのである。吉田喜重のそれまでの作品でも、それ以後の作品でも、このような絶対的な他者は出てこない。そればかりではなく、日本映画の中で、このような他者が描かれたことはない。

ある時期までの社会派映画のなかで、群衆が登場することはあっても、それは理解可能な人の群れであって、このように、何を考えているのかわからぬような他者ではない。『嵐を呼ぶ十八人』で、それが、もっとも端的な構図として現れるのは、終わり近くの島崎とノブの結婚式のあとの場面であろう。

いささか先走ってしまったが、わたしが最初にこの映画を見た時、震えるような衝撃を覚えたのは、祭の夜、ノブが犯される場面だ。

島崎とのデートが思い通りいかなかったノブは、一人で、カマボコ兵舎脇にある島崎が寝泊まりしている部屋に向かっていく。そんな彼女を、群れとは別に一人でストリップを見てきた若者が街で見つけ、彼女のあとを追っていく。部屋に入ったノブは、ベッドの上の金網にラジオを置いて横たわる。ラジオからは野球中継の声が流れている。そこに、件の若者がそっとドアを開けて忍び込み、灯りを消す。そこから、金網に手をかけ、声を上げるノブを写し出すまでの一連が凄い。照明の佐野武治(彼は『鏡の女たち』の照明も担当)が作り出す光と闇が、息を呑むような緊迫感を醸し出すのだ。

そして、坂道の階段が、これ以外ないというほど見事に生かされているのが、この事件のあと、ノブが日傘をさした母親(三原葉子)に連れられて行くところに、島崎が行き会う場面だ。坂の上に立つ二人を、下から島崎が見上げるショット。ついで、坂を上がった島崎が、階段を降りながら、振り返って嫌みを言う母親を見下ろすショット。この上下の切り返しで、島崎の、言葉もなく立ち尽くすしかない姿が浮き彫りになる。

このあと、島崎が、ノブが母親に連れられていった広島を訪ね、母親からノブが広島球場にいることを聴き出したところから、満員の球場で彼女を捜し回る一連、そして観客が去ったあとの外野席でノブを見つけ、初めて彼の心中を吐露する場面も感動的なのだが、それ以上に書くべきは、二人の結婚式であろう。

激しく降る雨の中を、タクシーでノブがいる祖母の家に乗り付けた島崎は、祖母が庭で切り取った花を胸に抱えたノブを伴い、タクシーで丘の上にある教会に向かう。二人の結婚に立ち会うのは、係長の一家の3人だけで、ノブの母はいない。神父による式のあと、二人は傘を手に、教会から出てくる。と、それまでも、あちこち走り回って物語に絡んでいた小学生の二人が、カマボコ兵舎にいる若者たちに、結婚式だと呼びかけたので、中にいた連中が表に出てくる。教会からの階段を降りてくる二人。それを見上げる18人。そのなかには、ノブを犯した男もいる。この上下を一望のもとに捉えたカメラは、上と下の絶対的な距離を際立てる。その間を繋ぐものはない。

ここで、わたしは、自分の記憶力の悪さというか、頼りなさを告白せねばならない。わたしは、この一連のシーンを、階段を降りてくる二人と、それを見上げる18人との、超えようもない隔たりに深く胸うたれながら、他者なる存在を、かくも見事に描き出した吉田喜重に感嘆したのだが、そこに降り注ぐ雨のことを忘れていたのだ。教会の外の階段を傘をさして降りてくる二人をはっきりと見ていながら。

まあ、己の記憶力の頼りなさはともかく、この『嵐を呼ぶ十八人』を撮った時、1933年生まれの吉田喜重は、30歳だったのだ。そんな歳で、よくも、このような映画を撮ったものだと思うが、それを、早熟というのとは、ちょっと違うだろう。個人差はあるにしても、吉田のように、敗戦の年に12歳で、戦火の中を逃げ回った体験をはっきりと記憶している年頃から、さらに数歳年長で、学徒動員で工場などに駆り出された若者たちは、戦中から戦後へという時代状況の激変を経験するなかで、精神的に大人になっていたように思う。残念ながら、吉田より8歳年下のわたしには、それはない。もっとも、『嵐を呼ぶ十八人』が公開された時には、いっぱしの大人面をしていたけれど、本物の大人から見れば、ガキの尻尾が付いていたんだろうな、ヤレヤレ。

  • 『 嵐を呼ぶ十八人 』DVD好評発売中
  • 3,080円(税込)
  • 発売・販売元:松竹株式会社
  • ©1963松竹株式会社
  • 2023年7月1日時点の情報です

 

  • 「追悼特集 来るべき吉田喜重」は、
    シネマヴェーラ渋谷で開催中(~ 2023/07/07)
  • 7/2以降の上映作品は
    『知の開放 知の冒険 知の祝祭 東京大学 学問の過去・現在・未来(59分/デジタル)』
    『樹氷のよろめき(98分/35mm)』
    『さらば夏の光(96分/35mm)』
    『情炎(97分/35mm)』
    『エロス+虐殺(167分/35mm)』
    『煉獄エロイカ(117分/35mm)』
    『日本脱出(96分/35mm)』
    『夢のシネマ 東京の夢 明治の日本を映像に記録したエトランジェ ガブリエル・ヴェール(51分/デジタル)』
    『映画監督とは何か Kijû Yoshida: qu’est-ce qu’un cinéaste?(52分/デジタル)』
近時偶感

マイナンバーカードを巡って事故が続いている。その度に、国は地方自治体や担当企業の尻を叩いているが、なくなるはずはない。それでも、一年後には、健康保険証と一体化させようとしている。その時は、たぶん、きちんと整備したから心配ないと言うだろうが、それも建前に過ぎず、さらに大きな事故が起きるだろうし、それに付随した詐欺事件もあるかもしれない。だいたい、情報は、一極に集中させればさせるほど、リスクが増大するものなのだ。個人情報であれ、なんであれ、安全第一を考えれば、分散させるにしくはない。マイナンバーカードに健康保険情報や、年金の受取口座を乗せれば、これ一枚で、すべてOK, 便利ですよ、などという政府の甘言に釣られていくと、あとで泣きを見るのは、当のカードの持ち主だ。というのが、マイナンバーカードについての第一の問題だが、より深刻、かつ重要な問題は、その先にある。

マイナンバーという制度自体が、そもそもの問題で、これは、その昔、政府がやろうとしながら、反対の声が大きくて出来なかった、国民総背番号制度の現代版だということだ。国民総背番号というと、なんだ、オレにも軍隊みたいな番号をつけて、管理しようというのか、と、その辺のおっチャン、おばチャンも拒否反応を示したのである。それを、デジタル時代に合わせて、しかも、国民と十把一絡げに括るのではない、マイナンバーと、「わたし」を前面に立てた。他でもないわたしだけの番号ね、なら、いいじゃないと、この間、国のすることにすっかり甘くなっている日本人は受け入れたのだ。名前こそ変わり、デジタル処理が簡単になったものの、国家が、「わたし」たち一人一人を管理するという狙いに変わりないのだ。国に対して異議申し立てをした者は、そのナンバーを記録し、監視対象にすることぐらい、朝飯前。現在、これを、徹底しつつあるのが、中国だ。日本も、それを横目で見ながら、真似ようというのである。まさか、なんて思っちゃいけない。先の戦争だって、まさかまさかと思っているうちに、地獄まで突き進んだのだから。何かと中国を敵視し、反中国を旗印にしている連中が、中国の真似を見過ごしているのが解せない。って、笑い事じゃないけどね。