『リッチランド』(アイリーン・ルスティック監督、2023年)
リッチランドは、ワシントン州南部の、コロンビア川など3つの川の合流地点にある町だ。だが、自然発生的にできた町ではない。元々は、ワナパム族など先住民の居住地だったが、第二次世界大戦時のマンハッタン計画によるプルトニウム生産拠点として、1942年に建設が始まったハンフォード・サイトで働く人たちのために新しく開発されたのだ。
ハンフォード・サイトは、1943年から稼働を始め、1945年には、そこで作られた原爆、ファットマンが、長崎に投下された。大戦終了後も、冷戦による軍拡競争で、1987年まで核燃料生産が行われ、アメリカの軍事用プルトニウムの約3分の2が、この場所で作られたという。この映画の中で、リッチランドを訪れたケネディ大統領が、ここで働いている人たちによって大戦後の米国が強く保たれたと、賛辞を述べる資料映像が引用されるが、あの時代は、まさに行け行けの感覚だったんだろう。
ただ、こちらが日本人だからか、オッと眼を見張ったのは、それが町の誇りであるらしく、至る所に原爆のキノコ雲が描かれていることだ。とりわけ唸ったのは、町の頭文字であるRにキノコ雲をかぶせた絵柄が、リッチランド高校の校章になっていることである。
アイリーン監督も、前作の制作中に一度だけ訪れたリッチランドで、壁一面に描かれたキノコ雲に驚いたらしいが、トランプ政権成立以後、白人労働者階級が、なぜ保守思想をますます過激化させるのかと考えるうちに、改めてリッチランドに向き合うようになったという。彼女は、そのために、何年もかけてこの町を訪れ、時にはイベントなどにも参加して、人々の話に耳を傾けた。その結果、この町の歴史を踏まえ、そこに生きる人たちの多様な声を、単純に色分けせずに浮かび上がらせた、叙事詩的ともいうべき卓抜なドキュメンタリーが産み出されたのだ。
アメリカン・フットボールの試合に繰り出すリッチランド高校の選手が映る。チーム名はボマーズ、爆撃機だ。見守る男たちのシャツには、例の校章や、B29の形が印されている。このボマーズという名に、批判を述べた日本人がいたようだが、それに対して、校長は、戦争を始めたお前らが言うか、と一蹴したという。苦笑!
「2019年の核開拓の日記念パレード」なる行列が賑やかに町を行く。そこに、「マンハッタン計画75周年のお祝いをしましょう」という女性の声が響き渡る。
また、44年間、核施設で働いていたという男性は、プルトニウム生産で、給料は良かった! キノコ雲批判も外からの偏った声でしかない。あれは、この町の業績だ、と語る。
キノコ雲は、彼らにとって、戦争の終結という記憶としっかり結びついているのだ。それを端的に語ったのが、この町では数少ないアフリカ系の男性だ。彼はいう。
「もしも、わたしたちが原爆を落としていなかったら、今頃、わたしたちは日本語を話していたろう。原爆が良かったとはいわない。だが、悪いものでもない。今のわたしたちが知る米国の形を守ったんだから」と。
原爆を使わなければ、日本がアメリカに勝って日本語を強制していたなどというのは、日本に対する買いかぶりで滑稽だが、そのあとのことは、リッチランドに限らず、平均的なアメリカ人に共通する思いではないか。まさに、ここにアメリカがある。
だが、ハンフォードには、大戦終了後も40年あまり作り続けてきたプルトニウムが蓄積されているのだ。その結果、2億1200万リットルの放射性廃棄物が、177個の地下タンクの中で処理を待っている、という。こういう事実を、見学に訪れた人たちにオープンに説明するところも、アメリカだなと思う。日本では、その辺を曖昧に誤魔化して見せないようにするのが普通だから。
町の外には草原が拡がるが、そこに立つ考古学者は語る。「神が作ったままの土地は、近代的な手が入る200年前までは、そのままだったが、今はボロボロ。消えない汚染源を大地に埋めた。数万年は、このままだ。除染が行われているとはいえ、全てを取り除いているのではない。4、5メートル以下は、除去も除染もしない。その上に住め、但しガーデニングはするなと」。
先住民の老人が、アメリカ軍が、この土地を接収するときのことを語り、土地と一緒に食料も薬も狩りの獲物も奪われたというが、その豊かだった大地も、考古学者がいうように、今はボロボロなのだ。
それは、彼の地で暮らす人たちが直面する現在であり、未来でもあるが、プルトニウムが生産されるようになった時から、被害はあったのだ。
ある女性は、兄は1947年に亡くなったという。兄と同じ新生児や乳幼児の急死が、ハンフォードで相次いだと。そして彼女は、この墓地、どこを見ても赤ちゃんの墓ばかりと、墓石に刻まれた名前と生没の時を示す。
