18.『月夜鴉』(井上金太郎監督、1939年)
わたしは、この映画を、国立映画アーカイブで、昨年11月28日から12月24日まで開催された「返還映画コレクション(1)――第一次・劇映画篇」という企画において見た。11月30日の上映では、木下千花さんの講演もあったようだが、わたしが見たのは、12月9日の回である。
いやぁ、びっくりした。今年見た日本映画(一般公開の新作)よりも、遙かに素直に感動してしまったのだ。井上金太郎監督の作品を見るのも初めてなら、名のみ知ってはいるものの、スクリーンで見るのは、これまた初めての、ヒロインを演じた飯塚敏子の素晴らしさに痺れたのである。
冒頭、開け放たれた座敷で、その家の主と、その親戚らしい武家の男が話しているなかに、三味線の音が響いている。話題は、三味線の弾き手である、この家の娘のことだ。三味線の腕は見事で、跡継ぎにしてもいいくらいなのだが、女だから、そうも出来ない、28にもなって、どこかに片付けたいが、本人は、結婚話には耳を傾けない、云々と。
やがてわかってくるのは、この家の主は、三味線の宗匠である杵屋和十郎(藤野秀夫)で、相手は、叔父で旗本の吉之進(富本民平)、話題の主が、飯塚敏子演じるお勝である。和十郎の弟子たちには、このお勝が稽古をつけている。
そのお勝に、三味線を教えてくれと頼むが、にべもなく断られるのが、丁稚の和吉だが、演じるのは、前髪をつけ17歳の少年に紛した高田浩吉である。高田浩吉といえば、わたしなどは、戦後の東映時代劇などで、クライマックスのチャンバラ・シーンになると、何故か歌を唱いながら刀を振り回す姿を思い出すが、ここでの若作りも(1911年生まれだから、このときは御年?)最初は気になっても、物言いや所作の巧みさで違和感はなくなる。
お勝に何度すげなく断られ、あまりしつこいと実家に戻すと脅されても、ひたすら三味線を習いたいという和吉の熱心さに根負けしたお勝が、他の弟子たちとは別に、蔵の中で、手ほどきをするようになる。
『月夜鴉』というタイトルでは、即座に内容が想像できなかったのだが(この題名については、のちに触れる)、ここに到って、本作の「芸道もの」としての性格がはっきりする。
木下千花さんの『溝口健二論:映画の美学と政治学』(法政大学出版局、2016年)では、その「第5章 芸道物考」において、芸道物が、戦時下において、どのように成立したかを考察し、『月夜鴉』を、『鶴八鶴次郎』(成瀬巳喜男、1938年)と『残菊物語』(溝口健二、1939年)を繋ぐ作として位置づけている。
ともあれ、念願叶って、お勝に三味線を習うことができるようになった和吉だが、ど素人の覚えの悪さゆえ、しばしば彼女から平手打ちを食らう。和吉が、それで自分の頬が赤くなるのを女中たちが噂しているというと、お勝は、おかげで手が痛くなったといい、以後、棒で身体を叩くようにするという。それらが、当時は「変態」といわれたようだが、変態といいSMといっても、団鬼六原作のロマンポルノなど見ている者からすれば、それほどSMチックに描かれているわけではない。いずれにせよ、芸の道に厳しいお勝が、稽古熱心な和吉の性根にほだされて、本気で彼を教えていくようになったということだ。
和吉が前髪を切って、大人の髷を結うようになる(それもお勝が勧めてのことだ)頃には、彼の芸も磨かれたのであろう。と同時に、和吉がお勝を、唯一の師匠として慕うのと軌を一にして、お勝も彼を愛しく思うようになる。それがわかるのは、二人が町に出たときに、和吉が相変わらず、師匠の後ろを歩こうとするのを、お勝が、一緒に並ぶように促すところである。こういうところ、井上金太郎監督の繊細な演出が光る。
『鶴八鶴次郎』の場合は、互いに芸の腕を認めるがゆえの、芸についての諍いが生まれ、愛し合いながらも別れることになるが、『月夜鴉』は、あくまでも、女には惜しい腕前と見做されながら、女であるがゆえに宗匠にもなれず、本舞台に立つことも叶わぬお勝という女が、年下の男を鍛えて一人前の芸人に育てあげるという意味で、一貫して、教育する女としての力を示した作といえよう。但し、そのような毅い女であることを、最後まで貫き通すわけにいかないのは、時代的な制約にもより、また作り手たちの暗黙の思いもあったのだろう。
