上野昻志 新・黄昏映画館

『フライ・ミー・トウ・ザ・ムーン』(グレッグ・バーランティ監督、2024年)

 Fly me to the Moonといえば、わたしが最初に思い出すのは、その昔に聞いていた、パティ・ペイジの歌だ。最初のうたいだしから、次のAnd let me play among the stars(作詞・作曲 バート・ハワード)というフレーズまで、今でも耳に残っている。この映画の中でも、誰かがうたっていたようだが、ほとんど印象に残ってない。

もともと、この映画は、わたしの視野に入っていなかったのだが、内外の映画をよく見ていて、めぼしい作品を教えてくれる親しい友人の言に従って映画館に駆けつけたのだ。お陰で、楽しく見られたのだが、午後の早い回で、観客は、わたしを含めて4人だった。日本公開から1か月以上経っていたから、無理ないのかもしれないが、全体の興行成績はどうだったのだろう?

それはともかく、物語のベースは、アメリカの宇宙開発の中心となるアポロ計画の推進だが、これには米ソの開発競争が絡んでいる。すなわち、1961年に、ソ連が有人宇宙船ボストーク1号を打ち上げ、それにガガーリンが搭乗して地球を一周、着陸に成功したことで、加熱する。これを見せつけられたケネディ大統領は、アメリカは、60年代中に、アポロを月面着陸させるとぶち上げたのだ。そして1962年には、NASAがアポロの月面着陸の計画を進めるのだが……。

しかし、この映画でも触れられているように、計画開始から8年目の1967年、アポロ1号が発射台上で、打ち上げのリハーサル中に火災事故が発生して、宇宙飛行士3名が死亡するのである。

かくして、物語は、60年代のどん詰まり、1969年の、月面着陸を目指した有人のアポロ11号の発射に絞られていく。

この間、アメリカは、ケネディ大統領暗殺死のあとを継いだジョンソン大統領が、ベトナム戦争に介入して、かの地で泥沼の抗争を展開しているのだが、その辺は、チラッと見せるだけで、主線は、明るいアポロ計画の推移だ。といっても、それだけでは、宇宙開発を巡る公的な話で、いまさら映画で見せるまでもない。ならば、これを物語として面白くするために何を持ってくるか?

企画段階での最初のアイデアでは、わたしなども当時のテレビ画面で見せられた、月面に着いたアポロ11号から降り立った飛行士が、月の「静かな海」を歩く映像が、実際のものではなく、ハリウッド流に仕立て上げられた捏造画面だったら、どうか、ということだった。

いまでいうフェイク映像だが、実際、当時の映像を見たソ連は、これは作りものだと言っていたらしい。ここには映像の虚実に関わる面白い問題もあるが、とにかく、そのアイデアを生かし、さらに面白くするために、脚本家が捻りだしたのが、ロマンチック・コメディなのだ。

その結果、最初は、この映画にプロデューサーとしてだけ関わっていたスカーレット・ヨハンソンが、アポロ計画を広く世界に知らせるために PRマーケティングのプロとして、ニクソン大統領の肝入りでNASAに雇われる役を演じることになったのだ。

そこから、彼女演じるケリーが、宇宙計画に懐疑的な一般大衆の関心を引き起こすために、NASAの仕事に注目を集めさせようと、オメガの時計から食品に到る様々な商品を絡ませたCMを次々と打ち出していく。

一方、発射責任者のコール(チャニング・テイタム)は、一本気で堅物、ひたすら打ち上げの成功しか眼中になく、この計画に莫大は費用がかけられ、それには一般の関心やサポートが必要なことなどは、まったくアタマにない。そんな彼からすれば、チャラチャラした広告で、NASAを宣伝しているケリーの存在は目障りで、本来業務の邪魔でしかない。

かくして、二人は、ことあるごとにぶつかり合うのだが、そこは、ロマンチック・コメディの常套らしく、喧嘩しながら、次第に相手に惹かれていくことになる。この展開が、なんともおかしく、本作の見所ではあるのだが、スクリューボール・コメディというところまでは到っていない。というのも、二人のぶつかり合いは、言葉の応酬に留まっていて、アクションにはならないからだ。

