3.LOVE LIFE(深田晃司監督、2022年)
凝った作りに落とし穴が……
ヴェネチア国際映画祭のコンペティション部門に正式出品を果たした深田晃司監督の新作だが……。
初っぱなで、なんや、これ? と関西風訛りで引っかかったのは、団地の下の広場に居並んだ連中が、お、め。で、と、う、と書かれた文字盤を掲げるのを見たときだ。
いや、その前には、永山絢斗扮するこの家の主・大沢二郎が、壁に、これまた一文字ずつ分けたおめでとうの文字を貼り付けているのを見て、ずいぶん大仰なとは思ったものの、敬太という少年のオセロ大会優勝と、田口トモロヲ演じる大沢の父の誕生日を祝う集まりのためらしいと知って、今風の家庭なら、それもありかと納得はしていたのだ。
ただ、それでも、広場で人文字ならぬ、文字盤を掲げて風船まで飛ばすに到って、そんなにハッピーぶりを見せつけたいのかと、鼻白んだのだ。
しかし、一歩下がって、作り手の意図を忖度すれば(わたしとて、役人ほどではなくとも、たまに忖度ぐらいするのだ!)、息子が、前夫との子を連れた「中古品」の女と一緒になったことが気に喰わず、その子を、息子の養子にすることにも反対な、古くさく頑迷な父親を、自分たち3人の家庭に馴染ませるためには、その父の誕生日にこと寄せて、敢えて演出過多のおめでとうをやってみせる。それは、父親と木村文乃演じる妻・妙子との間で悩む二郎の苦肉の策だったということで、納得できなくはない。
さらに言えば、機嫌を直して昔の演歌など歌う父親の、その声が響く中で、敬太が、お祝いに貰った飛行機を浴槽で遊ぶうちに、足を滑らせて死ぬという悲劇を、ひときわ強く印象づけるための演出だったともいえよう。
むろん、それとても、おめでとう騒ぎと同様の、いささかあざとい作りではあるが。
だが、以後の物語の鍵を握るのは、砂田アトム演じる妙子の前夫の存在であろう。彼は、敬太の葬儀の場に突然、現れ、周りが、その異形な姿に呆然とするなかで、いきなり妙子の横っ面を張る。さらに妙子に掴みかかろうとして、止められるのだが、妙子の大泣きとともに、しめやかであるはずの葬儀は崩れ去る。
砂田アトムは、実際の聾唖者であるという。従って、彼は手話でコミュニケーションをとる。全編、手話のみの『ザ・トライブ』(監督:ミロスラヴ・スラボシュピツキー、2014)ほど徹底してはいないが、最近は、『咲む』(早瀬憲太郎、2021)や『コーダ あいのうた』(シアン・ヘダー、2021)のような聴覚障害者を描く映画が眼に付くが、明敏な深田監督も、そんな流れに乗って、砂田アトムを重要な登場人物として設定したのであろうか。
同じように、障がいがあるといっても、視覚障害者すなわち盲人の場合は、以前から、映画には度々登場してきた。たとえば、清水宏が好んで登場させた按摩さんのように、一見不自由な身体でありながら、道中、眼明きを何人も追い抜いたと誇るような闊達さがあるかと思えば、机龍之介から座頭市に到る、盲目でありながら、常人の及ばぬ剣の達人として、これまでも、ざんざ映画を賑わせてきた。しかるに、聾者の場合は?
砂田アトムは、その風貌からして、独特な愛嬌がある。そして、ここが肝腎なところだが、彼が妙子と手話で話をする場面は、無音の中での、その手の動きが、画面を活気づけるよう作用しているのだ。その意味で、砂田アトムの起用は、とりあえず成功したといえよう。
だが、そこには、落とし穴ともいうべき、作劇上の欠陥も、同時にある。
砂田アトム演じる男は、何者で、どんなことをし、どのように生きてきたのか。
まず、彼は、妙子の前夫で、敬太の父であった。だが、彼は、あるとき妻子を捨てて姿をくらます。妙子は、ずいぶん彼の行方を捜したようだが、見つからなかった。何年かして、妙子が諦めたところに現れたのが、現夫である大沢二郎、ということになるのかな。
そして、砂田アトムは、敬太の葬儀のときに、突然現れる。それまでの間、彼は、ネットカフェや公園などで過ごすこともあったようだが、少なくとも妻子を抱える重荷から逃れて、生きる上での多少の面倒はあったにせよ、自由に過ごしていたのだろう。先に書いたような、砂田アトムの風貌ゆえ、見過ごしがちだが、よく考えれば、彼は、かなり身勝手な男ではないか。
そして、それは以後も変わらないのだ。
妙子は、葬儀の場に彼が闖入したあと、棚からパスポートと手紙を出して、彼がいる公園に行く。そのときパスポートの文字がハングルであることで、砂田アトム演じる男が、韓国人であることは想像がつく。だが、妙子が、彼に呼びかけたとき、といっても手話だが、パク・シンジという名前を言ったかどうかは、憶えていない。ただ、このとき、彼女は、彼にパスポートと手紙を渡し、これまでの彼との関係に区切りをつけるように、「本当にさようなら」という。
