上野昻志 新・黄昏映画館

『少年』(旦雄二監督、2024年)

まず、モノクロの画面に「君が代」の大合唱が響き渡るのに、虚を突かれる。だが、それが、2000年の高校の卒業式で、制服の男女が合唱しているというのがわかり、事態を納得する。

いまではすっかり忘れていたが、1999年に、国旗国歌法なるものが制定され、翌年から、卒業式などで「君が代」を歌うのが強制されるようになったのだ。当初はこの法律に反対するデモもあったし、教育現場では、「君が代」を歌うのを拒否する動きもあった。最近は、話題にもならないが、どうなっているのか。この国の常のように、時間の推移とともに馴らされてしまい、歌うのが当たり前になっているのかもしれない。

映画に話を戻すと、この場面で、在校生の席に並ぶ生徒の中で、ただ一人、椅子に座ったまま歌わない少年がいる。式後、彼は、一人の教師から、どういうつもりだと殴られる(ここでカラーになる)。家では、学校から連絡があったようで、父親から罵声を浴びせられる。

小林且弥演じる、純という16歳の少年の行動とともに、彼の好み、家庭内や学校でのこと、街での出来事などが明らかになっていく。と同時に、それらが反復され、時間の経過につれ変化していくさまを、全編を通してリアルに描き出していく旦雄二の脚本・監督の手腕は半端ではない。

彼の家には、両親のほかに、戦争で気が狂った祖父がいるが、純は、その祖父に親しみを感じているようで、食事の世話などしている。また、Myuというアイドルのファンで、彼女がラジオで、視聴者と言葉を交わす電話につながるのを心待ちにしている。

学校に行ったものの、入らずに引き返した純は、引きこもったままの友だちの家を訪ねる。彼は以前からそうしているようで、その母親は喜んで迎えるが、相手は、本に目を向けたまま、言葉を交わすこともない。

帰り道で、純、金を貸せと迫る3人組を逃れ、盛り場に出た彼は、裏道で、同年ぐらいの少女(中村愛美)を無理やり連れて行こうとした男を見つけ、割って入り、彼女を引っ張っていくが、女は、カッコつけんじゃねぇ、お助けついでに金貸しなと、純の財布を奪って去る。

開巻間もないエピソードを事細かに追ったのは、ここまでに出てくる家庭内の有り様にしろ、引きこもりの友だちとのことも、街で助けようとして逆に居直って金を奪って消えた少女についても、このあと、何度も出てきて、時間の推移につれて変化して、純をのっぴきならぬ状況に追い込んでいくことに注目してもらいたいからだ。

純は、野球が好きだったようで、ボールを大事な物を入れている箱にしまっているが、そこには、幼い時に両親と一緒に撮った写真もある。また、「闇の狼」と題した大学ノートに、その時々の想いを書きつけてもいる。では、彼は何故、卒業式で起立せず、「君が代」を歌わなかったのか?

それが明らかになるのは、純があるグループ(民青系か?)に呼ばれ、われわれも国旗国歌法に反対だが、どう対処するか決めないうちに、君が一人で、ああいう態度を示したのは立派だ、ぜひ、僕らとともに平和と民主主義のために頑張ろうと言われたときだ。それに対して純は、あの日は、朝から腹痛で、下痢しそうだったから、立てなかったし、歌なんて歌ったら、ちびって、「君が代」に失礼だろうと返す。政治的な理由ではなく、生理的な理由だったという話だが(笑)、それに怒った男ともみ合い、殴り返したことで、彼は、校長に呼ばれ、停学処分となる。純に同情的な担任は、なんとか取りなそうとするが、殴られた学生の父親が市会議員だから、まずいという校長に押し切られる。

こうして、純の次なるステージが始まるが、停学という事態に父親は激怒し、母親は、ご近所に顔向けできないと愚痴る。この両親、当初は、息子の所行に怒ったり、嘆いたりしているが、夫が妻を殴ったことから、2人の関係に亀裂が生じ、時を追って、夫婦は修復不可能な状態になっていく。