そう、『赤ちゃん教育』(ハワード・ホークス監督、1938)におけるキャサリン・ヘプバーンや、『ヒズ・ガール・フライデー』(同、1939)のロザリンド・ラッセルのようには。

ただ、もともとは、この計画が大統領絡みのミッションであるということから、ニクソンの息のかかったモーなる人物を登場させ、最初のアイデアにあったフェイク映像の製作を、ケリーにやらせるという一連が、最後の見せ場に絡んでいる点は見逃せないだろう。そこで、わたしの所に、今年から同居するようになった黒猫とそっくりな猫が走り回って、人を右往左往させるのが楽しい。

 

だが、それにしても、ロマンチック・コメディ仕立てとはいえ、50年前のアポロ11号の成功物語を、この2024年に製作・公開するのは、何故なのか?

敢えて前向きに推測すれば、Mr.トランプの登場によって顕在化した、アメリカ社会の分断に直面している現在だからこそ作られたのかもしれない。ベトナム戦争という負性を抱えながらも、なお、未来に向けて、喧嘩しながらも手を繋ぐ男女の明るい姿を通して、有り得たアメリカを、今一度、振り返って欲しいという想いをこめて。

ただ、それが、どこまで通じるかは未知数だが。

 

  • 『フライ・ミー・トウ・ザ・ムーン』
  • 監督:グレッグ・バーランティ
  • 出演:スカーレット・ヨハンソン、チャニング・テイタム、ウディ・ハレルソン他
  • デジタル配信中(劇場公開は2024年7月19日〜)
  • 発売・販売元:株式会社ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
  • © 2024 Apple Video Programming LLC. All Rights Reserved.
近時偶感

Mr.トランプの名前を出したついでというのもいい加減だが、ほかに思いつくこともないので、彼について書く。といっても、わたしは、アメリカ大統領選における彼を、テレビや新聞の報道で受け取ったぐらいの知識しかない。だから、トランプ氏は、政策としては、移民の排除や輸入品の関税引き上げなどによる、アメリカの利益第一主義を唱えるだけで、あとは、対立候補の悪口を言い募って、社会の分断を煽る、強面のオッサンと見ていた。銃撃によって怪我をしたことも、それによってファンをはじめとする大方の同情を得て、大統領選に有利に働くだろうぐらいに思っていた。
 だが、トランプ氏の共和党大会における、大統領選出馬受諾演説を、仔細にフォローした佐藤優の文章から(『一冊の本』9月号)、トランプ氏が、「プロテスタントのカルバン派の一潮流」である「長老派」に属していると教えられた。このへんは、クリスチャンである佐藤優ならではの知見によるのだが、カルバン派の教説で重要なのは「ある人が神に選ばれ救われるか、捨てられ滅びるかは、その人が生まれる前に決まっていると考える二重予定説だ」という。
 たとえば、生命の危機に直面して生き残ったとき、カルバン派の人は、「運が良かった」とは捉えず、「やはり自分は、神によって選ばれている。命は神によって貸与されたものなので、今回生き残ったのは神が私にこの世でやるべき使命があると考えている」というのである。
 このような信念は、銃撃によって危うく一命を取りとめたトランプ氏を奮い立たせたことだろう。怪我をして大方の同情を買うなどというレベルではない。私が神によって選ばれた者であることが、これによって証明された。であればこそ、この世でやるべき使命に邁進しなければならない。さしあたっては、大統領としてアメリカを立て直すのだ、とでも。
 宗教的信念によってわが道を往く者ほど強いものはない。そんな彼に、ハリス氏が勝てるかどうか、難しいところだ。
 トランプ氏の宗教的な信念とは別に、カルバン派でなくても、彼が、アメリカであれだけの支持を受けるのは何故なのか? 社会的な分断があるといっても、その実際はどうなのか? 日本のマスコミの報道レベルで考えていても、本当のところはわからない。とアタマを捻っていたところに、新聞で、会田弘継の『それでもなぜ、トランプは支持されるのか アメリカ地殻変動の思想史』という本が、東洋経済新報社から刊行されたというのを見たので、早速、読んでみよう。