また別の女性は、ハンフォードで核燃料棒を作っていた父のことを語る。彼は、削りかす一杯の空気を吸いながらも仕事をし、さらに、家族を養うため、給料の良い原子炉の掃除もした。病に倒れたとき、被爆による骨髄異形成症候群と診断され、59歳で死去した。亡くなる1ヶ月前、父は、信じる相手を間違えたと言った。そんな父を悪いとはいえない。生活のためだったのだから。お陰で、わたしも大学に行った、と。
父の死を詩に託す彼女を写した画面が、無人の草原に4本の星条旗が翻るショットに換わる。さりげないその転換に胸がうずく。
だが、この町も、少しずつ変わりゆくようだ。
リッチランド高校の芝生に座る高校生たちが、例の校章について、こもごも批判を述べている。彼らは、それを替えたいと思っているのだ。ただ、そのことに反対する学生がいることも十分承知している。変化は、緩やかに起こるしかない。しかし、その希望の芽はある。
そして、わたしの耳に、♪その木の果実はプルトニウム、わたしたちは、その果実を食べた、食べた……という混声合唱団の歌声が響く。♪こうして、わたしたちは楽園を追われた、大地を毒したために、その毒により、互いを滅ぼすすべを得たために……と歌は続く。その合唱に、大勢の人が耳を傾けている。その胸中に、いかなる思いが渦巻くことか。
わたしは、この映画で語られる様々な声を、勝手に前後を替えて書き継いできたが、最後は映画のラストショットで閉めよう。
それは、広島の被爆3世として生まれ、いまはオレゴン州で暮らすアーティストの川野みゆきが、祖母の衣服の布を自身の髪で縫ったという、長崎に投下されたファットマンを模したオブジェが、コロンビア川を見下ろす草原に立てられ、風に揺れているのだ。
映画『オッペンハイマー』(2023)は、日本でも大ヒットしたとのことだが、わたしは、それよりも、この一見地味な『リッチランド』をこそ、より多くの人に見てもらいたいと思う。そこには、ケネディ大統領も誇ったハンフォードを抱え、そこで生き死にした人々の様々な思いを紡いだ現在のアメリカが描かれているからだ。
このアメリカは、同時に、原爆も含めて、この日本を反照しているのだ。日本では、まだ軍事用プルトニウムは作っていないなどと嘯いてもダメ。平和な原子力発電のためのプルトニウムといったところで、その廃棄物は積み重なるばかりだ。大地に埋めるといったところで、アメリカと違い、地震が頻発するこの狭小な列島の大地しかない。ハンフォード・サイトが示す現在は、より厳しい状況にある現在の日本を照らし出す。
- 『リッチランド』
- シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中
- 監督:アイリーン・ルスティック
- 2023/アメリカ/93分/カラー/5.1ch/DCP
- © 2023 KOMSOMOL FILMS LLC
- 公式ウェブサイト:https://richland-movie.com
近時偶感
新しい1万円札と5千円札が発行された。
まだ、現物にはお目にかかっていないが、1万円札の顔は、渋沢栄一、5千円札は、津田梅子だという。6歳でアメリカに渡り、その後、日本の女子教育に一生を捧げた津田梅子はともかくとして、日本資本主義の父と称された渋沢栄一としては、この2024年に、1万円札の顔として登場したことに複雑な思いを抱くのではないか?
だって、いまや1ドル160円代という超円安なんだぜ。彼の先輩?に当たる福沢諭吉が、様相を改め、E号券と呼ばれる1万円札の顔として登場した2004年は、1ドルが102円、最高値でさえ114円だったのだから。その後の20年間で、円の価値は下落する一方。福沢諭吉さんで買える物は、どんどん少なくなる。喜んでいるのは、外国人旅行者ばかり。泉下の渋沢栄一さんが、かかる現状を見たらなんというか?
こんな事態を招いた直接の要因は、お札をどんどん刷れと旗を振ったアベ政権に後押しされた黒田前日銀総裁の施策にあるが、その日本売りというべき円安と並行して進んだのは、日本の大企業のコンプライアンス劣化だ。
つい最近では、日本を代表するトヨタの事件があるが、その前から、名だたる企業での不正や誤魔化しが横行していた。渋沢栄一に話を戻せば、彼がモットーとしていた「論語と算盤」の、論語が指示するところのモラルを放棄して、算盤一辺倒になった結果である。その点でも、泉下の「父」に、一喝してもらう必要があるが、もともと無教養の経営者たちは、聞く耳を持たないであろう。ヤレヤレである。