上野昻志 新・黄昏映画館

16.『月』(石井裕也監督、2023年)

わたしたちは、宮沢りえ演じる堂島洋子に導かれて、森の奥にある重度障害者施設「三日月園」に入り、そこに入所している人たちや、職員たちと出会い、やがて、そこで起きる惨劇を目撃することになるだろう。

この映画は、2016年に神奈川県相模原市で起きた「障害者施設やまゆり園殺害事件」に触発されて辺見庸が書いた小説『月』(角川文庫)をベースにしているが、映画化に際しては、石井裕也が脚本段階で、デビュー作の小説がヒットしたものの、その後書けなくなって施設で働くようになった洋子をはじめ、ことを起こす青年さとくん(磯村勇斗)、小説のネタを探すため施設にいると公言する坪内陽子(二階堂ふみ)、そして洋子の夫で、人形アニメ制作に勤しむ昌平(オダギリジョー)など主要な4人の人物を構築していったという。それは、やまゆり園の事件を、特異な人間が起こした異常事と見るのではなく、現代社会に広まった人間観に由来する、日常に潜在する出来事として提示するためであろう。のちに触れるが、その試みは、確かな手ごたえとして結実している。

 

わたしが今回、再見して、改めて感じたのは、それぞれが抱えている負性がよく描けているということだ。洋子の家庭では、昌平が彼女を師匠と呼び、明るさを装って洋子を元気づけようとするものの、彼女が不在の折に、言葉を発しないまま3歳で亡くなった息子の映像を見て涙を流したりしている。その一方で、洋子は妊娠が明らかになったものの、それを夫に告げぬまま、出生前診断をすべきかどうか悩んでいる。

名前が同じ音で嬉しいと洋子に告げた陽子の家庭では、熱心なクリスチャンである父(鶴見辰吾)が食事の前に祈りを捧げるのを、陽子は、何をこの偽善者とでも言いたげに、うとましく見ている。彼女の、そのような思いが、汚れたものや、嫌な臭いを、これこそが現実だと強調する態度になり、3・11を題材にした洋子の小説には、あの惨事がもたらした死体の山や、そこから発する匂いを書いていないではないか、という非難となって現れる。言われた洋子にとって、それは、最初に書いた小説に対して、編集者が、もっと明るいところを書かなければと注文をつけ、それに従った結果、ヒット作になったものの、以後、書けなくなったという、彼女にとってトラウマともなった痛みを突くことにもなる。

それぞれ屈折を抱える彼女たちに比べて、さとくんは、ごく普通だ。障害者を可哀そうと言い、絵が得意で、入所者に見せる紙芝居を作り、聾者の彼女(長井恵里)を心から愛しているように見える、好青年だ。ただ、彼が作った紙芝居の、良いお爺さんと欲張り爺さんの昔話で、自分が一番好きなのは、欲張り爺さんが掘ったら、汚いものが山ほど出てきた場面だというところに、その後の変化が暗示されているだろう。彼は、死刑囚が絞殺されるときに、首の骨が折れる凄まじい音がするとか、排泄物が垂れ流しになるなどと、嬉々として語り、それこそがリアルな現実ではないかという。

洋子は、働き始めて間もなく、男性職員の入所者に対する虐待を目撃し、所長に、そのことを告げるが、所長は、この施設は、マニュアル通りにやっていて問題ないと受け付けない。

そんな洋子が、心を寄せるのが、窓も塞がれた真っ暗な部屋でベッドに横たわったままの、きーちゃんだ。きーちゃんは、施設に来たとき、暴れるというので身体を拘束され続けて手足が動かなくなり、眼も少しは見えていたが、暗い方が落ち着くだろうと、部屋を暗くした結果、目も見えなくなったという。さとくんは、きーちゃんを、なんのために生まれてきた、なんで生きてるの? と言うが、きーちゃんと生年月日がまったく同じだと知った洋子には、他人事と思えず、きーちゃんに何かと語りかけたりする。やがて洋子は、きーちゃんの部屋の窓を覆っていた段ボールを剥がして、月の光を入れるようにするのだが……。

このような存在に対して、なんのために生まれてきた、なんで生きているの? と言うさとくんは、わたしごとも含めて、健常者には有りがちな反応ではないか? 普通は、そこまでストレートな言葉にするのを憚って、可哀そう、と言ったりするのだが、それも、相手を自分とまったく異なる存在として見るがゆえの憐憫に過ぎず、当の相手そのものへの想像力を欠いているのだ。

そして、さとくんは、そこから一歩踏み出す。身動きも、自分の意志も表明できず、ただ生きているだけの存在は、無用であると。なんの生産性もないと。

圧巻は、障害者は生きている価値はない、排除すべきだと主張するさとくんと、それに対して、あなたの考えは間違っていると抗議しながら、そういう自分はどうなのかと、自身に反問する洋子との、ぶつかりながらすれ違うシーンである。