一方、純には、新たな関係も生まれる。街で会った先輩に誘われて、愛国団体に連れて行かれるのだ。その会長を、なんと鈴木清順師が演じているのに眼を見張る。清順師は、2017年に亡くなられているので、当然、ここに登場するのは、もっと前で、例の口調で元気そうだから、改めて、本作にかけられた時間の長さを思う。

純は、愛国団体の事務所の掃除を手伝ったり、街宣車に同乗したりもするが、それ以上の関係にはならない。親しく言葉を交わすようになるのは、自転車屋の源さんという中年男のほうだ。そこで、源さんのただならぬ過去なども知る。

では、純をめぐる従来の関係の方はどうか。

引きこもりの友だちに対しては、何度か通ううちに、外に出てみないかと誘うようになる。最初は、2階の部屋から玄関まで降りても、ドアに手をつけられなかった友だちも、やっとドアを開け、外の光を浴びるようなり、次には、恐る恐る一歩を踏み出すようになる。急がずせかさず根気の良い誘いが、友だちを動かしたのだ。
ならば、街で助けようとして居直った少女の方はどうか。

2度目に彼女を見つけた純は、ナイフを突きつけ、金を返せというが、女は動じない。だが、そんな彼女の方から純に電話がかかってくる。彼の財布に連絡先を書いたメモが入っていたらしい。女は、のぞみと名乗って、付き合ってくれないかと誘い、戸惑っている純に、Myuのプロモーションビデオと同じ図柄を描いた紙を渡す。彼女もMyuのファンだったのだ。だが、その時は、最初に彼女を引っ張っていた男が現れ、親父だと名乗って、のぞみを連れて行く。

そして、今度は純のほうから、のぞみに会いたいと電話をして、渋る相手と会うことになる。そこで、のぞみが、バクチ狂いの実の父親から売春を強要されていることを知らされる。それを知った上で、純はのぞみに惹かれ、2人の新しい関係が始まるのだが、出口はあるのか。逃げよう、と純はいうのだが、いったい、どこに逃げるのか?

ここから、居場所がなく、出口も見えない中で、純とのぞみは、どのように生きていくかを軸に、物語は、さらに苛烈さを増していくことになるのだが、そのなかで、一点だけ触れて、あとは、観てのお楽しみとしておこう。

それは、引きこもりの友だちのことだ。彼は、純の根気良い誘いによって、外に出るようになり、覚束ない足取りでも、外を歩くことを楽しむようになる。そんな彼と、純とのぞみ、3人が川縁に並んで座り、晴れやかな表情を浮かべている情景は、この映画でほとんど唯一、幸せを感じさせるシーンだが、その後、事態は暗転し、純の好意が裏目に出る結果となる。その顛末自体は、われわれの日常でも起こりがちなことだけに、なんとも切ない。

いや、旦監督の世界を捉える眼は厳しいね。

純が、怪我をした腕を庇って歩いて行く道の両脇に、日の丸の旗の列がどこまでも続くラストショットも鮮やかだ。

 

  • 『少年』
  • 製作・脚本・監督:旦雄二
  • 出演:小林且弥
    中村愛美、留奥麻依子、筒井真理子、伊丹幸雄、坂元貞美、織本順吉、鈴木清順
  • 全国公開中
  • https://shonen.yujidan.com/
  • 製作・配給・宣伝:dan
  • 2024年/180分/日本/カラー/ステレオ/アメリカンビスタ
近時偶感

