17.『リアリティ』(ティナ・サッター監督、2023年)
これが初めて撮った映画だというティナ・サッター監督が、タイトルが示す二重の意味を、どこまで意識していたかわからない。だが、見終わると、改めて、その二重性、さらには手法も含めての三重性とでもいうことに思い到り、感嘆の溜息をもらす。というのも、これは、リアリティという名前の女性が被ったリアリティに満ちた出来事を描いた映画だからだ。
2017年6月3日、国家安全保障局(NSA)の契約社員である25歳のリアリティ・ウィナーは、スーパーでの買い物を終えてジョージア州の自宅に帰ったところ、車の窓ガラスを叩く男に促され、車を降りる。
そこには、2人の男が立っていて、FBIだと名乗る。白人と黒人の二人組は、ごく穏やかな調子で、何処へ行っていたかとか、家には他に人がいるかとか、リアリティに尋ね、訊きたいことがあるという。と、数人の男たちが車で乗り付け、最初の二人組と話をするリアリティを尻目に、彼女の家の周りに黄色のテープを張り巡らせていく。そこには、犯罪現場云々という文字が書かれているのに、見ているこちらが目をむく。
静かな一軒家で、女性がいるだけで、何も起こっていない現場を、物々しくも犯罪現場とは何事か、と思うのだが、FBIにとっては、それが当然の処置なのだろう。だが、見ているこちらの動揺とは関係なく、二人組の一方、白人の男は、相変わらず日常のやりとりといった調子で、リアリティが犬と猫を飼っていることを聞き出し、犬は裏のケージに入れるよう促し、さらに銃器を持っているかと問う。リアリティは、ごく自然に、持っていると、その置き場所を答えるのだが、そんなやりとりに、こちらは今更ながら、やはりアメリカなんだ、と頷く。
戸口での、3人の、そんなやりとりの間に、あとから来た男たちは家の中に入り、家宅捜査を始める。それに対し、FBIの二人組は、他に漏れないような部屋で話を訊きたいといい、リアリティは、普段は使わない奥の部屋がある、椅子も机もないが、と答える。
本作の核心は、その部屋でのFBIとリアリティのやりとりにあるが、双方の言葉は、すべて、2017年のこの日にFBI側が録音したデータに基づいているのだ。それは、実際のリアリティ・ウィナー裁判の際に法廷に出されたものだというが、監督が、それをそのまま生かして、俳優たち(リアリティ=シドニー・スウィーニー、ギャリック特別捜査官=ジョシュ・ハミルトン、テイラー特別捜査官=マーチャント・デイヴィス)に演じさせたところに、通常の再現ドラマを遙かに超えたリアリティをもたらしたといえよう。
それまでの雑談めいたやりとりを通じて、リアリティが、パシュトー語、ペルシャ語、ダリー語など、イランやアフガニスタン、タジキスタンなどで使われる言語に堪能で、軍隊に所属していたときは、彼の地へ配属されるよう希望していたが、叶わなかったので軍を辞めたとか、いまは、仕事の合間に、ジムに通って身体を鍛えているといったことが明らかになる。さりげない会話に見えるが、FBIとしては、リアリティという人物を丸ごと把握する目的でのやりとりなのだろう。彼らは、それを踏まえて、当初の目的である、彼女の機密漏洩を暴こうとするのだ。
だが、奥の部屋での二人組の質問も、いわゆる官権による尋問というような強面の調子にはならない。周辺部から、じわじわと真綿で首を絞めるように、迫っていくのだ。それだけに、いっそう恐い。
まずは、リアリティが、国家安全保障局の機密に触れることが可能な地位にあることが確認される。そこで、機密情報を見たことがあるか、どうか? イエス。それをどうしたか? 読んだだけで、元に戻した。取りだして印刷したことはないか? あるけれど、すぐに廃棄するボックスに入れた。どんな形で? 紙を二つ折りにしてボックスにしまった……。そこにいくまでも、FBI二人組は、決して急がない。だが、印刷した紙を二つ折りにして、廃棄するようにしたというところで、彼らは言う。われわれは、それ以上のことを知っている。機密情報を印刷した紙は、この街のポストから投函され、マスメディアに送られていることを、と。
そこに到るまで、リアリティの表情が微妙に変化し、ずっと立ったままで答えていたのが、壁に寄りかかって床に座り込むところで、彼女の敗北が明らかになる。
では、彼女が、マスメディアに送り、一般に公開されることを望んだ機密とは何か? この年の前年、すなわち2016年に、ドナルド・トランプとヒラリー・クリントンとの間で争われた大統領選に関わることだ。それは、ロシアの情報機関が、親露的なドナルド・トランプを勝たせるために、ヒラリー・クリントンを貶めようと、彼女に関するスキャンダルめいた偽情報(そこには彼女の夫に関わるものもある)を盛んに流していたという記録である。