ここに絡むのは、最初の場面に出てきて、以後も、なにくれとなく、お勝の望みに応えてくれる、旗本ながら物わかりの良い叔父と、その一家を巡るエピソードである。この脇筋が、なかなか良く出来ているのだ。
お勝が、叔父の家を訪れ、叔母さんと声をかけると、同い年なのに叔母さんなんて、と切り返し、以後、お勝が姉さんと呼ぶようになる叔父の妻(伏見直江)は、あとで後妻とわかる。彼女は、お光という娘を連れて、叔父に嫁いできたらしい。そして、彼女の前夫が、娘のお光を取り戻そうとして刃傷沙汰になる一場があり、その騒動のなかで、お光を助けようとしたお勝が、右腕に傷を負うというのが、以後の展開を導くことになる。
お勝が、いまや何処に出しても立派に通る三味線弾きになったと認める和吉を、なんとか晴れの舞台に立たせたいと父に願い、対する父が、あの和吉ごときがと見下しながらも、せいぜい恥をかけばいいと、不承不承、承知したところから、クライマックスに到るのは、芸道物としてのお定まりの道筋といえよう。
だが、その裏側で、三味線を弾けなくなったお勝が、芸の道を断念し、家を出て身を隠す決心を胸に、和吉への別れの言葉を、お光に言伝させようと、憶えさせる。それには、舞台での心構えに始まり、あれこれあるのだが、一番肝腎なのは、こんな傷ものの年寄りのことは忘れて、いい人を見つけて一緒になりなさいというくだりであろう。
お光は、もともとは家で留守番をして、帰って来た和吉に告げるはずだったのが、手違いから、和吉が出演する舞台の楽屋に行くことになる。そこで、おばちゃんからの言伝をと始めるが、急かす和吉に肝腎のところまでいかずに切れ切れに伝える一場が、なんともおかしい。
そして、宗匠の弟子たちの冷たい視線を背に舞台に上がった和吉が、太鼓や語りを引き立てる見事な三味線ぶりを披露し、それを二階席の柱の陰から見つめるお勝。安堵した彼女は、そっと姿を消し、一方、舞台裏で、恥でもかくかと見ていた宗匠が、次第に和吉の三味線にひき込まれ、周囲も、感嘆の声を漏らす、というのは芸道物の、おきまりでありながら、やはり胸にじんとくる。
だが、それ以上に感動的なのは、舞台から降りた和吉が、お光から肝腎の言伝を耳にするやいなや、楽屋を飛び出し、路地に立つお勝を見つけて走り寄ったところだ。いずれも後ろ向きの二人が抱き合って崩れ落ちる、そこで、エンドなのだ。二人の顔など見せない、後ろ姿のままなのだ。下手な監督なら、見返すお勝の顔、切り返して和吉の顔をアップで見せたりするかもしれないが、井上金太郎は、そんな下品なことは一切しないのだ。なんとも見事な幕切れである。
なお、この映画をスクリューボール・コメディとする見解もあるようだが、この言葉で、わたしなどが思い浮かべるのは、『赤ちゃん教育』(ハワード・ホークス、1938年)とか『ヒズ・ガール・フライデー』(ハワード・ホークス、1940年)なので、ちょっと違うのではないかと思う。これらでは、男と女が、双方互角にわたり合うことで、笑いを巻き起こすのだが、『月夜鴉』は、女は強く自己主張しても、男がそれと張り合う形にはなっていない。これよりは、男と女が対等に言い争う『鶴八鶴次郎』のほうが、スクリューボール・コメディになり得る可能性があったのではないか。
木下千花さんの前掲書によれば、『月夜鴉』の原作は川口松太郎で、時代設定も大正時代だという。また、お勝は、妊娠して流産するように描かれてもいるらしい。脚色の依田義賢と、秋篠珊次郎名で関わった井上金太郎は、時代を江戸時代に替え、お勝の妊娠云々も捨て、前記のように、右腕の怪我で彼女が芸の道を諦めるようにしたのだが、それは、映画にとって、極めて賢明な処理だったといえよう。
それにしても、月夜鴉というタイトルは、むろん原作によるのだが、何を意味しているのだろう。字句通りに受けて、黒い鴉も月夜なら姿が見える、なんて砕いてみても、理に落ちるだけで面白くない。清元や新内に、明烏(あけがらす) という曲がある。わたしは、新内のそれを聞いたことがあるが、なかなかの大作で、一度では終わらない。でも、明烏があるなら、それをもじった月夜鴉が出てきてもおかしくないのではないかと思ったりするのだが。