 ちょっと前のことで、その後、話題にもならないが、台湾有事に対する政府見解というのが報じられた。それによると、台湾をめぐって戦争状態になったら、沖縄諸島の住民を、船や飛行機で避難させる、というのだ。
 これに対して、そんなもの机上の空論だという批判も出たらしいが、まさに仰る通り。いざ、ドンパチが始まったら、そんな余裕があるはずもない。仮に、戦火をかいくぐって、なんとか避難民を船や飛行機に乗せたとしても、飛び交う砲弾のなか、無事に本土に行き着ける保証はない。そんなことは、先の大戦における沖縄戦での対馬丸の悲劇で明らかではないか。
 この国の政治家は、都合が悪いことは忘れる健忘症に罹っているから、そんなこと知りませんと言うだろうから、書いておくが、ことは、1944年8月22日に始まる。
 この日、沖縄本島から、学童や避難民を本土に疎開させるために対馬丸に乗せたのだ。だが、対馬丸は、鹿児島沖で米軍の魚雷攻撃に遭い、あえなく沈没。その結果、学童784名、一般疎開者625名、乗員を含め、計1484名が犠牲になったのだ(2024年8月22日までの氏名判別者数、公益財団法人対馬丸記念会HPより)。この時、九死に一生を得た生存者は、政府役人から、対馬丸が撃沈されたという事実を話すことを禁じられた。そういうお上だから当然! 事実調査も行わず、沖縄に残された家族にも何も知らせないまま、長い間、闇に包まれていたのである。
 この対馬丸による疎開は、それ以前に、沖縄諸島の住民、10万人を避難させるという計画の第1弾だったというが、当時の、大日本帝国の政府でも、まさに机上において、そのくらいの規模で考えていたのだ。結果、対馬丸沈没で立ち消えになったわけだが、現在ならば、その数はもっと増えるはずだ。そうであれば、なおさら避難は困難になる。沖縄諸島の現在の状況は、当時より、より危険度を増すようになっているからである。
 昨年、公開された三上智恵さんのドキュメンタリー『戦雲 いくさふむ』が明らかにしたように、2010年代半ばから、与那国島をはじめ宮古島、石垣島などに、自衛隊の基地が作られ、ミサイルが配備されたり、巨大な武器庫が作られたりした。その結果、沖縄本島を含め、これらの島々は、対台湾、対中国に向けての最先端の軍事基地となったのだ。そこで、政府などが気楽に言う台湾有事が勃発し、ドンパチが始まったらどうなるか?
 真っ先に攻撃されるのは、これらの島々なのだ。住民を避難させるどころではない。しかも、米軍は、少数部隊を編成し、島から島へと移動しながら攻撃するよう計画しているというのだ。となれば、敵の反撃は、それに呼応して、島々に集中することになる。
 以前のように、基地などなければ、少なくとも最初の攻撃対象にはならない。それは、国際法とかなんとか以前に、軍事的に、何もない所を攻撃している暇に反撃されてしまうからだ。いくらバカでも、そんなことをするはずはない。
 だから、これらの島々に生きる住人の安全を第一に考えるとしたら、軍事基地など作らないことだ。と言うと、敵に対する備えはいらないというのか、無防備でいいのか、としたり顔で主張する連中がいるが、そういうことではない。軍備の強化以前に、外交を含め、やることがあるだろう、ということなのだ。

 だいたい、台湾有事というが、台湾は、国際法的に中国の国内問題なのだ。台湾の蒋介石政府が退陣して以後、中国を唯一の主権国家と認め、台湾はそこに帰属すると認めたのは、日米を含めた国連なのだ。だから、仮に中国が台湾に武力侵攻したしたとしても、ロシアがウクライナに侵攻したような、国際法違反にはならない。とすれば、米国であれ日本であれ、それに介入する大義名分はないのだ。
 むろん、だからといって、中国の思いのままでいいのか、ということでは絶対ない。台湾が、習近平政府の中国に呑み込まれれば、現在の香港と同じ運命を辿ることになるだろう。1986年以来、蒋介石親子の強権政治から脱して、民主化を進め、現在では、ある意味で日本より民主的な国に変わった台湾の現状をいかに維持していくか、それこそが、台湾の一般大衆が望んでいることだろう。そのために、どんな手立て、働きかけが必要か、下手に台湾有事を呼号することより、考えるべきこと、やるべきことがあるはずだ。