『お坊さまと鉄砲』(パオ・チョニン・ドルジ監督、2023年)
ブータンのパオ・チョニン・ドルジ監督のデビュー作『ブータン 山の教室』(2019)も良かったが、2作目の本作は、それにもまして素晴らしい。
これは、2006年、国民に愛されたブータン国王が退位を表明し、民主主義体制に移行することになり、その準備のための模擬選挙を実施するに到った顛末を描いた作品である。
まず、稲の穂が揺れる畑の彼方から、荷を担いだ男が歩いてくる。そのロングに引いた画面が、この映画の主要な舞台であるウラという村の佇まいを伝える。男は、やがて小さな庵で瞑想中のラマを訪れ、そこでラジオが、模擬選挙を進めるためにウラ村に行くと選挙委員が語るのを聞く。と、こちらに背を向けたままのラマが、タシというこの修行僧に、銃が必要だと言う。タシは、私は銃を見たことがありませんと答えるが、ラマは、銃を2丁、満月の日までに手に入れたいと命じる。
画面は一転して、近代的な都会を写してから、そこで暮らす夫婦を捉える。病妻が、人工透析に連れて行ってと頼むのに、出かけなければならないと夫は出ていく。
と、舞台は再びウラ村で、大きなテレビを抱えて歩く男に声をかけた男が、あいつはテレビを買うために牛を2頭売ったとくさしながら、自宅の小型のテレビをつける。彼は模擬選挙に夢中のようで、妻の母親が押している候補の批判などする。それを疎ましく感じているらしい妻は、わたしは興味ありませんと答える。
画面が替わると、選挙委員の女性が、ウラ村へ向かう車中から電話で、村の模擬選挙の進展具合をたずね、CNNもBBCも、この選挙の取材をしているので失敗は許されないと、はっぱをかける。
ここまで、ことこまかに導入部を辿ってきたのは、この国で初めて行われる模擬選挙を巡って起こる事態を描くために、それぞれ思いも立場も違う人たちを、実に周到に設定しているかを知ってもらうためだ。
すなわち、4日後の満月の日まで、銃を2丁手に入れたいというラマ。その日は、模擬選挙が実施される日でもあるが、そんなラマの求めに応じて、銃を探しに行く僧侶のタシ。都会に住んで、病気の妻を置いて出ていく男ベンジは、このあとにわかるようにガイドで、ウラ村にあるという南北戦争時代の貴重な銃を求めてアメリカからやってきたコレクターのロンを案内して銃を探す。また、ウラ村で、模擬選挙に熱中する男チョペルに振り回される妻のツォモ。そして都会から模擬選挙を成功させるために来た選挙委員の女性ツェリン。以後、彼らが、それぞれの思惑を抱いて、どのように動き、すれ違っていくかが、予断を許さぬ展開で実に面白い。
話は、タイトルにある銃を巡る顛末と、模擬選挙をめぐる右往左往とが、同時並行的に描かれていくのだが、そこからは、昔からの伝統に従って生きる人々の価値観と、現代的な意識とのズレが鮮やかに浮かび上がってくる。
まず、ベンジと銃コレクターのロンが、目的の家で、主人が出してきた南北戦争時代の骨董品ともいうべき銃を買い取ろうとする時のやりとり。金に関する考えが、村の人間とロンや都会暮らしのベンジと違うのだ。主人は、ロンが提示した金額を高すぎると断り、その半値以下で売ることに承知する。喜んだベンジたちは、翌日、金を持ってくると言って去るが、入れ違いにやってきたタシが、ラマが満月の日にやる法要で銃を求めていると話すと、主人は、ラマのお祈りのお陰で幸せに暮らしてこれたと、銃を差し出し、お供物として差し上げると言って、金も受け取らない。
そして翌日、銃がタシの手に渡ったことを知ったベンジとロンは、僧院に向かって歩くタシを追いかけ、銃を売ってくれと言って、バッグに詰めた札束を見せるが、タシは、すごい金だなと言うだけで動じない。結局、ラマは2丁の銃を求めているから、2丁と交換ならと話は決まるのだが、その時、彼が銃のカタログから選んだのが、その前に、村人が集まる茶店のテレビで見た007が持っていたAK47なのだ。そんな凄い銃がどうして必要なのかと訝しみながら、ロンは、明後日の満月に間に合わせるために、AK47を、インドから密輸入する手配をする。かくして、銃を巡る話は、銃器売買の外国人が入国したという情報を得た街の警察が動き出すことも含めて、加速していく。
一方、村では、模擬選挙のための住民登録が行われているが、生年月日を問われた男が、そんなこと知らないと言うと、家で調べてきてと返されるが、そんな無意味なこと、と呟いて去っていく。また、選挙に夢中の夫に背を向けたツォモは、消しゴムを買いたいという娘を連れて行きがてら、選挙委員のツェリンに会いに行くが、このくだりが秀逸。
