22.『青春』(ワン・ビン監督、2023年)
ガガガという音が響く。ミシンの音だ。いずれも短いのは、子供服を加工する工程が細かく分れていて、一つ一つの縫い合わせが短いからだろう。
そんな音が響く中、一人の女性が、勝ったと叫ぶが、ちょっと離れた場所で作業をしていた男性が、オレのほうが早かったと言い返す。二人は、どちらが先に仕上げるか競争していたらしい。そんな他愛もないやりとりから、彼らの若さが匂い立つ。
女は20歳のションナン、男は19歳のズーグオ。互いにじゃれ合うように勝ち負けを言いつのっているのだが、彼女の両親が、工場の経営者と話をしているのを聞くと、ションナンは妊娠2ヶ月らしい。どうするのか? もう待てませんという母親に、経営者は、あと2日仕事すれば文句はいわない。堕ろすなら、そのあとでもいいだろう、と。
どこにでもありそうな話だが、結婚ということになると、それぞれの両親の思惑も絡んで、ややこしくなる。ションナンの母親は、娘を遠くに嫁がせたくない、という。ならば、男を婿入りさせるか。だが、そこには、ズーグオの両親の思惑もあり、中国の戸籍の問題もあるようだが、その点はよくわからない。
外廊下の干し物の影で、当事者の二人が話しているのが、漏れ聞こえるが、女が、あなたは親に相談しないと何も決められないんでしょ、と言うのに、男は、結婚するのはオレだ、でも、親の援助がなければ出来ない、と、ここでも、男は劣勢だ。
この二人が働いているのは、浙江省・織里鎮利民路93工場だが、横長の建物の中には、多くの若者がミシンを操作している広い作業場があり、彼らが寝泊まりする幾つもの部屋がある。職住が一体化しているわけだが、それらを囲むように外廊下がある。そこから、道路を隔てて同じような横長の工場あるのが見える。この織里鎮には、18000を超える個人経営の子供服工場があるというから、いったい、どれほどの若者たちが働き、どれだけの子供服が作られるのかと想像するだけでアタマがボーッとなる。
ワン・ビンは、2014年から16年にかけて撮影し、そのあと補足的な撮影を、17年から19年にかけて行ったという。カメラは幾つかの工場に入っていくが、工場が変わっても、そこで働く若者たちを捉える姿勢は変わらない。仕事を終えてじゃれ合っている男同士がいるかと思えば、ケーキのクリームを顔中に塗られて泣き笑いの女がいる。
ションナンたちが働いているのとは別の工場では、ズボンの裏地を縫い付ける仕事をしている。素早く動く手が布を押し、ミシンで縫い付ける。悪口を言ったとか言わないといった言葉が飛び交うなかで、正面を向いて手を動かしていた男が、モノを投げつけられたのか、いきり立って立ち上がると、そこへ反対側から男が飛びかかってくる。もみ合う二人。そこに割って入った中年女。それは、物を投げられて怒ったシャオウェイの母親で、彼女もここで掃除婦をしている。彼女は懸命に24歳の息子を庇い、相手を激しく罵倒する。過去にも何かあったらしいが、この突然の暴力に目を奪われる。だが、そんな瞬間にも、興味深げに、そのほうを見るだけで、手を動かしミシンを操作する女もいる。
こういう瞬間をあやまたず捉え、しかも、そんな騒動に我関せずと作業を続ける女をも視野に収めるワン・ビンのカメラには、いつもながらのこととはいえ、改めて脱帽する。
これまた、別の工場で働いていた男が、ネット・カフェで、明日、帰省すると言って、パソコンに向かう女を口説いているのが目に付く。そのときの彼の言い草がいい。女性は、夜働いていると、ホルモンのバランスが崩れて、身体に良くないから、ネット・カフェを辞めて、昼間の仕事を探したほうがいい、というのだ。言われた女の方は、聞いているのかいないのか、豆など食べながらパソコンに向かったままで、彼の方を見向きもしない。その翌朝、くだんの男が飲み物を片手に、友だちと二人でバスを待っている姿が印象に残る。
さらに別の工場では、男が隣り合って仕事をしている女に、「君が好きなんだ」と話しかけるが、相手は、「好きだからって付き合う必要はない」とか、「あんたは好みじゃない」とか、いともすげない返事を返すばかり。だからといって、彼女が男を無視して遠ざけるかというと、そうでもなく、何かというと女は男の耳をつねったり、蹴ったりしているので、そこには、微妙な関係があるのかもしれない。ただ、ここでも主導権を握っているのは、女のほうだ。
若い男女を巡る、時に深刻な問題にぶつかることはあっても、その多くは、子どものようにじゃれ合うかと思えば、マジメに口説いたり、カメラを意識することなく、仕事場で抱き合う男女もいたりする。労働の場でありながらも、彼らは、思い思いの青春を謳歌しているのだ。だが、そんな彼らも、田舎から出てきて工場で働く以上、そこで得られる賃金に関しては敏感だ。中綿入りの服が5元なんて、よそじゃズボンでも4元なのにとか、単価が上がったのは、生産量の少ない服だけで、あとはすべて据え置きじゃ……と不満がつのる。