さとくんの主張の根幹にあるのは、生産性の有無という概念、いや、それ以上に強固な生産性イデオロギーである。彼のように、それを障害者の排除=抹殺という行動にまで踏み込む人間は稀だが、思想としては、今日、きわめて広く共有されていることは、同性婚には生産性がないから認めるべきではないと主張する政治家を見ても明らかだろう。それに対して、人間の性の多様性を認めるべきだというのは、思想としては正当でも、いかにも弱い。同様に、人間は、どんな状態でも生きている限り、存在する価値がある、命の尊厳をないがしろにするのか、と反問するのも、十分な力にはなり得ない。それほどに、生産性イデオロギーは強固なのだ。何かというと、コスパ(コスト・パフォーマンス)が大事とか、タイパ(タイム・パフォーマンス)を考えろというような物言いが、日常、当たり前に横行している事態にも、それは現れている。

だが、この生産性至上主義ともいうべきイデオロギーは、決して歴史貫通的に存在していたわけではない。あくまでも、この、40年ぐらいのうちに浸透してきたのである。では、何が、それをもたらしたのか? ネオリベラリズムである。

このことを極めて明快に指摘したのが、近現代日本文学研究者の佐藤泉である。彼女は、新著『死政治の精神史』(青土社)の序で、「ネオリベラリズムは緊縮財政、民営化といった市場経済至上主義の問題に留まりません。それは人間の改変を求める一つの思想運動であり……」と書き、「ここ二〇年の運動の成果として顕著なものが、自己責任論の普及でした」として、長時間労働をしても満足に食べていけないのは、社会構造の問題なのに、自己責任論が内面化されて思考を停止し、ダメなのは自分のせいと、弱い立場の人を追い詰めていることなどに言及し、さらに、この映画の発端になった相模原のやまゆり園で障害者を殺戮した犯人のことにも触れている(同書19~21p)。

ここまで広くかつ深く浸透してきた生産性イデオロギーを解体することは、容易ではない。ならば、自身がその中にあること、少なからず、その影響を受けていることを自覚しつつ、出来る限り、そこから身をずらすようにするところから始めるしかないだろう。

映画から離れてしまったが、わたしをして、このような思考を促したのは、ほかならぬ『月』という映画の力である。

 

  • 『月』
  • 全国にて公開中
  • 監督・脚本:石井裕也
  • 原作:辺見庸『月』(角川文庫刊)
  • 出演:宮沢りえ  磯村勇斗  長井恵里  大塚ヒロタ  笠原秀幸  板谷由夏  モロ師岡  鶴見辰吾  原日出子 / 高畑淳子  二階堂ふみ / オダギリジョー
  • 配給:スターサンズ
  • 2023/日本/144分/カラー/シネスコ/5.1ch /PG-12
  • ©2023『月』製作委員会
  • 公式HP:tsuki-cinema.com

 

近時偶感

子どもが標的になっている。いや、より正確には、子どもと親、つまり個々の家庭が標的になっている。
 それを端的に示しているのが、埼玉県議会に、自民党県議団が提出し、いったんは可決された「埼玉県虐待禁止条例改正案」だ。その中身は、「子どもだけの登下校や短時間の留守番なども禁止する」というもので、親が常に子どもを見守ることを義務づけるという内容だ。しかも、それに反する、つまり、子どもに留守番をさせている家庭を見つけたら通報せよ、と、近隣による監視の要請までがついているのだ。
 これに対し、現状では、そんなことは不可能だという反応も含めた批判の声が上がり、条例案は、一応、撤回されることになった。だが、ことは、それですまない。撤回後も、条例の理念と条文は今でも正しい思っているという県議の声もあるからだ。
 まず、どこまでも愚かしいと感じるは、この連中、一度として、まともに子どものことを考えたことがない、と思うからだ。子どもは、子ども同士で遊ぶなかで成長するのだ。子どもだけの小さな社会の中で、時に喧嘩もしながら、互いの好みや違いも身につけていく。親、あるいは、それに類する大人との一対一の関係では、いつまでも支配と依存の内に閉じ込められてしまうのだ。そんな子どもは、ろくな大人にならないに決まっている。もっとも、この条例案を考えた連中は、そういう、常に大人の眼を意識して、それに従うような子どもが、そのまま大人になることを願っているのかもしれないが。
 だが、それと同時に問題なのは、子どもを「放置」していると見做した親や保護者を見つけて通報しろ、という、戦中の隣組をも超えるような、相互監視体制を作ろうとした点である。すでに、この三年に及ぶパンデミックのなかで、居酒屋をターゲットにした監視・摘発が起こっていたが、それを家庭レベルで制度化しようというのが、この条例のもう一つの顔だ。だが、子どもの虐待防止に名を借りた条例の、本当の狙いは、そこにあったのかもしれない。地方議会の条例などと軽く見ては、とんでもないことになる。