ツォモの、選挙をやる価値があるのかという問いに、ツェリンは、世界中の人が命がけで望んだことだと答えるが、それに対して、ツォモは言う、私たちが命をかけなかったのは、必要なかったからと。そして、選挙がやってきて以来、夫は、近所の人たちとの争いに熱中し、私の母とも敵対関係になったし、娘も、学校で敵の子どもだからと同級生に苛められ、私の家族は苦しんでます、と訴える。対するツェリンは、終われば、皆、幸せになると答えるのだが、ツォモの、今までも幸せだったという言葉に、沈黙するしかない。
選挙に慣れた(慣らされた)わたしたちは、選挙制度について、ほとんど考えずに過ごしてきたが、選挙が、一方で市民を分断していくことは、アメリカの大統領選などで顕わになっている。ここでのツォモの問いかけは、改めて、それを思い起こさせる。
ともあれ、投票が実施され、ラマの、銃を携えての法要も行われる満月の日がやってくる。そこに、密輸した2丁のAK47を担いだロンとベンジも、銃器売買取り締まりの警察もやってくる。一堂に会するその場で、法要が行われることになるが、そこでラマが求めた銃がどのように使われたのかは、見てのお楽しみとしておこう。そこでは、辺境からの現代世界に対する問いかけともいえる、実に感動的な一場が展開するのだから。
- 『お坊さまと鉄砲』
- 監督・脚本:パオ・チョニン・ドルジ
- 製作:ステファニー・ライ(頼梵耘)
- 撮影:ジグメ・テンジン
- 出演:タンディン・ワンチュック、ケルサン・チョジェ、タンディン・ソナム
- 12月13日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、シネ・リーブル池袋ほか全国順次ロードショー
- 配給:ザジフィルムズ、マクザム
- 2023|ブータン、フランス、アメリカ、台湾|カラー|2.39:1|5.1ch|112 分
- © 2023 Dangphu Dingphu: A 3 Pigs Production & Journey to the East Films Ltd. All rights reserved
近時偶感
ネタニヤフのイスラエルは、レバノンとは、一応、停戦したものの、その分、戦力をガザに集中させて攻撃をエスカレートしている。ガザ地区へ食糧支援していた国連組織に対しても攻撃し、ただでさえ食料が枯渇しているガザの糧道を断とうともしている。
このような事態に対し、国際刑事裁判所(ICC)は、ネタニヤフ首相とガラント前国防相に、戦争犯罪などの容疑で逮捕状を出したが、フランス外務省は、イスラエルがICCに非加盟であることを理由に免責になると発表した。その一方で、フランスは、同じくICCに非加盟のロシアのプーチン大統領に対する、ICCが出した逮捕状に関しては、認めているのだ(朝日新聞・11月29日朝刊)。
まさに「二重基準」もいいところだが、フランスの、このイスラエルに対する配慮というか、おもんぱかりは、なんなのか。たんに、その昔、ユダヤ人差別をしてきたことへの後ろめたさばかりではないだろう。フランスは、いま、バカなマクロン大統領のもとで、政界がガタついているようだが、そのせいでもあるまい。
もともと、ナチによるユダヤ人虐殺のホロコーストについて、うすうす知りながらも黙殺してきたフランスだから、現在の、イスラエルによる、天井のない収容所ともいうべきガザに対するホロコースト並のジェノサイドについても、承知しながら見過ごすということなのか!
ヨーロッパの大国であるフランスが、この体たらくでは、ネタニヤフのイスラエルは、ますます嵩にかかって、ガザに生きる人々を根絶やしにしようと突っ走るだろう。おまけにアメリカは、同じような「二重基準」のバイデンでも、及び腰ながら、ガザの人道危機をチェックしようとしていたのが、もともとイスラエルびいきのトランプに替わり、前回も書いたような、国家としてのイスラエル批判を、「ユダヤ人差別」一般にすり替えて、国連の対応を非難するような女史を国連大使にするのだから、事態は、ますます絶望的というしかない。
国際政治学者の高坂正堯は、1990年の紀伊國屋ホールでの講演で、「ユダヤ人は偉大な民族ですが、国をつくると狂信的でありすぎるかもしれません。現在のイスラエルが中東でやっていることを見ると、気が気でありません」(『歴史としての二十世紀』新潮選書)と語ったというが、彼の慧眼に改めて脱帽すると同時に、30年後の現在、イスラエルがやっていることは、高坂の憂慮を遙かに超えているのである。何か、打つ手はないものか!