おそらく、それが表に出ていたら、大統領選の行方にも変化が起きていたかもしれない。だが、国家安全保障局は、その事実を握りながら、重要機密としてしまいこんでいた。リアリティは、正義感からか、それを公にしようとしただけだ。むろん、同局に派遣社員として働いている者が、機密を外に漏らすのは、法的に禁じられているだろうから、罪を問われるのは致し方ない。
だが、それで、この、『風の谷のナウシカ』のファンでもあるらしい25歳の女性が、丸4年間に及ぶ禁固刑を科されるほどの重罪かといえば、首を捻るしかない。それには、2017年のアメリカの国家意思が働いていたと思う。なにしろ、トランプ大統領時代が始まっていたのだから。実際、この映画の末尾で、リアリティ事件を報道するメディアは、大統領選を公平な視点で進めることを願って機密を暴露して彼女を、国家に反逆するスパイ呼ばわりしているのだ。
ただし、それでも、トランプとバイデンが争った大統領選では、トランプを有利にさせようとするロシアの働きかけが、ある程度、公にされるようになったのは、この事件の効果かもしれない。
改めて、この映画を振りかえると、機密漏洩を捜査するFBIが、取り調べの一部始終を録音しており、それが墨塗り部分はあるにせよ、公開されるというところは、アメリカの公権力の健全性が感じられる。これに対して、わが邦の警察や公安はどうか? 依然として昔ながらの秘密主義で、被疑者の取り調べを録音、録画して公平性を担保すべしという提言にも無視を決め込み、被疑者を恫喝するのも平気という体質が続いているのには、呆れるというか、民主主義国家などと名乗るのが恥ずかしくなる。
- 『リアリティ』
- 全国にて公開中
- 監督:ティナ・サッター
- 脚本:ティナ・サッター、ジェームズ・ポール・ダラス
- 出演:シドニー・スウィーニー、ジョシュ・ハミルトン、マーチャント・デイヴィス
- 配給:トランスフォーマー
- 2023/アメリカ/82分/カラー/ビスタ/5.1ch
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© 2022 Mickey and Mina LLC. All Rights Reserved.
- 公式HP:https://transformer.co.jp/m/reality/
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近時偶感
世の中には、たんなる質問と受けとられながら、実際には、質問者のほうに、すでに答えが握られているような質問がある。平たく言ってしまえば、誘導尋問なのだが、いきなり問われると、そう思わずに、相手が望む答えをしてしまうのだ。リアリティに質問したFBIの捜査官など、その手のベテランだったのだろう。
だが、彼らのような専門家でなくても、何気ない会話の中で、それに類する質問が発せられる場合がある。最近、日本でよく耳にするのが、「中国や北朝鮮が攻めてきたら、どうする?」という質問だ。あなたなら、なんと答えますか? たいていは、戦う、と答えてしまうだろう。逃げます、と答えるのは、よほど勇気がある人だ。だって、そう答えた瞬間、非国民! という罵倒が返ってくるだろうから。それに、逃げるといったところで、この島国では、逃げようもないしね。
ここに、この手の質問の罠がある。質問そのものが、答えを誘導しているのだ。では、どうするか? そもそも、このような質問は、その前提にあることを意識的に隠すか、でなければ考えなしに口にしているのだ。だがら、これに対処するには、問い返すことだ。「中国や北朝鮮が日本を攻めてくるって、どんな理由や利害があってですか?」と。
中国にせよ北朝鮮にせよ、しかるべき理由や動機がなければ、いきなり他国を攻めることなど出来はしない。ロシアのウクライナ侵攻だって、歴史的な経緯を含め、それなりの理由づけがあってのことだ。日中間には、貿易摩擦や尖閣列島をめぐる軋轢はあるが、それぐらいで独立国に宣戦布告する理由にはならない。習近平は、自身の共産党政権を維持するために、国内に水も漏らさぬ監視体制を構築していて、言論の自由を封殺しているが、それがそのまま、他国を侵略する理由にはならない。
それよりはむしろ、「中国が攻めてきたらどうする?」といった物言いによって、「非国民」をあぶり出そうとする日本の言論状況のほうが、中国の監視体制のアナログ的な模倣として注意すべきだろう。