20.『戦雲(いくさふむ)』(三上智恵監督、2024年)
三上智恵監督が、2015年から8年をかけて撮った、このドキュメンタリーは、「本土」のテレビはむろん、新聞でさえも、一度もまともに報道してこなかった沖縄の南西諸島で起こっている現実を描いている。そこから見えてくるのは、現地の住民の暮らしばかりか生存さえ危うくする、「抑止力」に名を借りた沖縄全島の軍事基地化である。
まず、台湾とわずか約110㎞の距離にある与那国島に、2016年3月28日、自衛隊の基地が作られる。軍隊のなかった島では、最初は、自衛隊の基地ができることに反対の声が圧倒的だったが、次第に分断され、諦めの空気が広がっていった。そして2022年11月17日、戦車や軍用車両が、反対する人たちの声を尻目に運び込まれた。さらに、防衛省は、与那国島にミサイル部隊を配備すると発表、糸数健一町長は、議会に諮ることなく、町長権限だとして受け入れを決める。
こういう時の、町長などの言い草は、「備えあれば憂いなし」といった俚諺(りげん)に決まっているのだが、これが、自然災害には通用しても、戦争には通用しないばかりか、逆効果になるということについては、のちに述べる。
わたしは、この映画における、現に国家が推し進める軍事化の側面を重視するので、それに沿った事実関係に絞って話を進めるが、この映画では、牛飼いの人が仔牛を育てる様子や、糸満で修業した「川田のおじい」と呼ばれる漁師のカジキとの闘いなど、島の日常の姿も描かれているので、そのあたりは、実際に劇場で観てください。
さて、与那国島の次は宮古島だ。ここには、すでに航空自衛隊の分屯地があるが、その野原(のばる)という集落の向かいにミサイル基地を作る工事が、2017年の11月に着工された。そして2019年3月に宮古島駐屯地が完成する。「なんで安心して子どもを育てる未来を奪われなければならないんだ!」という反対の声にも拘わらず、島の南東の端にある保良(ぼら)地区にはミサイルや火薬を保管する弾薬庫の建設が進み、2021年11月には、ミサイルが運び込まれた。
なお、ここで反対運動をしている下地博盛さん、薫さん、茜さんの一家は、近所のヤギの世話をしているというが、仔ヤギが家の中に入ってきたのを、母ヤギが迎えに来るといった光景が見られ、一瞬、心がほぐれる。
そして石垣島。石垣島にもミサイル基地が作られる計画があったが、その予定地に当たる於茂登(おもと)、嵩田(たけだ)、開南(かいなん)、川原(かわはら)の4つの集落がまとまって反対したため、なかなか進まなかった。それには、これらの集落は、戦後に移住してきた人たちが、石ころだらけの土地を必死に開拓して豊かな農地を作り上げたという誇りがあったからという。
そこで防衛局の測量が行われることになると、地域の若者たちが立ち上がり、2018年に、基地反対の住民投票を求める運動を始めた。結果、1万4千筆を超える署名が集まり、実施を求める条例案を石垣市議会に出したが、市議会はそれを否決したうえ、市の「自治基本条例」から住民投票の条文を削除したのだ。そして2019年3月、石垣駐屯地の基地建設が始まり、2023年3月に開設、その2日後にはミサイルが運び込まれた。
与那国島でも、宮古島や石垣島でも、自分たちが暮らす島の軍事基地化に反対する人たちの、毅然とした姿が心に残るが、わたしがとりわけ印象深く受け止めたのは、本作の語りもしている石垣島の山里節子さんだ。彼女は、基地の自衛官たちに向かって、わたしたちは武器など持っていません、ですから銃を下げてくださいと言って、いざ戦争になったら、どういうことになるかと諄々と説く、その姿に感動した。山里さんは、八重山の魂の歌を歌い、「歌っても祈っても叶わないかもしれないけれど、歌でも祈りでもないと、平和は得られないっていうかね」と呟く。