いずれにせよ、飯塚敏子の出演作や井上金太郎監督の作品をもっと見たいと思う。残っているフィルムは少ないかもしれないが、国立映画アーカイブの皆さまには、是非頑張って、彼らの特集をやって頂きたい。
- 『月夜鴉』
- 監督:井上金太郎
- 原作:川口松太郎
- 脚色:秋篠珊次郎、依田義賢
- 撮影:杉山公平
- 出演:高田浩吉、飯塚敏子、藤野秀夫、富本民平、伏見直江
- 1939年/日本/100分/白黒
『月夜鴉』は、上野さんが文中でご紹介の通り、国立映画アーカイブ(東京・京橋)で、2023年11月28日(火)〜12月24日(日)に開催された企画「返還映画コレクション(1)――第一次・劇映画篇」で上映されました。
「返還映画」とは、アメリカ議会図書館が所有し、1967 年の第一次から 1990 年代の第四次にかけて日本側に返還された、約1400 本にも及ぶ戦前・戦中期の日本映画の可燃性フィルムのことです。国立映画アーカイブの基盤となるコレクションを形成しました。返還映画の中には、戦前・戦中期に心理・情報戦の資料として、米国内外で収集されてきたものや、戦後に「非民主的映画」として上映を禁止された劇映画の一部などが含まれていました。
本企画では、『月夜鴉』を含む、32本の返還映画が上映されました。
近時偶感
毎月送られてくる筑摩書房のPR誌「ちくま」を手に取ると、最後の1ページを開く。そこでは、いわゆる文筆業界には属さない、色々な職業の人が書いているからだ。いや、むろん、そこしか読まないというわけではなく、巻頭に月替わりで登場する蓮實(重彥)さんや金井(美恵子)さんの文章も読んでいるし、斎藤美奈子さんの連載も読んでいますよ。それはともかく、ここで紹介したいのは、11月号から登場したストリッパーの牧瀬茜さんのことだ。まず、彼女がストリッパーになった経緯が面白い(12月号)。彼女は、都内の市場で事務仕事のパートをしていたが、その合間に、息抜きのようにして、夜の路上にベニヤ板の店を開いていたが、休んでいるときに、足を止めた女性と話をしていると、その人がストリップをやっているというのに興味を惹かれた。それで、1997年の暮れに黄金町の劇場に行き、その人が舞台で踊る姿を見て、その開放感にうたれ、翌年にはもう、ストリッパーとして舞台に立つのだ。
些か前説が長くなったが、肝腎なのは、そのあとの1月号。2015年に「ジュゴンになって踊ってみませんか」といわれた彼女は、ジュゴンが住む沖縄のことを勉強したあと、2017年に、辺野古・大浦湾の抗議船に乗り、以来、あの海で泳ぐだけでなく、辺野古ゲート前の座り込みに参加し、ごぼう抜きされたりすることを、2ヶ月に1度ぐらい続けているというのだ。ストリッパーになるのも、辺野古埋め立て工事に反対のアクションをするのも、牧瀬さんの、この身軽にして真摯な行動力には、わたしのような不精者は、ただただ感嘆するしかない。感嘆するだけでいいのか、という声が、わたしのなかで響くが、それはともかく。
朝日新聞の昨年12月18日の朝刊には、アメリカ海兵隊で、在日米軍の再編に関わったというショーン・ハーディング氏の、辺野古基地の建設は、現在の米軍の戦略構想に合わない時代遅れだという意見が載っていた。中国のミサイルの脅威に対して、米軍は、航空戦力を幅広い拠点に分散させる戦略に切り替えている。辺野古基地は、滑走路も短く、戦艦の使用も限られていて、軟弱地盤の問題もあるから役に立たないというのだ。彼は 、別にこれを日本のためにいっているのではない。あくまでも、在日米軍の戦略的必要からの発言だ。
だが、アメリカがそう見ていることは、辺野古基地建設を止める好機ではないか。ところが、わが政府は、なかば禁じ手の国による代執行までやって、辺野古基地建設に邁進している。牧瀬さんが泳いだ大浦湾の、珊瑚などが生息する美しい海を殺してまで。彼らは、政府が一度決めたことは、民意がどうあれ、決して止めないというところに、権力を誇示しようとする。その権力自体が、親分たるアメリカに盲目的に従う、魯迅ふうにいえば、王様気取りの奴隷の権力に過ぎないにもかかわらず。これを恥知らずといわずして、なんという!