だが、役所で、耳の不自由な人が来ているが、通じなくて困る、手話の出来る人いませんかという呼びかけに応えて、妙子が行ったことから、彼女とパクは、再び向き合うことになる。そこで生活保護を求めるパクに手を差し伸べたのは、福祉課で働く大沢二郎だ。彼の紹介で、パクは、仕事を得る……。
いったんは、さようなら、と言ったものの、視野のうちに彼がいることが、妙子の心を動かしたのか、以後、彼女は、なにくれとなく前夫の面倒をみる。同じ団地の別棟に住んでいた二郎の両親が引っ越したあとの部屋に彼を住まわせ、食品を届けたりする。二人がベランダで巫山戯(ふざけ)あっている様子を目撃した二郎は、現夫である者の当然の振舞いとして、パクの部屋に駆けつける。
子猫も交えたこの騒動の末、パクは、韓国の父親が危篤だから帰る、その渡航費用を貸して欲しいと頼み、二人は、二郎の運転する車で、連絡船の出港所まで送っていくのだが……そこで妙子は、彼を一人にしておけない、一緒に行くと、二郎を置き去りにして連絡船に乗り込むのだ。
劇場で販売しているパンフレットには、ここに到るまでの妙子の行動を、息子を失った悲しみを乗り越えるためとか、前夫と現夫との間で揺れ動く妙子の愛、といった言葉が散りばめられているが、それが十分説得力を持つほどの表現は感じられない。
だが、まあ、それはそれとして、韓国に着き、どういう機縁か、歩く二人を拾った女性の車のなかで、パクの、父親が危篤というのは嘘で、実は、彼と前々妻との間に出来た息子の結婚式に行きたかったためだったということが判明する。これには妙子も怒って、パクをぶつが、息子の葬儀のときに、彼が妙子の横っ面を張ったような迫力はない。
結婚を祝う芝生での集まりに行き着いたパクが、息子を探して輪の中に入ると、彼は、前々妻とおぼしき女性から蹴られたりするのだ。ただ、問題の息子の方は、父親を喜んで迎え、抱き合ったりする。そんな二人を見る妙子は、祝いの踊りに興じる人々と同じ手振りを繰り返す。
といった経緯ではっきりするのは、パク・シンジという男は、韓国で結婚し、一児をもうけながら、女房、子どもを捨てて日本に来て、今度は妙子と結婚し、また、妻子を捨てて放浪するという、いわば、結婚しては妻子を捨てる常習男というわけだ。相手となる女からすれば、いや、ごく一般の女性からしても、とんでもない無責任野郎に他ならないが、寡黙に手話で話す砂田アトム(聾唖者だから当たり前だが)の風貌が救いになって、そのヒドさが眼につかない。
そして、まさにそこに、この「愛の暮らし」という物語の、表面に隠れた根本的な欠陥がある。
砂田アトム演じるパク・シンジと妙子は、目先の簡単なやりとりしかしない。そこには、表面的なコミュニケーションしかない。何年ぶりかに再会した妙子は、彼に向かって、なぜ自分たち母子を捨てたのか、何が望みなのか、と言葉=手話で問いかけないのか。そうすれば、そこから、男と女の間にある溝ともいうべき深刻な問題が出てきたであろう。この映画は、その肝心なところをネグレクトしているのだ。あるいは、それを回避するために、簡単な手話でしか会話しない聾唖者を主人公にした、といったら厳し過ぎるだろうか。まあ、明敏な深田監督にしては、手話を映画で見せるという物語の枠組みを作ることだけに力を入れた結果、思わぬ落とし穴があった、とでもしておこう。
【公開後、一部記述を変更しました。2022年10月7日・記】
- 『LOVE LIFE』
- 公開中
- 監督/脚本/編集:深田晃司 撮影:山本英夫 美術:渡辺大智 主題歌:矢野顕子
- 出演:木村文乃 永山絢斗 砂田アトム 山崎紘菜 嶋田鉄太 三戸なつめ/神野三鈴、田口トモロヲ
- 2022年/日本/カラー/123分
- 配給:エレファントハウス
- 公式ホームページ:https://lovelife-movie.com
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©2022映画「LOVE LIFE」製作委員会 & COMME DES CINEMAS
近時偶感
もう誰も憶えていないと思うが、「わずか20円で、1万円札が出来るんですよ。だから、いくら作っても大丈夫なんです」と、得意そうに宣ったのは、先日、コックソーとやらで祭られたアベ元首相だ。それを聞いたとき、わたしは思わず、ドラえもんのポケットを思い浮かべた。そこにある、ひみつ道具なら、いくらでもお金を作り出せるのか、と。実際、元首相の意を受けた日銀総裁は、以来、20円で1万円を作り続けてきたが、彼らは、漫画『ドラえもん』の教訓を忘れている。のび太は、それを使い続けた結果、しっぺ返しを受ける、ということを。その伝でいけば、1万円札が、作ったときの、わずか20円になる日も遠くないだろう。