だが、島々に配備されたミサイル網を統括する本部拠点を、今年、沖縄本島に作ろうとしている防衛庁の幹部、わけても、そのトップである岩屋防衛大臣には、そんな山里さんの呟きを聞く耳はないだろう。かれらの視野には、仮想敵(この場合は中国)に対する、有効な軍の配置場所としての島々があるだけで、そこに暮らす住民など入っていないのだ。住民が反対の声を挙げれば、俺たちはお前らを守ってやるんだから、文句言うなと居直る。その点は、自衛隊と名を替えても、その体質は旧軍と変わらない。
わたしは先に、「備えあれば憂いなし」という俚諺が、自然災害には通用しても、戦争には通用しないと書いた。何故か? 備え、すなわち軍事施設を整え、軍隊とともにミサイルを配備した所こそ、最初の攻撃対象になるからだ。戦争を始めるに当たって、何もない、民間人しかいない地域を最初に攻撃するなどということは、あり得ない。だって、そんなことをしている間に、相手の軍事施設から反撃を受けてしまうから。それじゃあ、端から負け戦になる。
という純然たる軍事的な論理に加えて、第二次世界大戦後に決められた戦時国際法では、文民や非戦闘員を攻撃目標とすることは禁止されているのだ。かりに、最近やたらと喧伝されている「有事」が……これ自体、具体的に、どういう状況をさすのか検証されていないが……とりあえず起こったとして、敵なる国が、日本を攻撃するに際し、最初にターゲットにするのは、当然、軍事基地で、何もなく、民間人しかいない地域を攻撃することはあり得ない。やったとしたら、国際法違反として、世界中から非難を浴びせられるからだ。
そんなリスクを無視するのは、きっかけさえあれば、ガザのパレスチナ人を根絶やにしたいと思っているネタニヤフぐらいで、あのプーチンでさえ、ウクライナ攻撃に際しては、ロシア系住民保護のためという口実を設けたのだから。むろん、戦争が長期化して、味方が不利になったら、前後構わずやるかもしれないが、その場合も、言い訳はする。
というように、ごく常識的な戦争のあり方からしても、また軍事基地は攻撃目標として認める国際法の観点からしても、与那国島や宮古島、石垣島に軍事施設を作り、ミサイルを配備したことは、彼の地の住民を、戦争の最初のターゲットにする危険をもたらすことになったのだ。もはや、あれらの島々に、以前と同じような平和な暮らしは望めない。カジキと闘う「川田のおじい」も、牛飼いも、ヤギの世話をする下地さん一家も、危険に晒されるのだ。「抑止力」という備えが、戦争を近づけるのである。
しかも、「日米共同作戦計画」をスクープした共同通信の記者・石井暁氏によれば、台湾有事を想定した米軍の作戦・EABO(遠征前進基地作戦)に基づき、策定されたのは、小規模の部隊が、攻撃を仕掛けつつ、南西諸島の島から島へと逃げながら戦うというのだ。
となると、攻撃を受けた敵は、まず仕掛けた島に反撃を加える。だが、そのとき日米の部隊は他の島に逃げているから、直接攻撃を受けるのは、その島の住民なのだ。そこに、住民の生存など一顧だにしない軍隊というものの本質が現れている。政府は、いざとなったら、島民を船や飛行機で避難させるなどと言っているようだが、ミサイルが飛び交うなかで、そんなこと出来るわけはない。そこに出現するのは、昭和20年5月の沖縄戦以上の惨劇である。
「本土」の新聞も伝えない事実を明らかに見せてくれた三上智恵さんのこの労作に感謝するとともに、本作が、出来るだけ広く見られるよう願っている。
- 『戦雲(いくさふむ)』
- 3/16(土)より東京 ポレポレ東中野、 大阪 第七藝術劇場、神戸 元町映画館 3/23(土)より那覇 桜坂劇場ほか全国順次公開
- 監督:三上智恵
- 語り:山里節子
- 2024/日本/132分/DCP
- © bouquet garni films
- 公式ウェブサイト:https://ikusafumu.jp/
- twitter(X):https://twitter.com/mikami_films
近時偶感