そこから、社長との賃金交渉が始まるが、これら個人経営の工場では、社長と奥さんの二人だけで切り回しているというのが少なくない。若者たちが、それぞれが仕上げた服の数量を元に計算したものを付き合わせて、単価を上げる交渉を始めようとすると、社長は、この忙しいのに仕事しないで突っ立ってるんじゃないと怒鳴り、脇から奥さんが、明日が納期、話はそのあと、と金切り声を上げる。
まさに個人経営ならではの風景だが、これらの工場では、どうやら、布地を仕入れた時に、その代金を支払うのではなく、服が出来上がって、納品したときに得られる売り上げから仕入れ代金も払い、賃金を払うという仕組みになっているらしい。奥さんが、話は納期のあと、と言うのも、その意味ではわからなくもない。
改革開放後の中国では、近代的な大工場も生まれ、外国と日常的な取引をしている企業も増えているが、家族経営による子供服の生産というような零細な工場では、昔とさして変わらぬ商習慣で取引が行われているのだろう。賃上げ交渉も、従業員と社長が、顔と顔をつきあわせての話し合いで進められ、この服については、0.5元上げてくれないかとか、交通費は幾らになるといった、近代的な労使交渉とは異なる、細かい話になる。そこには、政府の統制が及ばぬ、というか、政府の視野の外にあるが故の「自由」があるともいえよう。そこで働く若者たちが、集団で賃上げを超えた要求を掲げたりするようにならない限りでは。
これまで、中国社会の底辺に生きる人々を、その歴史的な経緯を含めて描いてきたワン・ビンが、ここ浙江省・織里鎮の工場で働く若者たちにカメラを向けたのも、まさに彼ならではの選択にほかならない。
この『青春』、第1部の「春」は、シャオウェイが、同じ職場で働いていたシャンシャンやファンファンと共に、郷里である安徽省宣城の、一面に畑が拡がる川の傍の実家に帰ったところで幕を閉じるが、この先、彼らはどうなるのか? それを描いた第2部、第3部(それは、ワン・ビンの処女作『鉄西区』の構成を思わせる)の公開が待ち遠しい。
- 『青春』
- シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中
- 監督:ワン・ビン
- 原題:青春 春/英語題:YOUTH(SPRING)/2023/フランス=ルクセンブルク=オランダ/215分
- © 2023 Gladys Glover – House on Fire – CS Production – ARTE France Cinéma – Les Films Fauves – Volya Films – WANG bing
- 公式ウェブサイト:
https://moviola.jp/seishun/ - twitter(X):@wangbing_films
近時偶感
新宿駅ビルの構内東側に、「ベルク」というビアカフェがある。以前は、週に3、4日、新宿を通っていたので、時々立ち寄っては、軽食をつまみにビールを立ち飲みしたりしていたが、最近は、新宿に寄ることが少なくなったので、御無沙汰している。
そんな店のことが、3月24日の朝日新聞に書かれていたのを読んで、愕然とした。簡単に言ってしまうと、「反戦」を訴えたビラを店に貼ったところ、それが破り捨てられただけでなく、食べ物は美味しいから好きだけど、「思想を貼っているのは私に合わない」とか、「戦争反対を掲げているのは苦手」といった声が寄せられたりしたというのだ。
反戦を訴えたといっても、元は、2015年に安全保障制度に抗議する学生が、ジョン・レノンとオノ・ヨーコがベトナム反戦への想いを込めたという曲「ハッピー・クリスマス」にある、「WAR IS OVER! IF YOU WANT IT」という言葉を引用したビラを国会前で配っているのを見た副店長の写真家が、若い人も、ジョン・レノンを知っているのだと喜んで、ビラを貼り出すことにしただけのことだ。
「反戦」が社会的な常識だった1960年代が、記憶の彼方に消え去ったことは十分承知していたが、この20年で、ここまで来たかと、愕然とする。いまじゃ、「反戦」は、「政治的」な「思想」であり、苦手で目にしたくないものになったのだ。アベが生きていたら、教育の成果がここまで実を結んだかと、手を叩いて喜んだことだろう。
では、「反戦」を表明することが苦手で、楽しかるべき飲食店にふさわしくないと思う人に、じゃあ、アナタは、戦争が好きなんですかと訊いたら、そんなことない、と否定するだろう。要は、「反」を唱えることが「政治的」で、怖くて、イヤなのだ。そこには、批判を怖れ、自身の立場を表明することを極端に避けようとする心性がある。これぞ、この国の政官が、この 2、30年で押し進めてきた教育の成果だ。その結果、モノ言わぬ民が圧倒的に増え、モノ言う人間を忌避し、時には潰しにかかるだろう。
ハイテクを駆使し、情報管理を徹底して自己の支配体制を完成させようとしゃかりきになっている習近平が、この日本のソフトな教育の成果を知ったら、さぞ羨むことだろう。