朝日新聞出版のPR誌「一冊の本」は、その昔、朝日選書の書評を書いていたことがあるが、いまは、もっぱら一読者として愉しく読んでいる。最初にページを開くのは、李琴峰(り・ことみ)さんの「日本語からの祝福、日本語への祝福」で、実際、中国語を母語とする彼女の、日中双方の言葉に対する考察は面白いし、深くもある。だが、本誌で一番人気があるのは、「鴻上尚史のほがらか人生相談」だろう。実際、色々な人の、それこそ千差万別の相談に対して、よくもこう適切な回答をするものかと、感心することがしばしばある。
その1月号の「人生相談」に、29歳の女性からの「もし有事が起こってしまったらと思うと、明日を生きるのが怖くてたまりません」という相談が寄せられていたのが眼を引いた。彼女は、「仕事をしている間に、寝ている間に、もし有事が起こってしまったら……と考えてしまい、一日中落ち着きません」と書いているのだ。
これに対する鴻上の答えは、最近、ことさららしく発せられるアラートに較べ、アジア・太平洋戦争中の空襲警報が、はるかに具体的であったことなど述べ、適切な回答をしているのだが、わたしが、改めて思ったのは、「有事」なるものが、一人の女性を恐怖させるほどまでに喧伝されているという事態についてである。
彼女は、あとで戦争という言葉も使ってはいるが、冒頭の問いかけでは、あくまでも「もし有事が起こってしまったら」と書いていて、「もし戦争が起こってしまったら」とは書いていないのだ。そこが問題だと、わたしは思う。後者であれば、おそらく、人生相談にならないと思うからだ。戦争が怖い? 当たり前ですね。誰でも怖い、ならば、いかに戦争にならないようにするか、平和の大切さを訴えて、お互い頑張りましょう、で終わってしまう。「有事」という曖昧さが、曖昧であるが故の多義性をもって、人を捉えているのだ。
むろん、これが暗黙のうちに指していることはある。「台湾有事」だ。『戦雲』に描かれているように、日本国家は、アメリカに従って、「台湾有事」への備えと称して、沖縄南西諸島の軍事基地化を進めている。また、ヒトラー好きのアソウとかいう爺さまは、台湾に行って、いざとなれば、日本も共に戦うなどとオダを上げていた。なんとか現状維持を続けたいと考えている台湾には、余計なお世話だ。自分が戦地に行くことなどあり得ないノーテンキな政治家に限って、そういう御託を並べる。こういう輩は、ソフト帽の代わりに戦闘帽をかぶせて、ウクライナの前戦に放り込んでやったほうがいい。
と、腹立ち紛れに寄り道をしたが、かりに「台湾有事」が現実化して、中国が台湾を武力で従わせるような事態になったとして、アメリカにせよ、日本にせよ、どういう理屈で介入するのか? ロシアによるウクライナに対する戦争は、独立国への侵略で、明らかな国際法違反である。だから、アメリカや欧米が、ウクライナを支援するという理屈は成り立つ。
だが、台湾と中国の関係は、中国の国内問題なのだ。それは、ニクソンや田中角栄の訪中を機に、アメリカも日本も、第二次大戦後、中国の代表としていた蒋介石の台湾に代わって、中共の中国政府を代表と認め、台湾をそこに帰属するものと認めるようになったからだ。中国側も、しばらく前までの香港と同様に、一国二制度のもとで、政体の異なる台湾も中国の一部として受け入れてきたのだ。
わたしは、バレバレでも平気で人を殺す野蛮で短絡的なプーチンとは違って強かな習近平(それだけに恐ろしいことは国内政治に明らかだが)が、陰に陽に様々な手を使って、台湾を膝下に従わせようとするし、そこでは武力の威嚇もするが、そう簡単に戦争に踏み切ることはないと見ている。かりに、そんな予想を裏切って、中国軍による台湾侵攻が起こったとしても、中国の国内問題である以上、アメリカや日本が、台湾側について戦争に加わる理屈は、国際法上成り立たない。
ならば、なんで、これほどまでに「台湾有事」が言い立てられるのか? 日本を、戦前と同じような軍事国家にするためである。それは、キシダの、NATO並の軍事予算をという言明にも、沖縄の現状でも明らかだ。それで喜ぶのは、常に、自国以外での戦争が続いて欲しいアメリカの軍需産業ぐらいだ。